【アップ✨】2026年7月12日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteあり☕️
初めまして、天川裕司です。
ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。
また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。
どうぞよろしくお願い致します。
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬
【アメーバブログ】
https://blog.ameba.jp/ucs/top.do
【男山教会ホームページ】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【YouTube】(ユメノ記)
https://www.youtube.com/@%E6%98%9F%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%B1%E3%83%A9-v5x/videos
【ノート】
https://note.com/unique_panda3782
【YouTubeドラマにつきまして】
無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、
お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。
基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。
創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪
出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬
でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、
どうぞよろしくお願いします(^^♪
【本日のメッセージ】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=_KHcrTU-uCg&ra=m
【ブログ】
https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12973166499.html
聖書と讃美歌も閲覧できます♪お気軽にお立ち寄りください(^^♪
聖書
『ハバクク書』(第一章一二〜一七節)
『ペテロの第一の手紙』(第一章一三〜二五節)
讃美歌〜♫
讃美歌66番
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=ObMcghMcQQk&pp=ygUS6K6D576O5q2M77yW77yW55Wq0gcJCZkLAYcqIYzv&ra=m
讃美歌508番
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=Ri2kQhSyJ0I&pp=ygUV6K6D576O5q2M77yV77yQ77yY55Wq0gcJCZkLAYcqIYzv&ra=m
讃美歌24番
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=E_siYoiEOsI&ra=m
讃美歌280番
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=T6CQGR4vLIM
2026年7月12日 礼拝説教 聖書箇所
無知であったころの欲望に引きずられることなく、従順な子となり、召し出してくださった聖なる 方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。
ペトロの手紙一1章13節
主よ、あなたは永遠の昔からわが神、わが聖なる方ではありませんか。我々は死ぬことはありませ ん。主よ、あなたは我々を裁くために彼らを備えられた。
ハバクク書1章12節
はじめに
聖なる御方をそのままに信じ、賛美する幸いを覚え、御心を行い、祈る道を求めたい。
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「無知であったころの欲望に引きずられることなく」とは、元の文では、「従順な子」として の後に続く文。「従順な子」とは、どなたの子であるか。御子の血によって贖われた命にあずかる 子たちである。ここには何の差別も分け隔てもない(ヤコブ2章1節)。「無知」とは言わば、まこ との神とその救いを知らないこと。そうであれば「欲望の引きずられる」とは、神を神として畏れ ず、自分の欲、自分の肉のままであったこと。使徒パウロは救われてなお、「肉」との葛藤の中に いる自分を認めて「わたしはなんと惨めな人間なのだろう」(ローマ7章24節)と叫んだ。「肉」 とは「死に定められたこの体」の内にある神の聖さと義(正しさ)に反する罪の性質である。「引 きずる」とは他者の型に合わせて自分を形づくること。神の御顔を仰ぎ望む時、わたしたちは、キ リストと同じ似姿に変えられることを望む。「わたしたちは、土からできたその人の似姿となって いるように、天に属するその人の似姿にもなる」(コリント第一15章49節)。「従順の子」とは、 神が御子において贖われた子であるからこそ、神を「父」として、御心を求め、行う子たち。
