パーマー
「やっぱ右手が使えないのは不便だな」
俺の左手に持ったフォークが料理を過ぎて皿に当たり音が鳴る。右手は氷の塊の中にあり、それを取り込むように包帯が巻かれている。右手は感覚がないので、呪いで外れないグローブをはめているようだった。盾を大きくするためとはいえ、やりすぎた。
「あと一日もすれば治るわよ」
俺らはホンデュミオンの宿の中にいた。
「で。明日はどうなったんだ。許可が出たのか」
「ええ、もちろん。城はラカンみたいな普通の人には滅多に入れないとこよ」
タントがコルチの頭を優しくなでる。やっとコルチはようやく話せるようになるらしい。窓の外を見るとホンデュミオンの城が夜の空に浮いている。夜の間は警備のために城を浮かせているという話だ。
「それでニラナコイって名前で思い出したんだけど、実は同僚だったのよ。影薄かったから印象ないけど。あいつの周りで女性が十人以上首を吊って自殺しているらしくて、フェニックスの尾が盗まれた後突然ホンデュミオンから去った。さすがにあいつの周りで自殺が多すぎるのは怪しくて何人かはあいつを疑っていたんだけど証拠がなくて……。もどかしいままで終わりってわけ」
あの関所にいたニラナコイは黒焦げになりながらもかろうじて生きていた。縄で縛られていたタントとコルチを解放すると、タントは走り出しニラナコイの身体を蹴って裏返しにして符を貼り、氷漬けにしてしまった。その後、塔の地下の牢屋に縛られて捕らわれていた関所の人にニラナコイを渡して、俺たちは塔を出た。日が暮れかけていたので、急いでホンデュミオンに向かった。
「あいつはズダムって言っていたけど知ってる?」
「ズダムねえ。知らないわ。お尋ね者にもなっていないのよねえ。ニラナコイは符術無断使用の罪でいたけどね」
タントは皿を口に付けて、ぐいっと熱いスープを飲み干した。コルチも真似して皿を重たそうに持つ。
「ごちそうさまーっと。明日は早いから、さっさと寝てね」
タントはコルチを連れて部屋に入っていった。俺は別に同じ部屋でもいいのだが、タントは俺と同じ部屋に泊まることを極端に嫌がる。まあタントはコルチをとてもかわいがっているので、同じ部屋なのは安心だろう。大きな都らしくもう遅い時間だが、外には賑わっている酒場が並んでいる。自分が住んでいた場所とは大違いだ。
「そういえば剣を探しているんだったな」
ニラナコイに会って、攻めることができないのは心もとないと感じた。守るには武器が必要なのか。俺は宿から出て大きな通りを見回した。鍛冶屋などの類はこの通りにはないようだ。通りには酔っぱらって倒れている人や、符を使ってなのか酒を飲んでなのかはわからないが、火を口から噴いている人もいる。通りの横道にもまだやっている店もあり、少し眠気が消えていく。鍛冶屋を探すが、それらしきものはない。灯りの数も少なくなっていき、どうやら都市の端に来たようだ。
「さすがに開いているとこはないか」
明日も早いので俺が宿に戻ろうとした時、今さっきまで光がなかった窓が明るくなっており、中からガラスの割れる音や、何やら重い音が聞こえてくる。しばらくして音がなくなる。家の中に虫でもでたのだろうか。俺は帰るついでに遠くから窓の中を覗いてみた。すると、一瞬で窓が真っ赤に塗られたように赤いものが窓につき、中の灯りが消されたのか窓から光が消えた。
「夫婦喧嘩にしては派手だな」
驚いた自分をなだめるように言うが、声は震えていた。何度見ても窓についたのは血だった。頭に浮かんだことは殺人などの不吉なものだけだった。あの量の血は虫とかじゃない。
「大丈夫ですかー」
離れたところから窓に呼びかける。少しずつすり足で、建物の窓に近づく。さっきは爆発するように音がしたが、今では建物が死んでいるように静かだった。
「はい、なんとか」
建物のドアから一人のフードを被った人が出てくる。声で男だとわかる。ローブで体を包んでおり、いかにも魔術師という恰好だ。男が明るい通りに向かおうとすると、赤く塗られた窓が大きな音をたてて割れて、溢れるようにドロドロした赤い液体が漏れている。さっき出てきた男を探したが、消えたようにいなくなった。液体は石造りの道に染みわたっていく。
「なんかとんでもないものを見てしまった……」
広がる血だと思われる液体を踏まないように建物から離れたところで、割れた窓から恐る恐る暗い建物の中を調べると、さっきまでは普通の民家だったと思われる。この液体が人間のものでないことを心の中で祈りながら、宿に帰ろうと通りを向くとあの男が目の前にいた。
