彼女の現況
無事新たな持ち主に巡り会えた、彼女の現況です。
由緒ある市松人形である私がこの異世界に召喚されてから、ふた月は経っただろうか?
まだ暦がよく判らないから確かではないけれど、大体そのくらいだと思う。
今の持ち主であるリリは可愛らしい良い子だ。最初が悪かったから、次の縁に恵まれたのは幸いだった。裕福ではないものの、おしゃれが好きで、出来る範囲で精一杯身なりを整えているのが微笑ましい。薄茶の柔らかな髪は、寺院で良く隣に座っていたキャサリンを思い出す。彼女は氷のように美しい蒼い瞳だったけど、リリの暖かい萌葱色の瞳もとても素敵。
兄のロビンもなかなか良い子だ。妹思いで、この間など私とリリにと桜に似た薄紅の花の枝を持ってきてくれた。男の子の贈り物としては上出来だと思う。
思い出すのは、以前の持ち主の弟がくれた蝉の抜け殻……も、勿論!無碍になんてしなかった。純粋な好意なのはわかったし、これでも子供には優しいのよ?
この間リリに危害を加えようとした愚か者だって、四肢をねじ切ってやろうかと思ったけど、あまり刺激の強いものを見せてはいけないから随分穏便に追っ払ってやった。――――いやだ、今になって手ぬるすぎたんじゃないかと心配になってきたわ。あの手の輩は訳の解らない逆恨みをする事があるもの。またあんな事があったらリリが怖がってしまう。追加でもう少し祟っておきましょう。
あの後、二人のご両親もとても心配していた。
伯母殿の旅籠がそばにあるとはいえ、昼間お勤めで子供を見られないのを普段から気にしている様子だった。でも、良いご両親なのだろう。リリもロビンも愛情をしっかり受けて、愛されている事を理解しているように見える。
それでも寂しい少女の心を慰めるのは人形の本領。しっかり守って見せましょう。勿論ロビンも。
――――それにしても、私に「ユリエ」と名付けるなんて。
この世界の黒い木の実からとった名前であって、あの花を知る者なんて居ないのだろうけど、私の元々の名前は「百合江」。
だからとても驚いて、とても……嬉しかった。
いつだか、キャサリンが「百合」をお国の言葉に直すと「リリィ」というのだと教えてくれた。
「リリ」という名前も素敵な偶然。
初めこそとんでもない所だと思ったけれど、結構、この世界も悪くないかも知れない。
そうそう、この世界には私にとって随分都合の良い物があるらしい。
そろそろ髪も伸びる頃だし、昨日うっかりカーテンを閉めに行ったところをリリはともかくロビンに見られてしまった時はどうしようかと思ったが。
「へぇ、魔道人形なんて初めて見たわ~」
「こらたまげたもんだ。魔道師っちゅうのは火の玉で戦ったりするだけじゃなくて、そんな事もできるんだなぁ」
「ええ、前に貴族のご令嬢の誕生祝いに作られた、音楽に合わせて踊る魔道人形を見たことがあります。遙々アーティスタの魔道師に頼んだとか。けれど流石魔道王国と言われるだけあって見事な品でした。」
その日の朝、金の子豚亭の食堂に対照的な顔色の兄妹が「人形が動いた」と言ってやってきた時、そんなばかなと笑う大人達の中で、それは「魔道人形」というものだと教えてくれたのは、しばらく姿を見せなかった元・トゥンケーンの行商人をしている青年だった。
「他にもメイドの代わりにお茶を運んでくれるものなんかがあって、この人形は子供のおままごと用といったところでしょうね。」
「ほお、そりゃ豪勢な玩具だ。しかし、そうすっとこりゃ相当の値打ち物なんじゃないのかい?」
常連客の言葉に、喜びに輝いていたリリの表情が曇る。
今のところ取りあえず所持を許されているだけで、厳密に言えばこの「魔道人形」はリリの物ではない。あまり高価なものであれば、流石にしかるべき所に保管されなければならないだろう。
ガリッ
「…って!舌噛んだ!」
「うわ、凄い音しましたけど大丈夫ですか? っと、リリちゃんそんな心配そうな顔をしなくても大丈夫だよ。随分へ…いや、個性的な服を着ているし、魔道人形といっても駆け出しの試作品か何かじゃないかな。しかも随分古びているし、宝石もついちゃいない。高価と言えるような物じゃないさ」
その言葉にほっとするリリ。来た時顔色が悪かったロビンはまだ微妙な顔をしていたが、妹が悲しむ事態にならなそうな事には安心したようだ。
「それに、見たところその人形はリリちゃんを持ち主と決めているようだよ。その手の人形はいくらお金を積まれても、気に入らない主人のところには行かないんだ。自分で持ち主を選ぶんだよ。もう大分一緒にいるんだろう?きっとリリちゃんの事が気に入ったんだ。」
「だから、その人形はリリちゃんの人形だよ。」
それは、リリが一番聞きたかった言葉だった。
