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5日目 心の複素量 - deep circulation -

 散り散りになっていく大人達の背中を観察する。特にテオに注意を払っている様子はない。

 スモモゴケの群生地を見るのは当然初めてだった。きっといつもの自分なら、喜んで辺りを駆け回っては植物を眺めたりしているのだと思う。今は微塵も楽しい気分ではない、テオはここで消えないといけないのだから。

 周囲を見て回る振りをしながら、ちょっとずつバウマン達から離れていく。群生地の先は森になっていて、その先がどうなっているのかまではわからない。

 森へ行こう。

 そろそろと足を森へと向ける。うろうろと適当に歩き回っていればその内森の外が見えなくなって、道を見失って……ぶるりと肩を震わせた。自分で決めた事じゃないか。さあ、森の中へ行こう。

 それでも群生するスモモゴケが見えなくなってしまうのが怖くて、ぼんやりとした森の輪郭に沿ってとにかく歩き回る。

「うわ……」

 突然足場が崩れた。

 悲鳴を上げるよりも先に、体が滑り落ちていく。何かに捕まろうと手が空を切った。反射的に目をつぶり、体を丸める。

 妙に自分が軽くなったようなふわふわした感覚が一瞬、すぐに尻をしこたま打ちつけた。恐々と目を開くと、テオは下草の茂った薄暗い影の中にへたりこんでいた。


 何か物音が聞こえたような気がして、バウマンは顔を上げた。

 何かが足りない、そんな違和感を覚える。

 依頼をこなすには十分な量のアバイヴの葉は取れた。それを収めた皮袋を自分のバックパックに放り込み、せっかくだから他の植物も採取していこう。そういえば~~の根は残りが少なかったな。テオが持ってきた瓶の中には、もう数本しか残っていなかったように記憶している。

 ……テオ?

 そうだ、テオの姿が見当たらないんだ。

 ハッとなり、バウマンは先程物音が聞こえてきた方を見遣った。木々の多い茂る森が広がるばかりだ。


 四つん這いになり、先ほど自分が滑り落ちてきたとおぼしき土壁にへばりつく。空を仰ぐと、随分と遠くに壁の崩れた跡が見えた。

 ボク、あそこから落ちたんだ。

 膝小僧を抱えて座り直す。テオが崖から落ちた事にバウマンや他の二人は気がついただろうか。気が付かれなかったら、テオはこのまま置き去りにされるのだろうか。

 違う、ボクは自分でバウマンの前から消えようと決めたじゃないか。これは絶好のチャンスなんだ。

 怖くて不安で体が痛くて、涙がこぼれ落ちてきそうな自分を誤魔化すように、膝頭に顔を埋めて小さくなる。

 ボクはこのまま誰にも見つからないように、小さくなっていればいいんだ。

 小刻みに震えながら背中を丸めていたテオは、ふと耳に飛び込んできた声に顔を上げた。

「テオ! そんなところにいたんだね。今すぐ助けるからじっとしていなさい」

 妙に近くでバウマンの怒鳴り声がする。

 何で? ご主人様は何でボクを呼んでいるの?

 左右を見渡してから、ようやく空を見上げた。バウマンが身を乗り出して、こちらを見下ろしているのが分かった。

 ご主人様! と返事をすると、バウマンは安心したように大きく頷くと一度崖の上に引っ込んだ。

 状況が掴めないままに頭上を見上げていると、再びバウマンが姿を現した。そして今度は崖に取り付いた。降りてくるんだ。

「ご主人様、きちゃダメです! 危ないです!」

 腰に縄を巻き付けたバウマンが、危なっかしい足裁きでゆっくりと土壁を降りてくる。傾斜が緩やかなところでも何回も足を踏み外し、その度に見上げるテオは身を縮める。

 足場が垂直近くになった辺りで、遂にバウマンの体が滑り落ち始めた。しばらくは出っ張りに何とか手を掛け、ずるずると体を擦りつけるように降りてきていたが、もう一度足を踏み外したところでバウマンの体が空に浮いた。