「このことはご内密にお願いします」
男は背中を向ける。俺は少し混乱して汗をかいていた。
「すみません、この液体は何が」
「それは言えないです。言ったらあなたもああなります。それでは私からも質問を一つします。あなたの持っている盾はどこで手に入れたのですか」
「えっ、この盾はドラゴンのウロコで作ってもらったものですが、それが何か」
「なるほど。だからあなたからは強い力を感じる。ドラゴンのウロコを混ぜた盾は魔法を弾き持つ者の力によって形が変わる……。しかも加工は難しいという。ということはあなたはドリックという人を知っていますね、いや実際に会ったはず」
「ドリックさんを知っているのですか」
「ええ、今探している途中ですから」
男がドリックのことを言ったので、有名人なのだとわかる。そういえばドリックは指名手配されているのだった。そのことを言ってしまったので、嫌な寒気がする。
「よければ場所を教えてくださいませんか」
自分の勘だが、この男はきっと賞金首狩りをしている人だろう。たぶんさっきの建物にも賞金首がいたのだろう。ドリックはおじいちゃんの友人なので、この人に言っていいものなのか。頭の中でどうすればいいのか急いで考える。
「あー、ドリックさんは旅に出るとかなんとか言ってましたね。はい」
「旅ですか。それならば仕方ないですね……」
ほっとした俺は背中を向けている男の次の行動は去っていくことだと思っていた。しかし、男は振り返り手に符を持っていた。
「あなたから記憶を吸い出すしかないようですねっ」
男のフードが風で頭からとれた。顔に大きな傷がある男で口元は笑っていた。男の手から放たれた符が俺の左頬をかすめたが、緊張で構えていたからか間一髪で避けることができる。符街灯の柱をすり抜けるように通過し夜の闇に消えていった。男はまた符を放とうとしている。
「お前、何をするっ!」
「大丈夫です。動かなければ一瞬ですよ」
かすめた頬から液体が垂れるのを感じる。男は腕を大きく振ると、符を三枚投げてきた。太陽の盾を構えて持つ手を思い切り握る。盾が広がり男の体が見えなくなる。
「同じ手は効かない」
空を切る音がして、持っている盾に固いものが当たる衝撃が走る。符が盾を沿って端にこすれ軌道がそれる音がする。
「さっきの話聞いてなかったんですね」
盾で弾かれた符が、盾の端から見えると同時に符は直角に折れ曲がり、俺の顔をめがけて突っ込んでくる。
「なにいっ!」
符は俺の頬の傷を深く抉り、耳まで奪っていった。残り二枚の符が右手の二の腕と鼻先と顎を簡単に切り取って、俺の左頬をより深く削って行った。俺の頬には穴が開いていて、鉄の味がする。
「少し動いたからズレたじゃないですかー」
盾の向こうで声がする。
「い、今のは」
なぜ弾いたはずの符が襲ってきたのだろうか、手放した後も自由に符を動かせられるということか。しかし、前にタントが言っていたことを思い出すと、符を放った後は動かせないはずなんじゃなかったのか。もしかしてこの男はそういう魔術を使える人なのか。
俺は盾を構えながら考えていた。すぐに符を投げてくるのは確実で、左手に持つ盾をどうするか迷っている。大きくしても追尾するかの如く符は俺を襲う。逆に小さくしても、ただ無防備になるだけだ。目の前にある盾の赤い裏側が大きな壁に見えて、見えない恐怖にかられる。
「やはりウロコでできてますね、それ」
壁の向こうで声がする。だから何だって言うんだこの男は。ドラゴンのウロコでできたものは魔法を弾き持つ者の力によって形を変えるとかなんとかだったな。この男の反応は、本当だったら符を弾かないことを表しているのだろうか。それにしても血が結構出て垂れてきている。
「大きく俺を守ってくれ!」
俺はその場にしゃがみ込み太陽の盾を天に掲げ両手で支える、盾はテントのようにの周りを囲んだ。これなら追尾しようが関係ない。周りが暗くなる、盾の表面で薄く光るところがあり、盾の内側が仄かに明るい。盾が地面に当たり高い音がする。これで防げるはずだ。
「なんと」と盾の外から驚く声がする。そしてこれが静寂という言葉だと肌でわかった。
「さて、どうするか」
石でできた地面に暖かい液体が散らばっている。ほとんど俺のものだ。まず相手の出方を見て、どうするか決めるのがいい。少なくとも、さっきの符は防げるはず。
「無駄ですよ、無駄」
外でそう聞こえた。盾の表面に動く影が出現し、盾の正面を沿って俺の頭上を素早く通り、盾の端で石の地面にぶつかった削る音がする。取っ手をさらに地面側に引いた。後ろの符はがりがり音をたてて盾と地面の間に潜り込もうとしている。その符の姿が生きているように見え、俺を仕留めるために必死な様子だ。
