とある魔術師の朝
金色の朝焼けを浸食するように、蒼穹が天空を二分してどこまでも伸びている。
鳥は風と舞い、朝露に濡れた小枝に着地してお互いの美声を競い合っている。
わずかに開いた窓の隙間から、潮風がカーテンを押しのけて男の汗ばんだ四肢を冷やす。
心地よい、のどかな港町の朝である。
男はむにゃむにゃと寝返りを打ちながら瞼を開いた。
窓を挟んだ向こうには小鳥がこちらを不思議そうに見つめている。
男---アランは首をかしげる小鳥にほほえむと、自分にのっかている毛布をはぎおとし上半身だけを起きあがらせようとした。
刹那---
「おはよ---!」
反射的に声のした方へ首を向けると、自分の鼻筋めがけて踵が迫っていた。
「くっ!?」
アランは冷静に首を後ろへ反らせ肉薄する踵を鷲掴んで前へ押しこみ、反動で近づいてきた相手の尻を蹴りあげた。
「うぅ・・・」
小さな呻きを残して襲撃者は向こうのテーブルまで吹っ飛び、下敷きになり木片と化したテーブルの残骸に埋もれて沈黙した。
カーテンを引き、窓を全開にする。
靄がかったようなアランの意識にさわやかな涼気が少しずつしみいってくる。
彼は裸の胸をぼりぼりとかき、その別の手で目やにのついた目を擦る。
そして不快げに窓の景色に視線を向ける。
ぼやけた視界に見えていた小鳥は、もうどこにもおらず青々と葉をつけた大樹が澄んだ潮風にさわさわと揺られていた。
視線の遙か先には水平線がどこまでも続きその上をゆったりと浮かぶ帆船を、地の果てまで誘っているかのようだ。
ガタッゴト・・・
「いってぇ~」
残骸の方から物音が聞こえた。
しかし彼は気にしない様子でベットの近くにあった椅子に引っかけていたシャツを乱暴に着込んだ。
ついでに枕の下に手を伸ばして銀色の腕輪を取り出す。
天使をかたどった装飾がちらちらと輝いた。
それを手のひらにのせ呼びかけるようにアランは呟いた。
「今日もよろしく」
おまじないのような、自分にしか聞こえない声で呟きながら右腕にはめる。
ドンドン!
と地をたたく音がした。残骸の方だ。
・・・・・・
アランは扉の近くにある鏡の前に立ってそれをのぞき込んだ。
そこには癖の強い短い金髪を更に寝癖でぐちゃぐちゃにした20歳まもない若者の顔が映っている。
碧眼の眼光は鋭くやぶにらみになっているが顔を洗えばそんなことはない。と本人は思っている。
ドンドン!
「ちょっと、あんたこっち向きなさい! いくら客でもレディを蹴っていいサービスなんてないってことを教えてあげるわ! このヘドロイソギンチャク!!」
・・・・・・彼は鏡の下にある水道の蛇口をひねり顔を洗った。
タオルが無いことに気づき、少々抵抗を感じつつシャツで簡単にふき取る。
朝の澄んだ大気と、窓から流れる潮と花の香りが彼の心をくすぐる。
バキッ! ガシャン!
「おい 黄金ジャングル頭! さっさとこっち向けや!!」
・・・・・・アランは手近にあったパイプ椅子にタオルを掛けると、今度はカミソリで髭を剃り始めた。
剃るのはもう少し伸ばしてからなのだが、今日はなんとなくそんな気分だった。
「・・・・・・ねぇアランちゃーーーーーーーーーん こっちむいてよダーリン!!」
・・・・・・彼は、ゆっくりカミソリを置いてタオルで顎を拭きながら不気味な声色がした方向へ不快げに視線を送った。
そこには、腰まで伸ばしたブラックロングヘアーで、性格に似合わない綺麗な瑠璃の双眸をした16,7歳の女が彼と対峙するように、しかも自分が圧殺したテーブルの破片を足でベットの下に隠す作業をしながら立っている。
「なんていったいま?」
「ターザンも迷うまぶしすぎの森ヘアー男って言ったのよ!!」
ドン!! 近くにあった棒で壁を叩く。この女は機嫌が悪いとよく物に当たることで知られていた。
こめかみを押さえながら、アランは半眼で呻くように口を開く。
「・・・・・・なんのようだ?」
すると女は何故か胸を張り大きな声で、
「飯の時間」
・・・・・・・・・
「どうして蹴ったんだ?」
「ルームサービスよ」
真顔で答え腰に手を当てながら、別の手で髪に付いたほこりを振り払う。
彼の目が不機嫌につり上がった。胸の中で何かがふるえ始めたが何とかこらえて言葉に吐き出す。
「いらん、ハリスはどうした!?」
ハリスはこの宿『ハドカゲバドズベス・リコー』の主人で、この娘の父親である。
「今朝から私が考えて実施したの。父さんならついさっき母さんと旅行に出かけたわ」
「そうか・・・んで随分静かだが他の客はどうしてる?」
「なんか知らないけど父さんたちがいなくなった後、これしてあげて私がしばらく世話するって言ったらみんなチェックアウトしたの。まったく失礼よね私じゃ信頼できないなんて」
「あぁ・・・・・・そうだな」
適当に答えるとアランはスタスタと歩いて乱暴にクローゼットからバッグを引っぱり出した。
「なにしてんの?」
「・・・・・・」
「ねぇ! ちょっと」
「海鳥が俺を呼んでる」
「たぁわけたぁことまだ言うつもりかおっさん!!」
耳元で怒鳴られカッターを首に突きつけられたので仕方なく答えることにした。
「・・・・・・あぁまったく失礼な奴等だよ。俺をおいてさっさと引きはらいやがって」
「は?」
よく聞こえなかったのか女兼臨時宿主は首を傾げた。
