表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

1日目 不条理劇 - absurd drama -

「酷い有様さね」

「全くだよ。うちは無事でよかったけど、一体何が空から落ちてきたんだろうね」

「早いところ原因を突き止めて、二度と起こらないようにして欲しいものだわ」


 世界中に抱かれし帝国エヴィヒカイト、その中心都市であるストレイスの空から扁平な物体が落下してきたのは、ほんの数日前の話だ。それが落下したのは住宅の密集する裏路地の一角で、民家の一つが見事に押し潰された。

 扁平な物体自体は皇帝の命により速やかに撤去され、今は破壊された建材が骸を晒すばかりである。

 落下当初は野次馬で狭い裏路地はごった返していたものだったが、物体が撤去されてからは興味本位で現場を眺めにやってくる人の数も目に見えて減り、今は井戸端会議に花を咲かせる女性が時折目をやっては話題の繋ぎにする程度である。

 その中で一人だけ、小さな花束を両手に破壊された民家を見つめる少年が居た。じっと何もなくなった空間を見つめ続ける少年は、涙を堪えるかのごとく歯を食いしばり、目を瞬かせている。

 花束を置く為に屈みこむと、ゴンと鈍い衝撃が頭部に走り、足元で掌に収まるぐらいの石が跳ねた。背後からは、「オメー何しに来たんだよ!」、「ランザート人が来るんじゃねーよ」と野次が飛んでくる。

 振り返って相手の顔を確認するまでもなく、それが自分より少し年上の、付近に暮らす子供達のものだと少年にはわかっていた。

「早く帰れよー」

「そうだそうだ、大体そんな家壊れて当たり前だったんだ。ランザート人が居なくなって清々するぜ」

 何で自分がそんな事を言われないといけないのだろう。そんな疑問を感じることも既になくなっていたが、他の人のことは悪く言わないで欲しいと、心の中で叫ぶ。それでも言い返せば余計に酷い言葉が返ってくるだけだからと、少年は無言のままに花を供えた。野次を無視していると、今度は靴が飛んできて背中に当たって落ちた。靴底のはがれたそれは、どこかで適当に拾ってきたものだろう。溜まらずに走り出すと、「もう二度とくんな!」との言葉が飛んできた。

 一刻も早く、あの子供達の視界から消え去りたい。そんな想いを抱えたまま、地面ばかりを見つめてとにかく駆ける。駆けたら、角を一つ曲がるのよりも先に誰かにぶつかった。

「わっ……」

 少年はバランスを崩し、たたらを踏んだ後尻餅をついた。怖々と顔を上げると、そこに居たのは男女の二人組。一人は鎧をきっちりと身に纏った男性で、もう一人はロッドを手にした女性、冒険者のようだ。

「大丈夫か、少年」

 女性の方が手を伸ばす。茶色の髪を一つに纏めたその人は、むっとした表情のまま少年を引っ張り起こしてくれた。

「道を走るときは、きちんと正面を見ることをオススメするぞ。……怪我をしているのか?」

 どうやら少年は女性の方にぶつかったようだ。呆れ混じりのその言葉に頬が熱くなり、お詫びもそこそこに少年は走ってその場を逃げた。


 少年はひたすらに走り、ごみごみした住宅街を抜ける。

 街を貫く街道を世界樹とは反対の方向に暫く行くと、閑静な住宅街に行き当たるが、そこまでくると少年は歩を緩めた。とぼとぼと小奇麗な道を歩いていく。時折すれ違う人々の装いは垢抜けており、家族で連れ立って外出している様子を見るとますます気分が沈んだ。

 少年の家は、この住宅街の中にあった。手入れが行き届いているとは言いがたい大きな庭のある屋敷、そこの裏門に辿り着くと、自分の背丈よりもずっと高い門柱に向き合うようにして立ち止まった。そして大きく息を吐く。

 そういえばあの女の人、怪我をしているとか言っていた。

 少年が頭に手をやると、ぬるりとした感覚が伝わってきた。掌が赤く染まる、石が当たった時に傷が出来たんだ。怪我をしたことを認識した途端、じんじんと傷口が痛み出してきた。痛みと、石を一方的に投げられる自分の不甲斐なさが悔しくて、うるりと視界が歪んでくる。

