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最終電車

作者: 錬金

 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 目を覚ますと電車の中には私以外誰もいなくなっていた。

 週末の仕事の終わり際に旧友から連絡があり、久しぶりに会って飲もうという事になったのが不味かった。

 散々愚痴を聞かされた挙句に解放され、やっとの事で最終電車に乗り込めたのだが慣れない酒を飲んだ上にホームまで走ったせいで酔いが回ってしまい、なんとかシートに座り込んだところで気絶するように眠ってしまった。

 都心から地方に向かっていく最終電車は私の降りるはずだった駅をとうに通り過ぎていて、どうやら後は終点の駅を目指すだけらしい。

 「しょうがない、終点で一泊するか…」

 溜息と共に誰に言うでもなくそう独り言ちると私は窓の外に眼をやった。

 終点は山麓の温泉街になっており、今日の私の様に終電で乗り越してしまった乗客を泊めてくれる宿屋もあると同僚が言っていたのを私は思い出していた。

 窓ガラスの向こうは暗闇で、見えるものと言えばガラスに反射する私の顔と反対側に張られた広告位だ。

 時折遠くに見える家の明かりが暗闇の中を後方に向かって流れていく。


 窓ガラスの中に動く影が見えた。

 

 正確には窓ガラスに反射した車内の中に、だ。

 振り返ると一人の男が立ち上がってこちらに来るのが見えた。

 どうやら車内に残っていたのは私だけでは無かったらしい。

 とりたててどうと言う事のない男だった。

 グレーのスーツに皴の入った白いワイシャツを着て、特色のないストライプのネクタイを締めている。

 役所の窓口の向こうにいて、役所から出る前に顔を忘れてしまう、そんな感じの男だった。

 「寝過ごしてしまいましたか。」

 男は私の方に近づいてくるとそう話しかけてきた。

 「いや、すいません。先ほど溜息をついてらしたので。」

 そう言って男は私の向かいの席を手で示し、座っても良いかというジェスチャーをした。

 断る口実もなく、私が肩をすくめると男は微笑んで私の向かいに座り、軽く会釈をした。

 「こうも寂しいとつい人と話をしたくなってしまって。」

 男は自分はタンザワだと名乗った。

 もっともそれが本名なのかどうかは分からない。

 私も自分の名前を告げ、しばらくは天気の事やお互いの仕事の事等たわいもない事を話していた。

 タンザワの仕事は設計士だった。

 「終点まであと10分ほどですね。」

 会話が途切れた後、ふとタンザワがそう告げた。

 その言葉を聞いて私は何気なく電車の外を見た。

 窓の外は相変わらずの暗闇で、終点にあるという温泉街は明かりすら見えない。

 「見てください。」

 不意にタンザワがそう言って窓の外を指さした。

 振り返って見てみるとタンザワが指さした先に電車の後部車両が見える。

 ちょうど線路がカーブに差し掛かり、電車の後部車両が見えるようになったのだ。

 前の方を見ると前方車両とつらなる窓の明かりが見える。

 見る限り私とタンザワの他に乗客はいないようだ。

 「こうして見ると、まるで巨大な蛇のように見えてきませんか?」

 タンザワは窓の外を見ながらそう聞いてきた。

 山地に入ってカーブの増えた線路を曲がりながら進んでいく姿は確かに蛇のように見えなくもない。

 「そうなると我々は蛇に呑み込まれているという事になりますね。」

 私の冗談めかした返しに、しかしタンザワは笑う事もなく向き直り言ってきた。

 「本当にそうだったとしたらどうします?」

 その様相があまりに真面目だったため、私はいささか面食らった。

 「もしこれが電車ではなく、本当に大蛇、ウワバミの類だったら?」

 タンザワは私に顔をよせ、囁くようにそう言葉を続けた。

 「大蛇は本当にいるんです、生きているんですよ。」

 「普段は山奥に潜んでいるのですが、たまに街までやってくるんです。」

 そう語るタンザワの顔は真剣そのものだった。

 「大蛇は最終電車に化けるんです。そうして乗客たちを呑み込んでいく。

 でも、全員を食べるわけじゃない。そんな事をしたらすぐに大騒ぎになってしまいますからね。

 そこが大蛇の賢い所なんです。」

 タンザワは言葉を続けた。

 「大蛇は普通の電車と同じように乗客を降ろしていきます。そうして終点も乗り過ごしてしまった乗客だけを本格的に呑み込むんです。

 私の父もそうして大蛇に呑まれました。」

 私は驚いてタンザワを見返した。

 タンザワはじっと私を見ながら話を続けた。

 「子供の頃、私は終点のある町に住んでいました。小さな町で、どの家からも歩いてすぐに駅に行けるような町でした。

 父親の職場は都会の方にあって、その日は終電まで返ってこなかったので私は駅まで迎えに行ったんです。」

