ドリック その1
今俺たちは俺の家からホンデュミオンまで半分くらいのところまでいた。干上がった荒野で建物も道はなく、たまに謎の骨が落ちているので、絶対に俺は住みたくない場所だと思った。しかし、ここらに住んでいる人物がいるらしい。祖父は俺にその人物と会うように言ったからだ。静かな祖父の声が頭の中で繰り返される。
「ホンデュミオンまでに荒野がある。そこに住んでいる男に会ってほしいんじゃ。荒野に一つだけある木の看板に従えば男に会える」
「男の名前は『ドリック』。用心深いヤツで人見知りでな、古い友人じゃから名前を言えば通じるはずじゃ。きっと喜ぶはずじゃからな」
祖父は出発の日にそう言っていた。しかしこの地平線が見渡せる荒野で、木の看板なんて見つかるのだろうか。たまに乾いた木を見つけるが、それのことではないと信じて前に進む。
「なにさっきからきょろきょろして、トイレなんてないわよ」
「いやそうじゃなくてさ、看板を探してんだよ。見てない? 木で作られてるんだけど」
「看板? じゃああれかしら、『災いの立て札』だったと思うわ」
「え、災いの? それって有名なのか?」
「まあここを通った人ならまず見るわよね。それがどうしたの?」
「いや、ちょっと用事を思い出してさ。俺の祖父の友達が近くに住んでるらしいんだよね。その人に会うには看板を見ればわかるとか」
「ふーん。あの看板を見ろなんてねぇ」
タントは顔に少し笑みを浮かべていて、俺の話を信じていないような笑みだった。俺はタントの口から出た言葉に耳を疑ったが、その災いの立て札がたぶん祖父が言っていたものなのだろう。災いなんて信じないけど。隣でタントが声を出して笑い始めたので、俺は驚いた。
「いや、ごめんごめん。でもラカンじゃその看板は見れないわよ。絶対に。だって向こうにあるの見えてないんでしょ」
笑うタントは冗談を言っているのだろうか、タントの指さす方向を見てもそれらしいものは全くない。目を細くしてみるが、見つからない。絶対にってどういうことだよ。
「絶対に見れないってどういうことだよ。俺、祖父からその看板を見ろって」
それを聞いたタントはぶり返すようにまた笑った。今度は腹をかかえて顔を地面に向けている。俺は変なことを言っているのか不安になる。
「おい、ちゃんと説明してくれよ。わかんねえよ」
「ふふっ…ちょっと待って…、今笑い終わるから…」
しばらくしてタントは顔を上げた。その顔にはまだ笑いが残っている。
「ラカンのおじいちゃんって面白いのね。いい? 災いの立て札は魔術が使えないと見えないのよ。しかも書いてあることは何もないのよ。だから皆気味悪がって『災いの立て札』なんて言ってるのよ」
俺はタントの話を聞いて祖父の話を疑うことより、魔術が使えないことで見えないものがあるということに衝撃を受けた。もしかしたらタントの男が女装しているような格好は、魔術が使える人にとっては他の姿に見えるのだろうか。フェニックスの尾を手に宿しているコルチは実は正体が見えているのかもしれない。
「はい着いた。見える?」
「ウソだろ…?」
タントが見る方向には見飽きた荒野が広がっている。
「ここらへんが札で、ここに棒。ここの穴に刺さってて…。ていうか刺さっている穴もわかんないの」
「いや、穴はわかるけど…、ん? 穴の中に何か入っているぞ」
穴の中に白いものが落ちていた。俺は人差し指と中指でかきだすようにして取り出した。それは丸められた手のひらほどの小さな紙で「黄色の十字をノック三回」と書かれていた。
「へー、そんなのあったの」
タントが横から覗いていた。俺はタントに見せつけるようにして手紙を近づけた。災いの立て札が見れなかったのは残念だが、その代わりにこの手紙を見つけられた。しかし、祖父は俺が魔術を使えないのを知ってて看板を探させてたのだろうか。だとしたらどうやってこの手紙を見つけられるのか。もしかしたら看板は他の所にあるのではないか、という考えが脳裏によぎる。
「黄色の十字ってこの岩よね」と言いながら、タントはごつごつした岩に大きく描かれた黄色い十字の模様を指さしていた。俺はその岩に近づいて十字の中心にノックを三回してみると、その岩が横にスライドして動いた。そして岩があったところで隠れていた大きな穴が表れた。
「わーお。秘密基地とはロマンがあるわね」
「タントはそこで待っていてくれないか」俺はタントとコルチを穴から遠くに離した。
覗くと暗い穴にはハシゴがかけられていて、中からは涼しい空気がはい上がって流れてくるのを感じる。恐る恐る俺は中に入ろうとハシゴに触れた時に奥から声がした。
「誰だか知らんが勝手に中に入るなよ」
穴の奥から男のしゃがれた声がした。この声の主が祖父の友人だろう。しかし俺は固まってしまって穴の奥を見れなかった。
「そこから離れろ」
はっとして俺は急いで穴から遠ざかった。ハシゴを上る音が近づく。
「名前と要件を言え」
男は警戒しているのか穴から顔は出さないでいる。この性格も祖父の言っていた通りだ。
「ラカン・バルディラです。向こうの男がタントでそこの子はコルチです」
「俺の祖父のパトから言われてあなたのことを聞きました」
緊張しながら俺は言うと、しばらく音がなくなったように感じた。
「わかった、入ってこい」
男の声は警戒心を解いていなさそうだったが、とりあえず会えるようなのでひとまずほっとした。
「入っていいって」
「ねえ、もしかしてラカンが会おうとしているのってもしかして竜の目のドリック?」
「そうだけど、どうして?竜の目は知らないけど」
「ドリックはホンデュミオンの裏切り者と呼ばれる男よ。少し不安だわ」
「おいおいウソだろ」
「いいえ本当。祖父に言われたのならいいかもしれないけど…。気を付けた方がいいわよ」
タントは本当のことを言っているようだった。しかし今さらドリックが誰であろうと俺は気にしない。目の前にはハシゴが下に伸びている。俺は深呼吸をして入る覚悟を決めた。