「君は、先程の少年か?」

 唐突に振ってきた言葉に顔を上げると、先程少年がぶつかった二人組の冒険者が、何故かこちらに向かって歩いてくるところだった。二人は少年の元にやってくると、歩を止めた。

 メイジの女性は少年の顔を一瞥した後、取り出したハンカチを少年の頭に押し当てた。

「血が止まるまで、こうして手で押さえているといい」

「あ……はい……」

「で、お前さんはここで何をしてたんだ?」

 ファイターの男性は首を傾げ、目の前に立っている屋敷へと目を向けた。少年も釣られるように、金属の柵でぐるりと周囲を囲まれた視線を屋敷へと向ける。

「ボク……ここで働いているんです」

「そうなんだ。俺達はここに住んでいるブレンダーに用事があってきたんだ。取り次いでもらえるかい? いつもの冒険者が来たって言えばわかるからさ」

「あ……わかりました。ちょっとここで待っててください」

 少年は裏門を潜ると、屋敷の中へと駆けていく。庭には人影がなかったから、彼の主は自室に篭っていることだろう。

 裏口から真っ直ぐ、主の自室に向かう。扉は薄く開かれており、部屋の中からは、「うーっ!」だの、「上手くいかない、何故だ!」だの、苦悩に呻く声が聞こえてくる。最初のうちは驚いたが、これは新たな薬の調合法を考えている時の主の癖であることに気がついて以来、気にしないことにしている。

 だから今日も、呻き声に構うことなく扉を叩いた。頭を抑えていたハンカチをポケットに押し込んでからそっと扉を開くと、大量の書物の中に埋もれるように座っていた壮年の男性が、体ごと部屋の入り口の方を向いた。

「お、テオか。どうした?」

「あの……ご主人様にお客様です。いつもの冒険者が来たって言えばわかると言われました」

 少年のことをテオと呼んだ男性は、「ん?」と暫し首を捻った後、「ああ、彼らか」とポンと掌を打った。

「そうだそうだ、私が彼らを呼んだんだった。応接室に案内してから、いつものお茶を出してくれ。私もすぐに行くから」

「わかりました」

 テオは廊下をパタパタと走り、裏門へと戻る。二人の冒険者は何をするでもなく、互いに言葉を交わすわけでもなく、まんじりと少年が戻ってくるのを待っていた。

「あの、応接室に案内します」

 そう伝えて踵を返す。二、三歩歩き出してからふと振り返ると、付いてくると思っていた冒険者二人は相変わらず足を止めたままだった。

「あの……」

「いやさ、俺達こっから入っていいのか?」

「依頼人に会えるのなら、たとえ裏門から屋内に入ったとしても問題はないだろう」

「いやいや、そりゃそうだけどさ。俺も別に気にはしないけど……まぁ、あのおっさんなら気にすることもないか」

 きょとんとした表情で二人の冒険者のやり取りを聞いていると、ファイターの男性がバツが悪そうに後頭部を掻きながらこう言った。

「フツーはな、客は正門から案内するものだぜ?」

「……! そ、そうでした! スミマセン、正門に案内します」

「いやいや、今回はここからでいいよ。ささ、行こうぜ」

 大きな掌に背中を叩かれ、テオはよろけながらも、「こっちです」と二人を案内する為に歩き出した。

 冒険者二人を応接室にようやく連れて行くと、既に主人がソファに腰掛け待っていた。が、主人の頭はぼさぼさで、衣服もよれよれの部屋着のまま、羽織っている白い上着には様々な色のシミが付いている。