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「召し出してくださった聖なる方に倣って」とは、御子に贖われた子たちの向かう「聖さ」を 明らかにする。罪贖われたながら、なお罪と弱さ、肉に悩む子たちにとって「聖さ」を求めるとは どういうことか。主イエスの「聖さ」はどのように世のただ中で現れたか。時に、汚れた霊に取り 憑かれて男は、「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かって いる。神の聖者だ」と叫んだ。すると、イエスは、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになる と、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った(マルコ1章24~26節)。 罪と死の支配とその影響は、主イエスの権威と力によらなければ決して克服できない。聖なる方に 倣うとは、救われた者は「聖者」となれ、というよりも、絶えず、聖なる神を覚えて生きよ、と命 じる。人が人を聖とすることはできない。聖霊に満たされて、皆、等しく、聖なる神を求め始め る。「『あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである』と書いてあるから」と は、レビ記に繰り返し出てくる原則的命令(11,19,20,21章)。イエスを十字架につけることを企て た者たちの「聖さ」とは、律法を形式化して人の規則を守ること。しかし、本当の「聖さ」は、そ の本質において救いを喜び、「いつでも心(思索:自己検討)を引き締め、身を慎む」こと。
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「また、あなたがたは、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を、『父』と呼びかけて いる」。自分で自分を聖とせず、他者を見下さず、むしろ、等しく、ただお一人の神、御子の命を もって一人のもれなく贖ってくださる御方を「父」と呼ぶ。「神の霊によって導かれる者は皆、神 の子」「あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊をうけた」 「この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶ。」「この霊こそは、わたしたちが神の 子どもであることを、わたしたちの霊と一緒になって証してくださ」る(ローマ8章14~16節)。 「人は目に映ることを見るが、主(である神)は心によって見」(サムエル上16章7節)、「御目 (神の目)は真実を求めておられる」(エレミヤ5章3節)。使徒は「行い」によって救いの生活 を仕上げるように命じているのではなく、完全な希望に向かう備えを求め、主イエスが、十字架の 上で、御父を呼ばれたように、迫害と試練の中で、「従順な子」とされた者たちをむしろ「行い」 で裁かないで、真実の心から祈る者であれ、と言う。「この地上に仮住まいする間、その方を畏れ て生活すべき」との命令は、当時の世界各地に離散していた民が、一つの思いとされることを願 う。祈りにおいて一つとされ、そして、聖なる御方を畏れる思いにおいて一つとされることよう。
おわりに
真の預言者ハバククは、聖なる方の前に「我々は死ぬことはない」と告白した。それ は、個人の生涯というよりも、神の民を指す。恵みの契約の仲保者キリストのゆえの、永遠と聖。
(Mynote)
二〇二六年七月一二日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。
(子供メッセージ)
『スコットランド教会新カテキズム』
「第八の戒めでは、何が禁じられていますか。」
「なんでも、むやみに欲しがって、人の行動を不当に押さえ付けたり、力づくで相手の物を奪い取ったり、合法である事を装ったり、こっそりと盗み取ったり、騙したり、不正に分量を計ったり、秤を不当に用いて、隣人の財産や持ち物を不正に奪う事、そのすべてです。」
お金持ちの人が心の中で言った。「こんなに沢山の財産をどうしようか?」そこで蔵の上にもう一つ蔵を建て、財産を仕舞う場所をもっと増やす事にした。すると神様はこの金持ちに言って諭した。「あなたの命は今夜の内に取られる。それなのにそんなに財産を持ってどうするのか?」神様を崇め恐れる事を忘れ、この地上でどれほど財産を蓄えても、信仰に依らねば、全ては虚しいものである。ここに欲望に溺れ易い、全ての人にとって注意と信仰が必要になる。イエス様はこの地上に遣わされ、全ての人の罪を背負われた為に、貧しくなった。その貧しさは人を救う為に在り、全ての人にとっての信仰の救いに通じる。
(公同礼拝)
『ハバクク書』(第一章一二〜一七節)
『ペテロの第一の手紙』(第一章一三〜二五節)
「従順な子供」とは、神様から命を吹き込まれ、この世に生を受けた時の事であろうか。生まれた時に金を持って生まれた者は無く、他にも自分で財産を持って来ない。全ては与えられたものにある。そして地上での生活は全て、人に自由が与えられた上、信仰と不信仰の道が用意され、そのどちらを行くかも夫々の人の自由となる。詰り、この選択が試練にあろう。