その隙をついてアランは、女に足払いをかける。
虚をつかれた女は尻餅をつき鳩尾にかかと落としを喰らわせられ悶絶。カッターを奪われた。
彼はカッターの刃をバキバキと折ってから床で咳き込む人間を無視して再び自分の荷物をまとめ始める。
彼女はなんとか額の脂汗を袖で拭い、さっきまでテーブルの脚だった棒きれを拾うと、それをアランの後頭部めがけ振りおろした。
が、寸前アランが放った回し蹴りがまた鳩尾に直撃し、女は言葉もなくその場に力無く崩れ落ちた。
「ここを出る。金は、ほらっ」
と、いって数枚の銅貨を振り向きもせず、脂汗を流す女へ放り投げた。
コインがしゃがみ込んでいる彼女の頭に当たってちゃりんと音を立てながら床に受け入れられる。
「いやぁ~出ていかないで。父さんに叱られるじゃない、もし強盗はいったら美人なわたしなんかどっかに売られちゃうでしょ!!」
まるで別れようといわれて追いすがる恋人のように、女は彼の足にしがみつき泣き叫んだ。
「知るか! 離せ! 毎朝蹴られてたまるか!」
「旅人の反射神経を向上させる必要性は<旅人防衛本能育成マニュアル>にきちんと書いてあるわ。それを推進して何が悪いというの!?」
「ウルセェ! 屁理屈なんざネズミにでも唱えてろ!」
「そんなこと言わないで! 恩人の娘じゃないの!?」
「そうなの?」
予想外の問に、一瞬動きが止まった。が、すぐに持ち直して、
「わたしって、そんなに魅力ない?」
上目遣いに両手を胸の上に置いて尋ねる仕草は先ほどの闘いの痛みのせいでやや目が潤んでいたので効果的だった。普通の男ならコロッと騙されたに違いないとアランは胸中で呟く。
「そんな問いは、魅力が塵ほどでもある奴が言うもんだ」
女はショックを受けたように嗚咽っぽい声を上げながら俯く、両手がわなわなと我慢するように震えているのを一瞥して、アランは殺風景となったクローゼットを静かにしめる。
そして踵を返して扉へ向かおうとしたとき、再び女がアランの足にしがみつく。
「いや~!! お掃除や庭の手入れや買い出しとかライバル店ひやかしとか私が全部なんて無理に決まってるじゃない!」
「ほう、それが本音か」
半眼で女を見据えると、空いていた拳を彼女の頭に突き立てた。
ごすっ、という音とともに女はその場に昏倒した。
と、思ったが女は後方へと跳躍し突然哄笑する。
「ふっふっふっふっふ、あはっはっは!!」
「ん? いかれたか」
「思い出したわ。これを見なさい!」
といって、ポケットから取り出したのは青年がチェックインするときに女にねだられて仕方なく自分が書いたアンケート用紙だった。やる気がなかったので内容を良く覚えていない。
「それがなんだ?」
女は得意げに大きく言った。
「項目43番。わたしはもし宿主に手伝いを頼まれた場合こうします。選択項目、ア・・・『誠心誠意お手伝いし--』ウフッ♪」
ゴスッ!
言い終わるのが早いか遅いか彼の投げたパイプ椅子が女の顔面に激突した。
鼻血を吹いて、ベットに倒れるも女は不敵な笑みを浮かべ、なおも立ち上がった。
不気味なタフさに正直びびる。
「なにどさくさに誓約書かかせてんだコラ ウフッ♪じゃねぇだろ」
「ふっ、特に興味のないアンケートには「ま、適当にぃ」という馬鹿でも思わない考えをしたあんたが悪いのよ」
「いや、普通そうだろ」
片手で後頭部をぼりぼり掻きながら半眼で言った。流血しながら笑う姿が妙に怖く感じた。
「とにかくこれ破ったら契約違法破棄として3億ガルク払ってもらうからね」
「書いてない」
「甘いわね・・・」
ふっと鼻で笑ってアンケート用紙の一番下を指さす。
そこにはまるで虫が食べたように丸い小さな穴が数十個横に並んでいた。
「これがなんだ」
「点字でしっかり書いてるでしょ? この街ではこの形式認可されてるからねん。もし破ったら最低二十年出られないはずよ」
視界が白んでいく気がした。両肩がふるえ喉のあたりが熱くなった。
「ねぇ、まず料理作ってよ。お腹へっちゃった」
首を垂れてアランは今日初めて女を名で呼ぶ。
「あぁうぜぇしかもキャメロン・・・おまえさっき飯できたっていわなかったか?」
名をいわれたこの女ーキャメロンは肩をすくめシーツで鼻を押さえながら首を傾げた。
「飯の時間っていうのは私がいつも食べてる時間だからよ」
「・・・それで、おまえは代理とはいえ一応いまは宿主だったよな?」
照れているのかへらへら笑ってキャメロンは頷いた。
「じゃぁ、おれは?」
「お客様よ」
「それで、食事は誰が作るんだって?」
「お客様よ。ったく馬鹿なことばかり言ってないで早く作れよイバラ頭、あと買い出しも頼むわよその後掃除も---」
平然と告げる女に向かって、彼は片手をつきだし叫ぶ。
「それくらいてめぇが作れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
手のひらから生まれた純白の高熱波は女と数多の家具も巻き込んで部屋の壁を貫通し、庭に落下した。
静寂が、再び訪れた。
しかし安息の一時も束の間、数時間後高額な修繕費を請求され彼は結局、宿の使用人になることになる。
その後も彼の苦労は続くがそれはまたべつのはなし。
罵詈雑言の掛け合いをする魔術師を書いてみたいという思いから書いてみましたW