第38話 俺はそんな病気じゃねえ!
「星……綺麗だね」
春菜はそう呟くと、夜空いっぱいに広がる星々を見上げ、柔らかな笑みを浮かべた。その横顔は、星明かりに照らされてどこか幻想的で、思わず見惚れてしまうほどだった。
「あ、ああ……ほんとだな。こんな星、俺たちの住んでるとこじゃ見られないもんな」
どこかぎこちない声で応じながら、拓也も空を仰ぐ。無数の光が瞬くその光景は、確かに息をのむほど美しかった。
「うん……」
それきり、二人の間に言葉は途切れた。
湯気の立ちのぼる露天風呂。静寂の中、ただ湯のせせらぎと夜の気配だけが耳に届く。
――駄目だ。
拓也は心の中で頭を抱えた。
いつもなら、もっと自然に話せるはずなのに。どうして今日は、こんなにも言葉が出てこないんだ。
なんでこんなに緊張してるんだ、俺は。
理由は、はっきりしている気もする。
二人きりの温泉という状況。
そして、春菜が身にまとっているのは、たった一枚のタオルだけという、普段では到底目にすることのない姿。
いや、どっちもか……。
思考はまとまらず、ただ心臓の鼓動だけがやけに大きく響く。
「ねえ、拓ちゃん?」
ふいに、春菜が声をかけてきた。
その声に振り向いた瞬間。
彼女の腕が、するりと自分の腕に絡みついた。
「――っ!?」
柔らかな感触と、ほんのりと伝わる体温。
一瞬で、思考が真っ白になる。
な、な、何してるんだ、こいつ!?
心臓が、壊れそうなほど激しく打ち始める。
「拓ちゃんは、何も身に付けていないんだね」
「……は?」
唐突な言葉に、間の抜けた声が漏れた。
何も身に付けていない?
どういう意味だ?
ここは温泉だ。服を脱いでいるのは当然で……。
混乱した頭で考えを巡らせ、ようやくその言葉の意味が繋がる。
まさか……。
視線を下へ落とした、その瞬間。
「うわああっ!?」
慌てて両手で前を隠した。
なんでだ!?
腰に巻いていたはずのタオルが、いつの間にか外れている。
「ね? わたしの言った通りでしょ?」
春菜は、少し頬を赤らめながらも、どこか落ち着いた様子でそう言った。
その反応に、拓也は逆に戸惑う。
いやいや、もっと慌てるところじゃないのか普通!?
しかも、さっきから様子がおかしい。
いつもの春菜と、どこか違う。
「あっ」
春菜が、ぽんと手を叩いた。
何かを思いついたように、ぱっと表情が明るくなる。
「ねえ、拓ちゃん?」
「な、なんだよ……」
嫌な予感しかしない。
「もしかして……」
一拍置いて、春菜はいたずらっぽく笑った。
「露出狂でしょ?」
「違うわ!」
即座に否定する。
「え、違うの?」
「違うに決まってるだろ!」
「そっかあ……」
なぜか、少し残念そうに目を伏せる春菜。
なんでだよ。
「じゃあ……」
再び顔を上げた彼女は、また何かを思いついたように言った。
「露出症?」
「変わってねえだろ!」
思わず声が大きくなる。
「え~?」
「え~、じゃねえ!」
必死に否定する拓也をよそに、春菜はふっと笑った。
「でもね」
そう言って、彼女は優しく微笑む。
「わたしは、拓ちゃんがどっちでもいいよ」
屈託のない、その笑顔。
どこまでも無邪気で、まっすぐで。
いや、よくないだろ。
心の中で即座に突っ込みを入れる。
しかも、どっちかで確定している前提なのが納得いかない。
「あのね、拓ちゃん?」
「……今度は何だよ」
半ば諦めたように返すと、春菜は少しだけ表情を変えた。
どこか真剣で――それでいて、どこか意味深な眼差し。
そして、ゆっくりと口を開く。
このあと、思いもよらない言葉が続くことなど、拓也はまだ知らなかった。