不思議な“うんめい”を感じてはいても、それは自分の勝手であって、持ち主がいるのなら返さなければならない事は解っていた。いつ来るともしれない別れへの怯えは、天真爛漫に振る舞っていても、どうしても拭えなかったのだ。
「お兄さん、ありがとう!」
曇りの消えた輝くばかりの少女の笑顔に、青年は満足そうに頷いた。
周囲の大人達も事情を察したのか、人形を抱えていない方の手を大きく振って出て行く兄妹を微笑ましく見送る。
「しかし行商でいろんな国をまわってるだけあって、若いのに博識だねぇ」
「いやぁ、僕なんてまだまだで…」
「いやいや、大したもんだって! 子供のおままごと用の自分で動く魔道人形なんてもんがあるなんて、俺らなんぞ知ってるどころか思いつきもしねぇよ」
「ちげぇねえ」
そういって笑いあう常連達に、気恥ずかしそうな表情を顔に貼り付けたまま、青年は――――背中を脂汗でぐっしょりと濡らしつつ――――ようやく、深い安堵のため息を吐いた。
今や元・トゥンケーン聖国の行商人であるテオは、国が無くなる未曾有の事態があった時、幸いにも他の国へ行っていた。父母は既に亡く、親戚とも疎遠で――――それというのもテオの母が西の遊牧民族の出であるために――――とんでもない事になったという話を聞いて戻ったものの、どこも混乱していてまともな情報は全くと言っていいほど手に入らなかった。
とにかく、国に残してあった少ない資産をかき集められるだけかき集め、脱出して最初にやってきたのがここ、グリンドールだった。
少々複雑な環境で育ったテオはこの国がとても好きだ。
大した儲けは出ないが、暖かく、素朴な人々と交じっていると、今は遠い家族との団欒の記憶が思い起こされた。
だから、トゥンケーンから流れた者が随分迷惑をかけていると知ってひどく苦々しく思ったが、彼を知るこの国の人たちはそんな事など無かったかのように、いつも通り暖かく迎えてくれた。
そうして、テオは一層このグリンドールという国を大切に思うようになったのである。
王都での常宿になっている金の豚亭の食堂で朝食をとっていた時、首の後ろに一瞬妙な気配が走った。
両親も親方も居ない若いテオが行商としてそこそこやっていけてる理由に、所謂カンの良さがある。
儲けに関してはほとんど働かないが、何か致命的な損失や危険に関して不思議なくらい当たった。
そして、顔見知りの女将の妹の子供達がやってきた瞬間、テオの全身に鳥肌が立ち、脂汗が頭のてっぺんから吹き出した。
ア レ は ヤ バ い
妹の方が抱えている見慣れぬ体の人形。
テオのカンが大音量で退避勧告を出すが、同時に1ミリたりとも動いてはならないと全身をガチガチに拘束してくる。
そんな、どうしろっちゅーねんという状態の中、なんとか子供らの話を耳から脳に突っ込むと、彼のカンはまるで偉大なる天啓のごとくお告げを下した。
と に か く ゴ マ カ せ
ア レ あ の 子 か ら は な す ダ メ
ゼ ッ タ イ
テオは頑張った。多分生まれてから一番頑張った。
彼の持つスキル全てを限界までぶっこみ、さりげなく無理なくアレは何の変哲もないただの子供用の魔道人形で今は名実ともにリリちゃんが持ち主なんだヨーという流れにこじつけた。
貴族のご令嬢の誕生祝いに、踊る魔道人形が作られたのは本当だ。
お茶を運ぶ魔道人形の事も。
但し、ご令嬢は未来の王妃と目される公爵家の末娘で、魔道人形は制作に五年を掛けた特注品。メイド人形は好事家で知られる豪商の屋敷で見たもので、それも、部屋の入り口で人間のメイドが人形のお盆に紅茶を乗せ、それをまっすぐ歩いて持ってくるだけだった。
間違っても自律して勝手にカーテンを閉めに行ったりするとか無い。
魔道人形はそもそも決められた動作を行うだけのもので、あまり複雑な事は出来ない。
やろうとすればとんでもなく高度な術式と、超高品質の魔石やらなんやらが必要になる。
自律しているように見える様な物を作るとなれば最低でも国家予算レベル。
意志を持ち、自ら主を選ぶ魔道人形なんてお伽噺だ。
だが、このグリンドールで本物の魔道人形にお目にかかる者などまず居ない。存在すら知らない者が大半なのだ。故に、この嘘がバレることはそうそう無い、筈だ。
多分人生最大の危機を乗り越えたテオは、生きている事のすばらしさを噛みしめつつお茶をすする。
今回の事でなにげにアレと奇妙な縁が結ばれたような気がするが、気のせいだ。
強 ク 生 キ ロ
従って、天啓が慰めるように降りてきたのも気のせいに決まってる……といいな、と思うのだった。
書いてるうちに色々ふくらんできた行商人のテオさんです。
多分これからも関わる事になるでしょう。
合掌