彼女の魂の在処
今回はリリとユリエの出番は殆どありません。
でも、二人にとって今後重要になる人物のお話です。
グリンドール王国のある森はもっぱら「大森林」とだけ呼ばれているが、本当は「永き佳き緑の友等の謡い集う大いなる森」という正式名がある。
長いから、という尤もな理由で省略されるのが常で、お城の役人や貴族でもないと知らない事は珍しくない。
そしてもうひとつ一般にも知られている呼称を「長生族の大森林」と言う。
「長生族」は大森林の深いところに集落を作って暮らしている。特徴としては総じて美貌で特徴的な長い尖った耳を持ち、スレンダーな体型をしていて、魔法に長け、理性と学問を尊び、平均寿命が数百年と長命である事だ。
大森林に接している国はグリンドールだけではないのだが、彼らの使う“森の路”の主なところがここに繋がっているという事で、エルフが他国に出る際に最初に来る事が多い。
大国の首都でも珍しい種族なのだが、そんな理由でグリンドールでは一般にも「時々来る人」程度に認知されている。
そんなエルフの中でも年若に入る彼女、ディーがグリンドールにやってきたのは、森が紅く色付く季節だった。
腰まで伸びた金糸の様な髪、緑玉の瞳を持つ彼女は、草色の服に優美なラインの皮鎧を付け、背に美しい草花の装飾を施した弓と矢筒を背負っている。
ディーは腕の良い狩人であり、あまり外に出ない者が多いエルフの中では比較的他国を旅する事のある娘だった。
町を歩くともの珍しげな視線を感じるが、それに悪意はなく、何度か訪れているこの国の人々の気の良さを知っている為不快には思わない。
それよりも、あちこちに見られる子供達の元気な姿を微笑ましく見ていた。
エルフは長命である上に、出産可能年齢も長いため、あまり結婚して子を成すという事を急がない。種族的に出生率が低い事もあって、里では幼い子供というものがとても珍しい。
実際、ディーは今まで自分より年下のエルフに会った事がなかった。
初めて人族の国に来て幼子を見た衝撃は忘れられない。まるで仔熊のように小さく、短い手足でよたよた懸命に歩く、その可愛らしくもいじらしい姿に気絶しそうになった。
小さく、か弱く、けれど命の輝きは一際強い。
これほどまでに尊く、愛おしい存在があるだろうか?
それ以来、折に触れディーは人族の国や獣人族の国を旅するようになった。
今回は、森と探求の神カウア・グッティの祭司長である緑の巫女姫から、トゥンケーン聖国の崩壊についての情報を調べるようにとの命を受けての事だ。
“真実の裳裾は複数の目で見定めてこそ姿を見せる”との格言通り、彼女を含め九人のエルフが主な調査に当たっている。また、期日を設けられてはいない為、緊急性は低いのであろうと判断して、彼女は以前立ち寄った感じの良い宿屋に暫く寄る事にした。
値段の割に食事も美味しく、建物はいささか古びてはいるが清潔で、女将の妹夫婦の子だという兄弟がこれまた愛らしかった。
共働きの両親にかわって、自分も幼いのに更に幼い妹の面倒を見るのだと頑張っている兄のいじらしさ。
まだ覚束ないながら、一生懸命おしゃべりする妹。
思い出すだけで頬が緩む。
ほんのりと空が茜色に染まる頃、ディーは金の子豚亭に着いた。
「いらっしゃい、今回もお泊りで?」
「お久しぶり、今日は猪肉の良いのが手に入ったから、シチューがお勧めですよ!」
笑顔の亭主と女将が、笑顔で声をかけてくる。自分が珍しい部類に入る客だと分かっているが、やはり旅先で覚えて居てくれる者がいるのは嬉しい事だ。
「ええ、取り敢えず三日ほどお願い。