生活する内に、成長する内に人は欲望、知恵・知識を身に付け、得てして欲望の道・罪の道へと辿る。この欲望によって得たこの世の財産を横に置き、神様と自分の一対一の関係を思い出し、その間にある信仰の道へ歩む事(歩まされる事)が大事である。この状態に生かされる事が「従順な子供」として生活する事になろうか。神様とイエス様に少しでも喜ばれる息子・娘として生かされる事、この事への努力を聖書を基準にし、十戒を心に留め、生活する事の大事である。
『ハバクク書』に記されてある事は、現在でも(今日まで)この地上で起こって来た、悪魔の働きを見て、その悲しみと悔しさと怒りを、預言者ハバククが神様に直接訴え掛けて居る場面である。この人の世では、余りに不条理な出来事が溢れて居る。神様に愛され、その姿に似せられて人が創られたにも拘らず、その男女は犯罪(罪)を繰り返し、戦争を繰り返し、背徳を繰り返し、他にも欲望から出るあらゆる事件・汚事が起きて居る。ハバククは聖書の時代からこの世情・人の現状を見て嘆き、悲しみ怒り、神様に、
「主よ、私が呼んで居るのに、いつまであなたは聞き入れて下さらないのか。私はあなたに『暴虐がある』と訴えたが、あなたは助けて下さらないのか。あなたは何ゆえ、私に邪を見せ、何ゆえ、私に災いを見せられるのか。略奪と暴虐が私の前に在り、また論争が在り、闘争も起こって居る。それゆえ、律法は弛み、公義は行われず、悪人は義人を囲み、公義は曲げて行われて居る。」
「我が神、主、我が聖者よ。あなたは永遠から居ます方ではありませんか。私達は死んではならない。主よ、あなたは彼等を裁きの為に備えられた。岩よ、あなたは彼等を懲らしめの為に立てられた。あなたは目が清く、悪を見られない者、また不義を見られない者であるのに、何ゆえ不真実な者に目をとめて居られるのですか。悪しき者が自分よりも正しい者を、呑み喰らうのに、何ゆえ黙って居られるのですか。」
これは試練である。次の箇所(『ハバクク書』第二章以降)を読んでも分かるが、信仰を持ち、信仰に生かされる者であればある程、神様とイエス様を唯一の頼みとし、信仰の礎とする為、その唯一の救い主である神様が悪人に対し何もせず、黙って居る様に見えれば、それが数日続くとハバククと同じく、神様に怒りを持ち、呪いの言葉を打つけ、更に信仰厚い者なら、その上でなお信仰が強められようと願い、その道に進もうとする。これは信仰に於ける試練に在り、イエス様が弟子達を始め全ての人に教えた、「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(『マタイによる福音書』第二四章一三節)とするこの御言葉に通じるものであろうか。
信仰を持ったからとて、完璧な正義の人、神様に喜ばれる息子・娘になれる訳ではない。その信仰の道のスタート地点に立った時から、俗世(この世の人の罪)との戦いが始まり、それをも試練と呼び、その試練に打ち勝つ必要がある。
この「試練に打ち勝つ」力は、信仰に依り成る。即ち、神様の御力・聖霊の働きに依り成り、人の自力では決して成らない。だから祈りが必要になる。この点を間違えてはならない。人は得てして欲望により「自力で解決出来る」と勘違い、自分が主の立場に立ち、神様とイエス様を同列に、或いは下位に見て、結局は人のみの力に在る本能・正直・欲望の力に頼り、間違った道を歩む。その間違った道は信仰から外れ、時に信仰の道と正反対の道に行く事がある。
人は本来、罪人である為、他人を裁く事が出来ない。しかし共存・統制を図る為に裁判があり、警察が在り、法律を作る。その裁判・警察・法律にせよ担う者が人である為、間違った事が普通に起き(冤罪や権力者による犯罪等)、その「人の共存のルール・統制」も曖昧である。
「人はみな草の如く、その栄華はみな草の花に似て居る。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は、とこしえに残る」
即ち、神様がイエス様を通して教えた御言葉、決まり事は、全ての人にとって永久に変わらず正義に在る事、人の世の人による作り事の様に移ろわず変わらず、初めから最後まで不変にあり、人は皆、この御言葉に縋り頼り、心と身を委ねる事が大事になる。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Caffe〜
榎本保郎牧師 ミニ説教18 「人と異なることをもあえて」
https://www.youtube.com/watch?v=ryDjUYzHBTU
「ここに、私がおります。私を遣わしてください!」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=EiF67kwlqPE
中川牧師とめぐる旅:【パンと魚の奇跡教会】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=Zdse8AUIZiY
ユメノ記
https://www.youtube.com/@%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%83%A6%E3%83%A1-v5x/videos
(お暇な時にぜひどうぞ)
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬




