形代あやめ
壊せない愛は、呪いより深い。
形代あやめは、静かに息を吐いた。
幼稚園の頃から、隣家の鮎浜美咲の後ろを歩くように生きてきた。
小学校、中学、高校、大学――そして今勤める会社まで。
気づけばいつも、美咲の影のような存在であった。
美咲はあやめの持ち物を何でも欲しがり、自分の失敗を「友達だから」と笑って押しつけた。
心を寄せた男たちも、すべて美咲に奪われた。今の会社でも同じだった。
美咲はあやめから恋人を奪っただけでなく、自ら犯した横領の罪を、巧みにあやめに着せた。耐えきれず、あやめはビルの屋上から身を投げた。
しかし、死ねなかった――
激しい痛みの果てに目覚めた病室で、医師は告げた。二度と歩けない体になったと。あやめは天井を見つめながら、奇妙なことに気づいた。
美咲への憎しみが、どこか欠けている。恨みきれない自分が、情けなくも愛おしかった。
退院後、あやめは母の実家がある山間の村へ帰った。療養を名目に、そこですべてを忘れ、静かに消えようと思った。
その村には、古くから伝わる風習があった。真っ白い陶器の小さな壺に、呪う相手の髪、爪、血を納め、固く封をする。
それを人形の頭部とし、粗末な布と藁で体をこしらえる。日夜、相手の顔を思い浮かべ、念を注ぎ続ける。
そうすれば、陶器の表面に徐々に髪が生え、目鼻立ちが浮かび上がるという。あやめは、半ば気まぐれに、美咲の髪と爪を入れた人形を作った。
出来上がった人形は、恐ろしいほど美咲そのものだった。陶器の白い肌に、艶やかな黒髪が絡みつき、怜悧な目元が薄く微笑んでいる。
夜ごと、あやめは人形の前に座り、美咲の顔を眺めた。憎むべきはずの顔を、ただ見つめ続けた。壊せなかった。
壊せば美咲が死ぬと信じていたからではない。壊せば、自分の中の何かが決定的に失われてしまう気がしたからだ。人形は日増しに生々しくなっていった。
陶器の頰に血の気のような淡い紅が差すようになり、唇は湿り気を帯び、夜中に微かな息遣いが聞こえるようになった。
あやめはそれを抱き、囁いた。
「美咲…あなたは、私のものだったのに」
数年後、村に流行病がひろがった。あやめは高熱にうなされながら、最後に人形を胸に抱いた。
美咲の顔をした陶器の頭が、熱で火照るあやめの肌に冷たく触れた。あやめは静かに息を引き取った。
葬儀の数日後、村人たちは異変に気づいた。あやめの人形が、部屋から消えていた。人形は自らの意志で動いたとしか思えなかった。
藁の足で床を擦り、玄関の隙間をくぐり、夜の山道を這うように進んだ。白い陶器の頭が、月明かりに鈍く光る。
村の外れにある断崖まで、人形はたどり着いた。そこは、あやめがかつて飛び降りたビルの高さなど比ではない、深い谷を見下ろす場所だった。
人形はしばらく崖の縁に立っていた。風が藁の体を揺らし、陶器の顔が美咲の最後の表情を浮かべていた――
哀れむような、嘲るような、どこか安堵したような。
やがて、人形はゆっくりと前へ傾いた。陶器の頭が岩に激突し、粉々に砕け散った。白い欠片が夜の闇に舞い、谷底へ消えていった。
残された藁の体は、風に吹かれて崖から落ち、闇に飲み込まれていった。
それからしばらくして、鮎浜美咲は村の誰も知らない遠い街で、突然の心不全で死んだという噂が村へと流れ着いた。
人々は囁きあった。あの白い陶器の人形は、最後まで形代あやめの「形代」であり続けたのだ、と。
そして、村の古い風習は今も、静かに息づいている。
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