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第42話 家族専用のお風呂

「その家族専用の浴室についてなんですけど、もう少し詳しく聞かせてもらってもいいですか?」


 拓也の背後には、チェックインを待つ客の列が静かに伸びていた。本来ならば長居は無粋、迷惑をかけるべきではない。それでもこの件ばかりは、どうしても譲れなかった。


「え、ええ。それでは、ご家族専用の浴室につきましてご説明いたします」


 受付の女性は一瞬だけ戸惑いを見せたものの、すぐに笑みを整え、手元のノートパソコンに視線を落とした。


「まず、ご利用には事前のご予約が必要となります」


「え? 予約しないと駄目なんですか?」


「はい。数に限りがございますので。それと、ご利用時間は一時間三〇分までとなっております。ご予約は午前〇時を基準に、二時間ごとに承っております。ただし、満室のお時間帯につきましては新たなご予約はお取りできませんので、ご了承ください」


「なるほど……」


 拓也は腕を組み、わずかに思案する。


 一時間三〇分――湯に浸かり、のんびりと過ごすには十分すぎる時間だ。問題は、いつ入れるかだが。


「お客様、ご予約はなさいますか?」


「お願いします」


 即答だった。迷う余地などない。


 本来なら、皆に相談してから決めるべきなのだろう。だが――先に押さえてしまえば、あとはどうにでもなる。そういうものだ。


「畏まりました。それでは、ご希望のお時間は?」


「うーん……今晩の一〇時頃って空いてます?」


「少々お待ちください」


 女性は再びキーボードを叩き始めた。


 夕食前に露天風呂。食後に一息ついてから家族風呂へ――。


 完璧だ。非の打ちどころがない。さすがは、俺。


 と、拓也は内心で深く頷く。


 だが、その自信は次の瞬間、あっけなく砕け散ることになる。


「お客様、大変申し訳ございません。本日はすでにご予約で一杯となっております。一番早いお時間でも、明日の午前二時からとなります」


 ガーン。


 頭の中で何かが崩れ落ちる音がした。


 完璧だったはずの計画が、音もなく瓦解していく。全身から力が抜け、視界がわずかに遠のいた気さえした。


「あの……お客様? どうかなさいましたか?」


「い、いえ……。何でもないです……」


 どうにか平静を装いながら、拓也は必死に思考を巡らせる。


 午前二時、その時間まで、皆は起きていられるのか?


 朝に回す手もあるが、冬香のことを考えれば現実的ではない。


 ……ならば。


「それじゃあ、午前二時でお願いします」


「畏まりました。午前二時でご予約をお取りいたします」


 こうして、なんとか家族風呂の確保には成功した。


 拓也は軽く息を吐き、カウンターを離れる。待機所で待つ皆のもとへと戻る足取りは、どこかぎこちなかった。


「ちょっと兄貴、チェックイン長すぎじゃない? それにさ、受付のお姉さん、なんか慌ててなかった?」


 真っ先に口を開いたのは夏香だった。その視線は鋭く、逃げ場を与えない。


「拓ちゃん、何かあったの?」


 春菜も心配そうに顔を覗き込む。


「え? い、いや~、別に大したことじゃないって。ただ、あの人ちょっと新人っぽくてさ。手続きに慣れてなかったみたいで……はははっ」


「……なんか、嘘くさいんですけど?」


 即座に返ってきた疑いの言葉に、拓也の内心がざわつく。


 まずい。この話題は、今ここで出すわけにはいかない。下手に話せば、予約を取り消せと言われるのがオチだ。ここは何としても誤魔化さなければ。


「拓也さん! わたしたちに嘘をついたんですか!?」


「い、いや、秋穂ちゃん! 嘘なんかじゃないって!」


「どうだかねえ。兄貴のことだから、なんか企んでるんじゃないの?」


 ドクン、と心臓が大きく跳ねる。


 鋭い。あまりにも鋭すぎる。


「兄さん……なんだか、焦ってる……」


 静かに告げた冬香の一言が、追い打ちのように突き刺さる。


 ――やばい。


 逃げ場はない。完全に包囲されている。


 こうして御堂拓也は、旅館に到着して早々、思いもよらぬ窮地へと追い込まれていた。


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