「どうやら自由に動かせるってわけじゃなさそうだ」
符が間を縫って盾の内側に頭を出す。もっと盾を広くして、符を地面にこすると動かなくなった。符自体が細切れになったからだろう、魔力が符から抜けていったというべきか。符自体を破壊する、それが追尾から守る方法。それでもこのままだと防戦一方に変わりはない。そういえばさっき俺の頬に符が三枚通り過ぎた。この男は狙う位置をマークできる、きっとそうに違いない。もし勝手に動かせるのだったら心臓とかを狙うはずだろうし。少し盾を上げて男を覗くと、地面に何かを撒いていた。右手で左頬を撫でるように触る。俺は盾を天に掲げながら立ち上がった。
「なんと」
思わず声が出てしまった。目の前に亀より大きい紅い甲羅が現れる。今まで自分の符から一時的にも逃げられた者はいないからだ。
「男の盾は大きくなるし固い」
ニラナコイが塔でポカをやらかし、監獄に入る前に血で符に書いて送ってきた言葉。その時俺はシャワーを浴びていたので大して気に留めなかったが、今はドラゴンのウロコでできた盾はなかなか厄介だと、身に染みてわかる。リーダーのズダムが「まず盾の男を殺せ」と言っていたのはあながち間違いではなかった。いや、ズダムは昔ドラゴンの討伐をしたことがあると聞いた。その経験から言っていたのだろうか。しかし、自分の追尾符から逃れられることは絶対にない。例え魔法を弾く本物のドラゴンだったとしても。
「無駄ですよ、無駄」
あの男の左の頬をイメージして俺は一枚の符を思いっきり投げた。符は紅い甲羅に飛び込んでいく。そして登るように向こう側に隠れた。魔力を込められた符は敵を追尾するがあの盾は魔法を弾く、だからあんな滑るような現象が起きるのか。いつもならこのくらいで大体の敵は真っ二つになっている。相手から仕掛けてこないから隙がない。確かにこれは厄介だ。符をローブから出して地面にばらまいた。次の一投で絶対に仕留める。ヤツの頭が輪切りになるようなイメージが浮かんでくる。ヤツが被っているのは、自分の棺桶だということを教えてあげよう。
盾を少し小さくして地面から離すと、冷たい風が足元に流れてくる。風で足が少し震えた。だがもう迷いはない。盾を小さくしながら男の方に走る。さっき立ち止まったせいか、符で削られたところからの痛みが激しい。それでも足は止めない。盾が最小になり男まで手が届くほどまでに近づいていたことに気づく。瞬間、男は持っている符を投げつけてくる。符は俺に向かってくる。俺は盾を目の前の地面に投げて、男に向かって走る。符が顔に当たる。
「なあにーっ!?お前はアホなのかあーっ!」
そう言いながら、男は足で地面を思い切り叩いた。紙が擦れる音がした。男の足元にあった符が上昇した音らしい。俺は地面に転がった盾をしっかりと踏みしめ、男に向けて跳んだ。
「うおおおおおおっ!」
風の中に飛び込む感覚がする。その時だけ時間がゆっくりと感じる。男は口を開けて俺の顔を追い、手で顔を守ろうとしている。そして、ゆっくりと落ちていく感覚がする。男の頭上を飛び越え、地面に手をついて落ちた。
「はっどこ見てんだあっ!」
男は振り返り大声を出した。そして符を投げようとローブに手を入れた。同時に男のローブから長方形の紙が次々と飛び出してきた。そして男は血を垂らしながら地面に倒れる。俺に飛んできた符が力を失ったように地面に落ちる。
「な……、何が……あった……」
口から血を噴き出して、男の周りには血の水たまりができた。地面に落ちた符が血に染まっていく。
「あ、危なかった……」
地面に倒れて空を見上げた。夜の風が傷口をやさしく撫でる。あいつが符をばらまいてなかったら、俺はやられていたかもしれない。何とか俺の追尾する軌道上に男を置けたが。
「タントに何て言おうかな……」
石の地面にくっついたように体が動かない。今日の夜の空はなぜか一段ときれいで優しかった。
パーマー・マメリラ(27)
賞金首として生きていた時、ズダムに会い組織の仲間になった。ズダムからの命令でドリックを探しているところにラカンと遭遇。悪魔を召喚しようとして自分の部下にしようとしていたが失敗して、魔法陣から血があふれだすことになり困っている。趣味はダーツ、ギャンブル
符を硬質化して、剣のような鋭さを持たせることができ、相手の傷に自動追尾できるようになる。
最近悪魔を呼び出すことに夢中になっている。