 腰に巻いていたはずのロープが、青い空を背景にくねくねと踊っていた。

「ご主人様!」

 悲鳴を上げて、すぐ近くに落ちたバウマンに駆け寄る。下草が多少のクッションにはなってくれたようだが、体を起こすその動作はとても緩慢で、どこか怪我を負ったに違いない。

 テオの手も借りて、ようやくの思いでバウマンは上半身を起こすと崖にもたれ掛かった。

「テオ、大丈夫かい? テオ……イテテ」

 テオを呼ぶバウマンの声が酷く弱々しく聞こえて、ぎゅっと心臓を鷲掴みにされた気がした。

「ご主人様、どうして……」

 崖から滑り落ちたとはいえ、小柄で軽いテオは大した怪我は負っていなかった。四肢に打ち身の三つ四つはできただろうが、擦り傷もほとんどない。出発前に着せられた分厚いクロースのおかげだった。

「そりゃあ何たってテオ、君は私の家族だからね。しかし、こうして落っこちてから冷静になってみると、アッシュさんとライナルト君の二人に任せれば良かったと思うがね」

 はははとバウマンは一頻り笑い、痛みに顔をしかめた。

「かぞく……」

「年甲斐もなく、後方支援職が無理をして前線に立つものではないなあ」

 口の中でバウマンの言葉の欠片を繰り返す。

 かぞくってどういうこと? ボクとご主人様が家族? この人は何を言っているの?

「あの。どうして……どうしてご主人様はそんなことを言うんですか。ボクなんて何の役にも立たないし」

 ぽろりと本音がこぼれ落ちた。バウマンの傍らにぺたりと座り込み、地面の上で拳を握る。

「ボクなんてご主人様の手伝いもできないし、何をしたって上手くできないし。それに、ランザート人だし……ボクなんて、生きてる価値ない……だからご主人様は、ボクを世界樹に捨てていくんだって」

 このときボクは初めて、一度溢れ始めると言葉も止めどなくこぼれてしまうことを知った。

 ぐっと唇を噛みしめた。涙がこぼれ落ちないように、頑張って耐える。

 それでも、ずっとずっと澱のように降り積もった不安を吐き出してしまったら、驚くほどに心が軽くなった。余りにも思っていたことを吐き出しすぎてしまって、顔を上げられない。

 俯いたまま耳をそばだてていると、そうかあ大きく一度だけ、バウマンがしみじみと溜息を吐いた。それからわしわしと乱暴に頭を撫でくり回された。

「テオはそう思っていたのだね。……そうか、だから保険を掛けて子供を殺すなどという話をしていたのか。ライナルト君やアッシュさんにも、お前がこの旅を楽しいと思えるように色々とフォローしてもらっていたのだが、中々上手くいかないものだなあ」

 脂汗が浮かび始めた額を一撫で。その顔色の悪さにぎょっとしながらも、テオは声を上げられない。

「お前を連れてきたのは、もっとお前と色々話がしたかったからなのだよ。館にいると私も研究室という逃げ場があるし、なんだかね、気まずくてね。それであの二人に護衛をお願いしたんだ。彼らなら実力も確かだし、こちらの事情もある程度はわかってくれているからね。その何だ、私はお前を養子にしたいと思っている。養子、わかるかい? 私の子供だよ。私がお前を闇市で引き取ったのは、家族が欲しかったからなんだ。もちろん友人たちには、奥さんをもらって自分の子供を作れと言われたよ。だがね、私のような甲斐性なしには奥さんを探すなんて考えられなくて。それであの闇市で子供を探したんだ」

 闇市での出来事がテオの脳裏に浮かぶ。無遠慮な沢山の視線を思い出すと、今でも肌が粟立つ。よくわからないけど、すごく嫌なところだった。バウマンの視線だけは嫌な感じがしなかったことも覚えている。あんな目でテオを見てくれる人のところになら、行ってもいいとぼんやりと思っていた。

「何で、何でボクを選んでくれたんですか?」

「そうだなあ、何でかなあ。すごく不安そうな目で私を見つめてきたから、かな。お前がランザート人だからという打算もあったさ。魔法の素養がある人材なら、私の研究の助けにもなるだろうってね。まあ、それは私なりに人を買うという背徳行為への正当化だったのかもしれないが」

 ふうふうと荒い息使いが聞こえてくる。

 大変だ、早く手当をしないと。アッシュさん、早くボク達を見つけてください。そうしないと、ご主人様が……ご主人様が……!