前にいただいた女将さんのシチューは本当に美味しかったわ。今から夕食が楽しみね。」
部屋の準備が整うまで、取り敢えずお茶を頼んで食堂の席に着く。
ディーの登場に驚いていた他の客達は、そこで漸くさわさわと彼女を見やって仲間と話始めた。本人達はこちらに聞こえないように気を遣ってるつもりだろうが、人族よりはるかに耳の良いディーからすれば丸聞こえである。
「はぁ、俺エルフの人見んのは初めてだわ。」
「俺ぁ前に遠目で見た事有るけども、こんな近くでお目にかかるなぁ初めてだ。」
「いやぁ、噂通りえらいべっぴんだけど長えんだなー。」
「長い」それはエルフが最もよく言われる形容詞だ。
「長生族」の名の通り寿命が長いのは勿論、特徴的なのは耳だが、手足も長い。エルフは人族に比べて長身で、ディーも2m30cmある。
全体のバランスが取れているので変とまでは言われないが、まぁ全体的に長いというのは否定しない。
そして風習として、男性も女性も程度の差はあれ髪を伸ばす事が多い。
ついでと言っては何だが、実は名前も長い。
自分の名前の後に親、祖父母、曾祖父母の名前を連ね、最後に家名となる。
例えば、ディーのフルネームはディー(本人)・ドナティーラ(母)・リッテロージュナッサ(祖母)・トヴァラシュティカナーシャータ(曾祖母)=ショーヴァーイティオハリークォ(家名)である。
名乗っても、まず一回で覚えられる事は無い。
最近はエルフの中でも、あまり名前が長すぎるのはどうかという事で短い名前を付けるのが流行っている。と言うより、昔は長い名前ほど良いとされていて、連ねる先祖の名前も判る限り全部だったらしい。
それを聞いた時は、名前を短くした者の英断に拍手を送りたくなった。
それでも、他種族からすれば十分長いので、手続き等でフルネームでなければならない場合でもなければディー=ショーヴァーイティオハリークォと名乗り、ディーと呼んで貰っている。家名が長いのは流石にどうしようもない。
因みに、エルフというのも略称である。
正式には、エンヤクォーラドゥークォイーシュヨ・ルーンプアッタルントゥッタ・フーガシューウメェイエマジーデイ、「遙かなる緑涼やかな風と木漏れ陽の煌めきに微睡み、真理の探求と学びをこそを尊び森を愛し友とする永き民」という意味になる。
――――正直、先祖の方々には少々物申したい。
「伯母さんただいま! トマトはケント爺さんの店で良かったんだよね?」
「お帰り、二人ともお疲れ様。そうだよ、トマトだけはあそこじゃなきゃね。」
「ただいまです。トムさんのところでおまけにリンゴを貰いました。」
「おや、良かったねぇ。夕飯のデザートにしたげるから裏の井戸で冷やしとくと良い。」
丁度、女将の甥っ子達がお使いから帰ってきたらしい。
この宿に逗留を決めたのは、家庭的で暖かい雰囲気と、食事が美味しかった事ではあったが、それにもまして以前会ったこの子等が大変可愛らしかったというのがある。
声のした方を向けば、最初に目に入るのは兄のロビン。
ふわふわの柔らかい茶色の髪は変わらないが、随分背が伸びた。
洗いざらしの清潔な白いシャツにモスグリーンのベストがよく似合っている。面差しも、まだ子供らしい丸みはあるが、すっかり「お兄ちゃん」が板に付いていた。
そしてその傍らには妹のリリ。
優しいエメラルドグリーンのワンピースに生成のエプロンドレス。肩に掛かる、兄と同じ柔らかい茶色の髪を束ねた薄紅色のリボンが、春の森に咲いた野の花の様に揺れている。
ちょっと舌っ足らずだが、見違えるように喋れるようになっているのが嬉しいような、寂しいような。
そして、その傍らに――――――――?
