アニメ小説とはこういう事なのかもしれない ~なろうが産み出した新たなる小説の形 、四人称(三人称と一人称のごった煮)
今回不思議に思っていた事柄の理由がなんとなく分かった気がして、エッセイに書いてみました。
とある作品を読んでみたのですが、三人称と一人称が一話の中において交互に混ざるタイプの作品でした。
最初は三人称単一主人公視点とかの特殊人称かと思いましたが、それとも違う様でただ単に混ぜ込んでいるだけでした。
小説の人称の書き方としては、やってはいけない事をやっています。
私個人の意見ですが、読みにくいと感じます。
しかし作品の感想欄を覗くと、他の読者からは凄く読みやすいと書き込みがあり首を捻りました。
その作品を私が読む時は、三人称と一人称の視点移動を頻繁に行わなくてはいけません。頻繁過ぎて作品の内容が頭に入ってきませんでした。作品の内容が面白いとか以前の問題です。
何故そんなに個々の感想に違いが現れるのか、不思議に思い考えてみました。
その結果分かったのは、私は普通の小説の読み方で読んでいる。
そして読みやすいと言っている方々は、三人称をアニメのナレーションの様に扱い、一人称をアニメ声優さんの心の声の様に扱い、自分の視点は固定させたままアニメ鑑賞視点ともいうべき状態で読んでいるという事でした。四人称(三人称と一人称のごった煮)とでも呼びましょうか。
その様に考えるとアニメで、ナレーションと主人公の心の台詞が交互に出ても気になりませんよね。たぶん彼らがこのエッセイを読んでも、私が何故頻繁に人称視点移動しなければ作品を読めないのか理解しずらい筈です。
まあ、巷でアニメ小説と呼ばれる物が流行り始めているとは聞いてましたが、遂に小説の基本的なルールを超える作品が出て来た様です。
あと十年もしたら、このタイプの小説が主流になっているかも知れないですね。
そして偏見かもしれませんが、他にも気がついた事があります。
私が三人称だけや一人称だけで書かれた小説を読んでいて思った事ですが、珠に作者さんが話を強引に動かしてしまい違和感を凄く感じてしまう時があります。
そして感想欄を覗くと同じ様に感じた人もいて、違和感を感じたとコメントしていたりします。
しかし、そのコメントのすぐ傍に面白かったですとコメントしている人もいたりします。
そこで思った事は、先程のアニメ鑑賞視点で作品を読むと違和感を感じにくいのではと推測しました。
私の様に三人称や一人称で作品の中に疑似ロールプレイをすると、先程言った違和感を感じやすくなり。
アニメ鑑賞視点では、あくまで鑑賞ですから感じにくいのではと推測しました。
まあ、あくまでも偏見に満ちた推測です。でも、もしかしたら貴方が違和感を感じる作品を純粋に楽しめるのは彼らかもしれません。何しろ私達とは、全く別の視点から作品を読んでいるのですから。