「だからね、テオ」

 語り掛ける声が掠れ、どんどん小さくなっていく。

「これからは私のことを、『父さん』と呼んでくれないか。私とお前は親子なんだから」

「は、はい……わかりました、父さん」

 蚊の鳴くような声で答えると、バウマンは満足そうな笑みを浮かべて頷き、そして目を閉じた。

 大変だ! 早く、誰か助けて……

 違う、助けを呼ばないと。でもどうやって?

 ふと、先日アッシュと交わした会話が頭に浮かんできた。

『風を捕まえる力を封じた石だ。ウインドボイスぐらいの魔法なら、きっとすぐに使える』

『己の声を風に乗せて、遠くまで飛ばすことが出来る魔法だ』

 はっとなり、胸元を押さえる。アッシュから貰った石は、首から掛けて大切に胸元にしまってある。

 風に声を乗せることができれば、崖の上にいる二人に助けを求めることができる。

『いいか、まずは風に乗せる言葉をしっかりと頭に刻め。それから、こいつごと石を握り締めて集中する。風に乗せて自分の声を遠くに飛ばすイメージを作るんだ』

 落ち着いた声が耳元で再生される。言葉をしっかりと頭の中で考える。

 助けて、崖から落ちちゃったんだ。ご主人様が怪我をしてるから、助けて。

 それから石を力一杯握りしめる。

 そこから先はどうすればいいのか、もうわからない。でも必死になって手に力を込めると、握りしめた石が温かく……どんどんと熱くなり始めた。

 お願い、ご主人様を助けて。助けて。誰か、助けて!

 熱を帯びた石が、熱くて熱くてもう握りしめていられない。

 ぎゅっと力一杯瞼を閉じ、まるで熱湯の中に突っ込んだかのようにじんじんと火照る両手を、もう一度力を振り絞って握りしめる。

 ぽーん、と不意にすべての熱が頭のてっぺんから飛び出した。かんかんに沸かしたやかんの蓋を開けたときに、一気に蒸気が天井に沸き立った時のような感覚だった。

 手のひらにわずかに残る熱を不思議そうに眺めていると、

「おおぉい! 大丈夫かあ」

 わわわああんと、そこだけ時間の進みが遅くなったかのような、間の抜けた声が空から降ってきた。なんだか、世界がぼんやりしているような気がする。

 のろのろと視線を自分の手のひらから引き剥がし、すぐ傍らへと向ける。眉根を寄せた、厳しい表情のバウマンがそこにはいた。


 テオの放ったウィンドボイスに気が付いたライナルト達の手で、それから間もなくテオとバウマンは崖の下から助け上げられた。

 バウマン達の姿が見えないことを不審がりつつも、テオと二人だけにして欲しいという事前の打ち合わせ通りに、二人の冒険者は彼らを捜すことなく、のんびりと周囲の警戒だけをしていたそうだ。

「テオのウィンドボイスがなかったら、私達はずっと気が付かなかったかもしれない」

「まー、流石にほったらかしたまま街に帰還したりはしねえけどさ。バウマンさんは危なかったかもしれねえなあ。テオ、お前お手柄だぞ」

 二人から散々誉められたけれど、あんまり実感はない。

 バウマンの怪我は、たまたま近くにいたヒーラーが治療してくれたおかげで、大事には至らなかった。それでも帰りはバウマンの負担を少しでも軽くするために、転送陣でストレイスまで戻ってきた。