「やあやあ、君達が今日来ることをすっかり忘れていてね」

「バウマンさんは相変わらずだなぁ」

「そう言わないでくれよ、ライナルト君。まあ、二人とも座ってくれ」

 テオの主であるアルノー・バウマンが腰を掛けるように勧めると、では遠慮なく、と二人とも慣れた雰囲気でバウマンの対面に座った。

「ボク、お茶を淹れてきます……」

「なくとも構わないが」

 すかさずメイジの女性が口を挟んできた。「あー、俺も別になくていいや」と、ライナルトと呼ばれたファイターも小さく手を挙げる。

「いやぁ、新しい茶のブレンドを考えたんだ。是非とも二人にも飲んでもらいたいからさ。テオ、頼んだぞ」

「いやいやいや、それがあるから別に要らないんだけど」

「そう言わずに。忌憚なき意見を聞かせてもらえると嬉しいなぁ」

 そんな会話を背にしつつ、応接室を後にする。


 ◆


 テオ少年の両親はランザート人だ。

 既に地図の上からは消えてしまった王国ランザート、その末裔達の身分は、ここエヴィヒカイトでは低い。冒険者になり一山当てるような者も少数ながら居るが、ほとんどは金持ちの使用人になるか、厳しい肉体労働に就く。両親がどんな仕事をしていたのかテオ自身は知らないが、家はいつも貧しくて、爪に火を灯すような生活の中で両親は早死にしてしまった。他に身寄りなどあるわけもなく、その後暫くテオは他の多くのランザートの子供達と路上で生活していた。

 その最中、男性が一人やってきて、路上で暮らす子供達をこぞって引き取った。引き取られた子供達は、男性と一度でも心が温まるような会話を交わすこともなく、およそ薄暗く狭いレンガ造りの家に押し込められただけ。それでも、日に二回は簡素な食事と、雨露を凌ぐ生活環境は与えられた。

 それに、この家に居るのはランザートの子供ばかりで、テオ少年に辛く当たる者はいなかった。同じ家に暮らす多くの友達の存在は、どんなに心強いものだったか。

 週に一度、数人の友達が男に連れ出されていった。何が起こっているのか推測するしかなかったが、おそらくは新しい家族に引き取られていったのだと子供達は囁きあい、何時自分の番がくるのかと期待に幼い胸を膨らませたものだった。


 テオ少年がこの男性が何者なのかを知ったのは、自分自身が競売に掛けられた時。

 遂にテオ少年が、「今週はお前の番だ」とレンガ造りの家を連れ出される日が来た。連れて行かれた先は、喧騒と人いきれに満ち満ちた市場――後から知ったことだが、そこは闇市だった。

 両手を縄で結わえられた状態で闇市に駆り出されて、ようやくこの男性は奴隷商であり、子供達は売買の為にストレイスの路上からかき集められただけであることに、ぼんやりと気がついた。気がついただけで、少年には自分の置かれている状況は理解できなかったし、先に連れて行かれた友達や自分自身にどんな未来が待っているのか想像できなかった。今でも友達の未来は想像できない、いつかそれに気がついた時、自分は罪悪感にさいなまされるのだろうか。

 ステージの上に引きずり出されたテオは、人ごみの中で自分に向けられる無数の視線のある一つに釘付けになった。ぼさぼさの髪に白衣を着た壮年の男性が、テオを凝視している。溢れかえる有象無象とは異なったぎらついた光のない、畏怖を覚えないその視線が何か引っかかったのだと思う。

 テオの視線に気が付いた男性はにやっと笑うと、テオの横にいる男にジェスチャーで何かを伝える。男性がニ、三度ひらひらと手を動かすと、テオはステージから引き摺り下ろされた。

 あっという間の出来事に目を白黒していると、「お前はあの客に買われたんだ、せいぜい可愛がってもらえよ」とテオの両手を拘束する縄の一端を持つ男が、ふんと鼻で笑った。

 それから間も無く、テオは件のぼさぼさの髪の男性に引き取られた。


 それが主であるアルノー・バウマンとの出会いだった。

 今にしてみれば、何故主があんなところにやってきたのか不思議だが、とにかく、テオはバウマンに買われた。自分の何が気に入ったのかはわからない、主も何も言わない。それでも彼に身分を買われ、バウマンの屋敷で使用人として働いている。……今に至っても、大した労働力にはなっていないが。

 バウマンに買われた後も、レンガ造りの家には度々遊びに行った。こっそりと敷地に入り込み、小さな小窓からそっと中を覗き込んでは皆と話をする。友達が恋しかったというのもあるし、ランザート人には珍しい金髪が綺麗な女の子がちょっと気になっていたというのもある。バウマンも、テオの行為を特には咎めなかった。