「あ、前に泊まりに来たエルフの、ディーさん?」
こちらに気づいたロビンの声に、愕然と動きを止めていたディーは、思わず座っていた椅子を蹴立てて叫んだ。
「萌えキタ――――――――――――――――ッ!!!」
「…え?」
長い寿命の大半を、心身ともに充実した壮年のまま過ごすエルフは、まずその長い時を己の「魂の在処」に使う。穏やかで理知を尊び、森と探求の神を奉ずるだけあって、自分の琴線に触れ、魂を形作る何かを探し、見出したそれをひたむきに愛する。時に寝食を忘れる事もあり、魔法術式の解明と生成に自らの魂を見たエルフは、実に500年の間研究室から一歩も出ずに研究を続け、今日のあらゆる魔法術式の祖となるいくつもの優れた術式と共に歴史に名を残した。
また、生き物の根幹とも言える「食」に己の魂を見出したエルフは、その寿命尽きる瞬間まで世界中の食べ物を食べ歩き、「タトゥーミの世界グルメ旅行記・全二万八千三百四巻」を残し、今だ世の美食家が最も尊敬する偉人の一人として挙げられている。
要するに、エルフは総じてオタ気質な者が多かった。
ディーの家系は、多少の系統の違いはあれど主に服飾に強く関心を抱く傾向がある。
その例に漏れず、幼い頃から母から手芸を習い、自分の服を作れるようになるまでにそう時間はかからなかった。少し大きくなると、何だか自分の好みの服が似合わなくなってきて寂しく思ったが、家族や友人達に服を作って喜んで貰うのは好きだった。
人族の国で幼い子供らを見て、自分の好みは子供服なのだと判った時は長らく引っかかっていた胸のつかえが取れた思いがしたものだ。
エルフと違って人族や獣人族はあっというまに成人してしまう。だが、だからこそ短いその貴重な時を飾り、着た者の心躍らせる服を作る事こそ「魂の在処」だと思っていた。
よもや、それが覆されるとは思わなかった。
いや、勿論子供服は好きだ。作りたいし、着せたいし、笑顔を浮かべて貰ったなら天にも昇る気持ちになるだろう。
だが、リリの隣にちょこんと立っていた、人形。
手で梳けば水のように流れるだろう黒髪と、雪のような白い面に花びらのような紅い唇。エキゾチックな面差しと、それに実によく似合う、いくつもの色彩で鮮やかに模様を描いた見た事もない衣装。
それは小さな子供の、更に小さな雛形。
永遠の童女。
幼い頃の思い出を、幾世代にも渡って留めておく夢の欠片。
ああ 見つけた これこそが 私の魂の在処
「まぁ、ユリエちゃんっていうの? 素敵な名前ね、よく似合ってるわ。私はディーよ。よろしくね。」
「魔道人形ですって? 自分で動けるなんて凄いわ。まぁ、ご挨拶ありがとう。なんて可愛らしい仕草なのかしら。」
「素敵な衣装ね、初めて見るわ。私、服飾の…色んなお洋服を作る勉強をしているの。良かったら、ユリエちゃんの衣装を研究させてもらえないかしら? 勿論お礼はするわ。私の作った衣装や飾りになっちゃうけど…あ、これリリちゃんとロビン君に作ってきた新作ね。でもユリエちゃんにもお揃いの色合いで揃えたいわね。そうそう、この間良いレースが手に入ったの。どう使おうか迷っていたけど、ユリエちゃんと並んだリリちゃんを見て閃いたわ! モスグリーンのベルヴァ織りの生地に金糸で刺繍をいれてお揃いの衣装なんてどうかしら? 刺繍はお花? いえ、小鳥も良いわね。それから……」
もはや誰にも止められないディーを、ロビンと食堂の連中は生暖かい目で見ていた。
思えば、初めて会った時も大層テンションが高かったが、今回はそれ以上だ。
笑顔なのだが、目が爛々としていて、正直恐い。
心なしか、あのユリエもちょっと引いている気がする。
エルフというのは大体は穏やかで理性的な態度を崩さないのだが、彼ら曰く「魂の在処」の事にだけは自制が働かない。
そうなってしまったエルフに関しては、害がない限り「そっとしておく」しかない。
部屋の準備を整えて戻ってきた伯母さんも、「おやまぁ」と言ったきりそのまま仕事に戻った。
リリも今のところ嫌がっていないし、むしろディーさんが作ってきてくれた服に素直に喜んでる。夕食の時間になったら止めに行くとして、それまでは放っといて良いか。今ヘタに近づくと巻き込まれるし…。
そうして、ディー=ショーヴァーイティオハリークォが、トゥンケーンの調査という使命を思い出すのは何時になるか、神々のみぞ……知れなかった。
お針子Getだぜ!