曲調は静かな感じで
女の子になってた。
ベッドと空の箪笥、そして背の高い姿見があるだけのシンプルな部屋で現在私は全裸で仁王立ちしている。威風堂々たる風情で姿見の中の少女を睨み付けているつもりなのだが何故か鏡の中の私は涙目で困ったような表情になっているのが情けなくて涙がでそうになる。ますます涙目が進行する。私の大事な男の子は忽然と消えてしまっていた。ベッドの下や食器棚の隅などを一生懸命探しまわったのだけれど夢幻の如く消え去った。ついでに言えば脱いだ服も消えた。解せぬ。脱ぎ捨てて数分後に白い光の粒子になって消えていった。石版通販で衣類を購入してもいいのだがまたこの怪奇現象が起きてしまう恐れがあるうちはなかなか購入に踏み切れない。色々なものが消えていったが心の中の漢気までは消せまいというのが仁王立ちするに至った経緯である。ちなみに言えば鏡の中の少女に漢気の欠片も見いだせない。
はぁ、と溜め息。いつまでもこうしていても仕方がない。部屋を出て階段を下りる。真っ白で正方形の二階建て住居。まるで豆腐みたいなこの建物が私に用意された家だった。用意されたというか石版の地図でここだけ赤く表示されていたから多分私の家で間違いない、はず。キッチンで水を用意した後居間のソファに座り込んで石版を呼び出す。サンドイッチのようなものを購入してもしゃもしゃ食べる。少女に変化したことで口が小さくなり、以前まではぱくりといけたサイズでも今はちまちま削るようにしか食べられない事に辟易する。
まだお昼前だろうか。強めの陽射しが窓から差し込み最低限の家具と少しの食器しかないがらんどうな居間を明るく照らし、ぴーぴぴぴーーちょんちょんと何処かで聞いたことあるような無いような鳥の声がなんだか間抜けで気が抜ける。ようやくサンドイッチを打倒し水を男らしく一気に飲み下した後、再度石版と向かい合う事にした。ショッピングモード画面の右上に小さくメニューがあって、そこに要望箱やQ&Aがあるのを地図を探してるときに見つけていた。運営(神?)良い仕事してる。いくつかどうしても知りたい事がある。Q&Aに載っている事を祈りながら指を滑らす。
まず運営(神?)は転移者に何をさせたいのだろうか、という疑問。とりあえず神と仮定するが、チュートリアル島でのサービスが良いので神にメリットがあるのかどうかが気になる。転移先での使命とかがあるならまぁ分からなくもないけれど、もしこれが意地の悪い神様が人間の四苦八苦する様を眺めて楽しみたいとかいう目的ならいずれデスゲームに発展しかねない。割と本気で怖い。その次に知りたいのが体が変化した理由。草原にいた転移者達もよくファンタジーにありそうな様々な種族になっていた。中にはそのまま日本人といった感じの人や髪の色が奇天烈な事になっている人もいたのだけれど。最後は、なぜ、自分が選ばれたのかという事。
Q あなたは誰ですか?
A 神です。あなた方の信仰から作られました。
Q 転移させる目的は?
A 転移したいというあなた方の望みを叶えたまでです。
Q 好きな食べ物は?
A 甘いパンです。
別に好きな食べ物ここに書かなくていいと思う。これ書いてるのも神だとしらたお供えを強請ってるの?謎深まる。それに私は別に信心深くないし、そこまで異世界転移を強烈に願った記憶がない。頭を傾げながらもページをめくり続けるも質問のほとんどが神の趣味趣向や初恋はいつ等という何このファンサイトといった有様で自然とタップが荒くなる。得意な折り紙は何ですか?折り紙です。じゃないんだよ!ちゃんと質問に答えなさい!
Q 体が変化したんですが。
A 魂や性格に応じて適切な外見や種族へ変えました。
Q 何故変えたのですか?