 だが、そんな生活は唐突に終わる。

 エヴィヒカイトの空から降ってきた扁平な物体、それが少年のかつての家を押しつぶしたのだった。古いレンガ造りの家は全壊、中で暮らしていた少年の友達は皆死んだ。バウマンに死んだと聞かされた、亡骸は見せてもらえなかった。

 さらに不幸だったのは、奴隷商の男はその時偶然家を離れていて、彼だけは無事だった事。もしかしたら、彼を恨むのは筋違いなのかもしれない。それでも、皆を売り飛ばして儲けていた人間だけが生き残るなんて、不公平だ。

 自分が生き残ってしまったことも、とてもとても申し訳ない。


 ◆


 厨房に辿り着くと、まずかまどに火種の火を移してポットを掛ける。それから棚の一つから、茶の入った瓶を取り出した。迷う必要はない、この家には茶は一種類しかないからだ。主がポーションの調合の傍ら、趣味でブレンドしているハーブティーを、湯の沸いたポットに三さじ程放り込む。

 トレイの上にポットと三人分のカップとソーサを乗せて、そろりそろりと応接室に戻った。

「――宮廷からの仕事なのか」

「そ、魔を払う儀式に使われる香草をブレンドして欲しいんだと。急を要する依頼らしくてね、早急にフヌイユを採ってこないといけなくなったのさ。スモモゴケ採取のついでに補充すればいいと思っていたんだけどねぇ、宮廷からのお達しなら取りに行かざるを得ないでしょ」

「そりゃそうだ。でもなんでこんな時期に魔払いの儀式? アッシュ、心当たりはある?」

「いや。強いてあげるなら、例の空から降ってきたアレ絡みだろうな」

「それしかないよなぁ」

 三人が依頼の話をしている中、失礼します、と扉を開く。フヌイユと言うのは、世界樹のアンテノーラ領域にのみ自生する魔除けの薬草だったはず。ストレイスでは、薬草を専門に扱う店にも置かれていないと、主が呻く姿をつい先日見たばかりだった。

 茶を注ぎながら、ご主人は世界樹に行ってくるのか、とぼんやりと思う。

 世界樹のアンテノーラ領域ともなれば、片道三、四日の小旅行だ。主が屋敷を空けてしまうと、少年は一人で帰りを待つしかない。今でも主との間に漠然とした壁を感じてはいるが、それでも一人取り残されるのは寂しい。

「おお、テオ。今回の遠出はお前も一緒に行くぞ」

「……え?」

 まるで自分の心を見透かしたような、主から発せられた言葉に目を見開いた。

「そんなに心配しなくても大丈夫だぞ。今回行くところは世界樹でも人里に近いところだ。そんなに凶暴な獣も出ないし、もし出たとしてもこちらのお二人が何とかしてくれるさ」

 ははは、と主人は笑っている。二人の冒険者に目をやると、足を組み、ソファにふんぞり返っているファイターの方が笑顔でひらひらと手を振った。

「その辺は、俺達に任せてくれれば大丈夫だぜ」

 女性の方はテオの存在など意に介した様子もなく、平然と茶をすするばかり。

 冒険者を疑うわけではないけれど、自分のような子供が一緒に行って大丈夫なのだろうか。唯の足手まといになるだけではないのだろうか、とまだ一歩も足を踏み出していないのに、一気に不安の暗雲が心に広がっていく。

「往復すると七、八日は掛かってしまうからなぁ。その間、お前を一人屋敷に置いておくわけにいかんだろう」

 主人の命令ならば致し方ない。テオはぺこりと頭を下げた。

「……あ、あの。よろしくお願いします」

「おう、宜しくな」

 そこで言葉を一度切り、主人の様子を窺う。その視線が既にテオを見ていないことから、まだ主人達の話は終わっておらず、かつテオが同席する必要がないことを察する。同席する必要があるときは、主人はそのことをきっちりと言葉にするからだ。

 ごゆっくりされてください、とたどたどしく言葉にして、テオはそそくさと応接室を後にする。厨房に戻ってかまどの後始末をしながらも、間も無く来る未来への不安で心は一杯だった。


 その後、主から出発は明後日の早朝である旨を告げられた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