 「線路沿いを駅まで歩いている時に眠った父親を乗せた電車が終点を過ぎていくのが見えました。

 電車を止めようと駅まで走っていった時です、それが大蛇だと気付いたのは。」

 大蛇は父親を腹に入れたまま山奥へと消えていきました。父親とはそれきり会っていません。」

 「町の人達は父親は失踪したのだと噂していました。会社の金を横領したのだと言う人まで出てきました。

 私の言葉を信じる人などいませんでした。

 しかし、私は見たんです。大蛇が父親を連れ去っていくのを。

 それから私は大蛇に連れ去られた父親を取り戻すために大蛇の事を調べ始めました。

 終電にも何度も乗りましたが今まで大蛇に出会った事はありませんでした。」

 そこでタンザワは電車の中を見回した。

 「でもようやく出会えた。

 気付きましたか?

 終点が近くなっているのに何のアナウンスもないのが?車掌が乗り越してしまう乗客がいないか見回りに来ていないのが?」

 タンザワの問いに私は自分が総毛立つのを感じた。

 確かにそろそろ終点のはずなのに全くアナウンスが無い。

 それどころか、いつの間にか床から伝わってくるはずの電車の車輪の振動すら消えている。

 今や電車は音もなく線路の上を走っていた。

 いや、這っていたのかもしれない。

 「大蛇は非常に慎重深い。」

 タンザワは言葉を続けた。

 「終点にもちゃんと停まります。あなたはそこで降りた方がいいでしょう。」

 あなたは、という私の問いにタンザワは微笑んだ。

 「もちろんこのまま腹の中にいたまま大蛇の巣に行きますよ。

 父親を捜しに行く千載一遇のチャンスですから。」

 その言葉を狂人のたわごとだと一蹴出来たらどんなに楽だろう。

 しかし、私にも彼の言葉に覚えがあった。


 私には年の離れた兄がいた。

 都市で大きな会社に勤めていた兄は毎日遅くまで働いていた。

 そしてある日、終電で帰るという電話を残して兄は消えてしまったのだ。

 忙しさのあまり失踪してしまったのだと町の人達は言っていた。

 しかし、前日に両親の結婚祝いに温泉旅行の予約をしてくると言っていた兄が失踪するとはとても思えなかった。

 両親は懸命に探したが何年たっても兄は見つからず、結局数年前に死亡届が受理されて私も兄は死んだのだと心の中で整理を付けていた。


 だがそれが大蛇の仕業だったとしたら…

 いや、そんな馬鹿げたことがあるのだろうか。

 今乗っているのはどう見ても普通の電車だ。

 気が付けば電車の振動だってちゃんと感じる。

 アナウンスが無いのは私が聞き逃したせいだろう。

 「終点が見えてきました。」

 タンザワの言葉に私は我に返った。

 窓の外を見ると電車が終点の駅のホームに到着した所だった。

 「さあ、行ってください。早くしないと大蛇が出てしまう。あなたまで私に付き合う義理はないのですから。」

 その言葉を聞いて私は不意に恐ろしくなった。

 大蛇にも、電車が大蛇であると信じ、その巣の中に行くと平然と言ってのけるタンザワにも。

 私は駆け出すように出口に向かい、閉まりかけたドアから何とかホームへとまろび出た。

 振り向くと電車が駅から出る所だった。

 またもや電車は音もたてずに走っていた。

 いや、這っているといった方が良いのだろうか。

 滑るように去っていく電車の窓の向こうにタンザワの横顔が見えた。

 タンザワ横顔からは何の表情も伺えず、まるでいつもの通勤電車に乗っているかのようだった。

 恐怖に駆られて改札を通り抜け、再び振り返ると電車の明かりが山の中に消えていくのが見えた。

 窓の明かりを光らせ幾度も曲がりくねりながら山を登っていくその姿は本当に鱗を煌めかせながら這っていく蛇そのものだった。

 私は駆け込むように一軒の宿屋に入り、まんじりともせずに一夜を過ごして早朝一番の電車で町へと戻った。

 タンザワとはそれ以来会っていない。

 タンザワという男が行方不明になったというニュースが新聞やテレビに載る事も無かった。

 あの夜の事はまるでただの夢だったのかと思う程に世間は変わらずに動いており、人々は電車に乗って家に会社にと向かっている。

 私はその後会社の近くに引っ越し、電車に乗る事はほとんどなくなった。

 会社から家に向かう途中にある踏切では今日も家路に向かう乗客を乗せた最終電車が通り過ぎていく。


読んでいただきありがとうございました。

夜に踏切を待っている時、乗客を乗せた電車が通り過ぎていくのを見て思いつきました。

楽しんでいただけたら幸いです。

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― 新着の感想 ―
[一言] しっとり良い落ち。 落ち着いて読めました。
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