魔術師タント
目を開けると青い空が広がっていた。気持ちの良い風が吹いている。体を起こすと、男の子は麻袋に体を入れてまだ寝ていた。男の子の顔を見て安心感を得ると同時に、グーッと腹の虫がなった。そういえば昨晩何も食べてなかった。地図を広げて、しばらく歩いたところに町があるのでそこを目指すことにした。昨日は交渉してホートを一つ二つ残しておくべきだったと後悔する。男の子を起こして、俺たちは町に向かって歩き出した。町の名前は「ドウティ」というらしい。
「いらっしゃい。丈夫そうだね。何かトレーニングとかしてるのかい?」
「いえ、特には何も。えーと、マノの塩焼きを二つで、あとウルオのジュースで」
「まいどあり」
俺たちはドウティの酒場に来ていた。テーブルに突っ伏した赤い派手なドレスを着た女と、カウンターで二人で話している男以外に客はいなかった。俺たちのがいる二人用のテーブルに、焼き目がついたマノが置かれて、男の子は目を丸くさせた。
「初めてかい?」
男の子は話しかける俺の方を見て、勢いよくうんうんと頷いた。どうやらあの怪しいポーションの作用が残っているのか、言葉はわかるようになったようだ。しかし、言葉を話すことはないので、聞き取れるけど話し方がわからないという状態だと俺は考えた。なんにせよ、俺が草原を歩いているときの独り言を聞かれてたっていうのは今思うと恥ずかしいな。
「これ、マノっていう肉なんだ。こっちはウルオっていう果物のジュース」
男の子は話を聞いているのかわからないくらい、むしゃむしゃと食べている。俺は男の子の方にジュースをずらして、朝ごはんを食べ始めた。マノの肉は朝にしては重いが、肉汁は体の隅々まで染み渡る味だった。付け合わせのホートもホクホクしていて美味しい。
「ちょっとそこのお二人さん、隣座っていいかしら」
女の声だった。たぶんあのテーブルに突っ伏していたデカい女だろう。
「ああ、いいよ」
俺は肉に夢中で、適当に返した。隣でテーブルを引きずる音がする。
「頼みたいことがあるんだけど」
俺は初めて顔を上げた。するとそこには金髪の長髪に赤いドレスを着た女ではなく、女装した男がいた。俺はお腹が満たされてないことの幻覚だと思って、肉を追加注文しようとした。
「時間がないの。肉なら後でごちそうするから、話を聞いて」
「あそこのカウンターにいる二人の男に気づかれないようにこれを貼って欲しいの」
そういってドレスの内側から、二枚の紙を出してテーブルに置いてきた。赤色の紙に不思議な流線型の模様が描かれている。裏にはノリがつけてあり、模様などは何も描かれていない。
「貼る場所はどこでもいいの、でも気づかれないようにしてね」
「質問していいか?」
「なんでそんないたずらをしなきゃならない。あんたがすればいいだろ」
「それに信用できない。もしかしたらグルかもしれないだろ」
「わかったわ。話してあげる。でも短くね。あの二人はお尋ね者で賞金がかかっているの。あそこにポスターもあるでしょ。ワタシの身内が襲われたから、それでずっと追ってきたの、でも薄々気づかれている。だからワタシには近づけない。だからあなたたちにしてもらいたいの。これを貼るだけでいいから。あいつらが確信していない今がチャンスなのよ。お礼もするからお願い」
男はテーブルに両手と額を置き、何もしゃべらなくなった。面倒くさいことになった。確かに壁のポスターにはカウンターの男たちの顔がある。賞金は一千セリとある。一セリは百ダビなので、えーと、なんと十万ダビにもなる。賞金首だということを知らなければ、ある意味幸せな気分でいられたんだが。動かない女装した男の金髪が俺の手にあたっている。俺が髪を手で払って席から立つと、男の子も立ち上がった。カウンターの男たちが一瞬こちらを見たような気がした。
「ごちそうさん。おいくらだっけ」
「えー、三十ダビになりやす」
俺が財布を取り出し開けると、中身が少し減っていた。旅に出てから一度も開けたことがないのに、五十ダビほど減っていた。俺は女装した男の方を見た。さっきと同じままの姿勢で動いていない。俺は気づかれないようにカウンターの方を横目で見た。男たちも変わらずに酒を飲みながら話している。
「はいよ三十ね。あとそこの二人にミグスカッシュを頼むこの手紙を添えてね」
「ええ、追加で二十ダビになりやすです」
「よろしくね」
店のドアから出てドアが閉まる音がすると緊張から解放された気がして、太陽の熱が体に流れてくる。
「こちら、とあるお客からのサービスになりやす」
「ん、サービスだって?」
「明らかに何か入ってそうで怪しそうだぜ」
「しかもおい、あの女いつの間にか消えたぜ」
「あと、こちらのお手紙を」
「手紙? なんだこれ、少しべたついてるけど」
女装した男がドアから出てきたとたん店内からものすごい音と衝撃が走ってきた。俺はドアに駆け寄った。
「おま、大丈夫か」
男の子と店の向かいで見ていたら、いきなり地響きのような音がした。男をどけて店の中を見ると冷たい空気が体に流れ、座ったままの姿勢で氷漬けにされ固まった男たちが目に飛び込んできた。驚いている店主の親父の少ない髪が白くなっている。
俺はとっさに男の子の方に走り、男の子を女装した男からかばうように両手を広げ立った。
「お前、本当は何者だ」
「いやね、何者だなんて」
「それにしても協力してくれてありがとうね、本当に感謝してるわ」
「質問に答えてくれ。お前は何者なんだ」
道の両脇にある店の屋根の影にお互いがいる。道の真ん中を照らす太陽の色が、互いの溝のように感じる。
「正直に話すとね、本命はあんな奴らじゃなくてそこの坊やなのよ」
「こいつは絶対にやらない。絶対に」
「あらあら、気が早いこと。違うわよ逆よ逆。坊やをホンデュミオンまで連れていきたいの」
「ホンデュミオン? どうしてだ」
「まあ知らないのも仕方がないことかしら。ホンデュミオンの宝のフェニックスの尾をその坊やが持ってるのだから」
「何言ってるんだ。証拠はあるのか」
「坊やの左手を見てみたら分かるわよ」
俺は振り返り、後ろにいる男の子の左手を優しく掴んだ。手のひらには謎の紋様が皮膚に焼き付いたように黒くある。
「ワタシ、ホンデュミオン一等魔術師のタントっていうの」
背後のすぐ近くから声がするが、俺は紋様から目が離せなかった。
「この子をどうするつもりだ」
「フェニックスの尾を返してもらう。それだけよ。とっても安全」
俺の肩に大きい手がふんわりとのしかかる。手からは選択とかそういうものは受け付けていないオーラを感じる。ホンデュミオンまで行くのなら目的は一致している。肩の手を払って、強く男の子の手を握った。
「わかった。だけど約束してほしいことがある」
「なあに、何でもいいわよ」
「何があってもこの子を守ること、だ」
「もちろん。命をかけてでも」
その日、がっちりした男と赤いドレスを着た男が、男の子を真ん中に挟んで町の通りを歩いていったのを、町の住人は不気味に思って一日を過ごしたそうだ。