 それから二日。

 見舞いにやってきたアッシュにテオは茶を出した。ライナルトは戻って早々に別の護衛の仕事に出てしまったとのこと。

「氏の様子はその後どうだ」

「今はベッドで寝てい……るはず、です。多分。もう大変だったんですよ! お医者様はおとなしく寝させなさいって言うし、ご主人様は研究がー仕事がーって騒ぐし……」

「らしいな」

 ぷうと頬を膨らませると、アッシュが茶を啜りながら小さく笑う。

 館に帰るってすぐ、急ぎの仕事だけを相当な死に体でなんとかやり遂げた後、バウマンはひっくり返っていた。当人はしこたま打ちつけた腰以外は至って元気だと言い張ったが、昨日なんかは熱を出してうんうん唸るバウマンをテオが必死に看病をしたのだ。

「お、アッシュさんじゃあないか。どうした」

「いや、見舞いにな」

「そりゃあ有り難い。テオ、例の特製ブレンドティーを出して差し上げなさい」

 応接間にひょいと顔を出したのはバウマンだった。館にはバウマンとテオしか住んでいないのだから、彼以外の顔が現れるわけもないのだが。

「特製はちょっと……じゃなくて。ご主人様! 寝てなきゃダメです!」

 じと、とバウマンがテオを見返してきた。

「あ、えっと……まだ寝てなきゃダメです、父さん」

「うむ、それでオッケーだ」

 満面の笑みでサムアップすると、腰をさすりながらバウマンは戻っていった。

 半開きにされたままのドアをぽかんと眺め、それからアッシュを見る。彼女は半分呆れたような面持ちでテオを見遣り、ついと立ち上がった。

「氏の健在ぶりも確認できたからな、そろそろ私はお暇しよう」

「あ、はい。お見舞いありがとうございました」

 一度口をつぐみ出掛かったまま飲み込み掛けた言葉を、勇気を振り絞って口に出す。

「アッシュさん、あの……また来てくれますか?」

 灰白色の双眸がテオを見下ろしてくる。そうだなとアッシュは頷き、テオの頭をくしゃくしゃと撫でた。

「テオもおめでとう。魔法使えただろう」

 大きく頷く。

「初めて魔法が使えた日は家族で祝うものだが、バウマン氏があれだからな。私からのお祝いだ。手を出して」

 アッシュの手からテオの手のひらへ、小さな箱がことりと落ちた。

「箱?」

「大層なものではない。先日買ったマジックアイテムの方が余程高価だよ」

 あの石が? 胸を押さえる、あの石は今も大切に首から掛けているけれど、返さないといけないのだろうか。

「返す必要はないよ。大体それを購入した金はバウマン氏の懐から出ているからな」

「ご主人様が?」

「ああ、あの日私とライナルトは君が向かう店の途中で君を待っていたんだ。あらかじめ氏から君が向かう店のリストを貰ってね。ライナルトが何をするつもりだったかまでは知らないが」

「そうだったんですか」

 全然気が付いていなかった。全部、バウマンのお膳立てがあったんだ。

 手のひらで転がる箱のリボンを引っ張る。そっと蓋を開けると、中には小粒の球体がいくつも入っている。

「これ……何ですか?」

「チョコレートだ、お菓子だよ。……食べたことがないのか」

 こくりと頷く。見たことはあるけれど、それもバウマンの館にやって来てからの話だ。口にする機会は一度もない。

「私の故郷ではチョコレートでお祝いをする習慣があってな。掴んだコツをチョコでくるんで食べて、自分の一部にするらしい。だから一人で食べてもいいし誰かと分け合ってもいいが、とにかく食べてくれ」

 アッシュを見送り応接室を片づけてから、貰った箱を恭しく手のひらで持ち上げた。

 ご主人様……じゃなかった、父さんと一緒に食べよう。

 テオは踵を返すと、バウマンの自室へと駆けていった。


 了


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