A 魔力の無い体では転移先で生きられないからです。
衝撃の事実。
「…私の魂や性格がメルヘンでガーリィな半端ロリだとでもいうのか!30年以上男をやってきたしクールで寡黙で仕事一筋な好青年だと自負もしている!一人称が『私』なのはクレーム担当係の弊害だ!オネエでは無い!!女性が好きだ!まだ社会にあまり慣れていない23歳くらいでストッキングの似合う地味系の女性が特に好きだ!!!!ごほッ」
興奮しすぎて咳き込んだ。もういやだ泣きたい。全裸で石版に怒鳴るこの様の何処にメルヘンでガーリィな要素があるというのか。元の姿だと転移したそばから命尽きるのは勘弁だけどもうちょっとどうにかならなかったのか。というかそのまま日本人の男性やちょっと獣耳と尻尾が生えただけという青年もいたではないか。解せぬ。誠に遺憾である。遺憾の使い方が合っているかどうかすらもう分からないけど私は興奮してるのだ。許される。
熱くなりすぎたのでクールダウンを試みたいが特に方法が浮かばなく、ふんふん鼻息鳴らしながら家の中をうろうろ歩き回ってみる。そういえば設備諸々確認していない。姿見を探すのにチラッと見たぐらいだ。キッチンには少ないながらも食器が揃っており棚に包丁や小振りの鍋が数種類。流し台にはちゃんと蛇口がありノズルについてる青い石に触れると水が出る。井戸から汲みあげてくるとかでなくてよかった。ガスコンロのような物もありこれまた赤い石に触れると火が点る。魔導具、とかそういう物なのだろうか、あまり元の文明と変わらないようでホッとする。さすがに冷蔵庫は無かったが。トイレやお風呂も謎の魔導具技術で安心の現代ナイズ。これから3年間ほどお世話になる予定の我が家をきょろきょろ観光しながら各種足りない日用品を石版通販で補充していく。一階はほどよく広いリビングにキッチントイレ風呂。二階はそこそこの広さの寝室と空き部屋一つ。正直小さめな一軒家だが私一人には十分過ぎるだろう。家の規模の割に庭は広く、立地は街の中ではかなり高い位置にあるので窓から海が見えて眺めが素晴らしい。気に入った。永住したい。
どうせ服を着ていないのだからと風呂に入った。石鹸もシャンプーもあるし浴槽もシャワーもある。一通り設備を見て回った感じイメージより文明がかなり高度でファンタジー感が薄い、という印象だ。このチュートリアル島だけの設備なのかは不明だが転移先もこのくらいの文明であれば便利でいいなぁとひとりごちる。長くて細い髪の泡を落とすのに苦労したりゴシゴシ体を洗って痛みを感じたり性別の違いによる違和感は細々とした所で出てくるが、体がずいぶん軽くなった気がする。まぁ体重は確実に軽くなっているとは思うのだけれど。街を歩き回って家までの長い階段を駆け上ってみたりしたのに息切れもせず、まだまだ存分に体力が有り余っている。お風呂場の鏡に映る少女は中学二年生か三年生。これが、若さか。
ざばっと湯船に首まで浸かる。ほう、と吐息を一つ。長い髪の毛が湯船でワカメのように揺らめいてちょっと気持ち悪い。この体になった違和感はいずれ無くなっていくんだろうか。熱めのお湯で思考が蕩ける。よくよく考えれば、どうしても、命を賭してでも元の姿に戻りたいかと問われれば実のところそうでもない。自分の顔は諸事情によりあまり好きではなかったし、若返りという点でもこれからの人生の幅が増える。欲を言えばマグナムは消さないで欲しかったが。半時ほど茹でられながらも辿り着いた結論としては、この姿の違和感については時間が解決してくれる、と良いな、という軽い現実逃避じみたものだった。
Q なぜ自分が選ばれたのですか?
A 条件に見合った方の中からランダムです。
Q その条件とは?
A 1 善良である
2 異世界に行きたいと願っている
3 誰からも愛されていない
キッチンに水を取りに行った後ひと口だけ飲んでワシャワシャ髪を拭きながらソファに座る。最後に知りたかったことも知れた。時折間の抜けた鳥の鳴き声が聞こえる他は何も聞こえずしんとしている。この家に辿り着くまでに少し迷って街をうろうろしたが無人だった。転移者達はまだ草原でわいわいしてるのだろうか。
『誰からも愛されていない』
自分の人生を振り返って、確かに、と苦笑いが出てしまう。別に天涯孤独とかでもないし両親も健在で妹も二人いた。それでも、そういう事なんだろう。そういえばと、ふと思う。まだこの世界に来て僅かな時間しか経っていないけれど、私は微塵も元の世界に帰りたいとは思っていない。なんだか沢山の重しを元の世界に置き去りにしてきたかのように肩が軽い。視界に映るものの色彩が鮮やかに感じる。
心機一転というには奇妙奇天烈な状況だけど、もしかしたらここから少しは楽しい日々が始まるかもしれないと。もしかしたら友達とか出来てBBQとかする日々が始まるのかもしれないと僅かだけ期待してもいいのかもしれない。せっかくだから頑張ってみよう。遠い空を仰ぐ。もしこれがアニメなら今この瞬間からオープニングが始まってもいいという感じである。まぁ、現状未だ全裸なので映像化は無理だが。