第2話 エロ兄貴
朝の光がダイニングの窓から差し込み、静かな空気の中に、焼きたての香りがほのかに漂っていた。拓也はすでに朝食の用意を済ませ、椅子に腰掛けて誰かを待っている。
次の瞬間――。
ドタドタドタッ、と慌ただしい足音が二階から転がり落ちてくる。三秒も経たないうちに、制服姿の夏香が鞄を片手に、嵐のように階段を駆け下りてきた。
その騒がしさに、拓也は思わず深いため息をつく。
「お前なあ……もう少し女の子らしく、お淑やかにだな――」
「ああ、もう五月蠅いなあ! 急いでるんだから、ちょっと黙っててよ!」
善意でかけた言葉は、見事に一刀両断された。どちらが年上なのか分からない有様に、拓也は肩をすくめるしかない。
夏香は席に着くや否や、テーブルに並べられた料理へと手を伸ばした。その食べっぷりは、もはや豪快という言葉では足りない。まるで戦場に赴く兵士のような勢いで、次々と口へ放り込んでいく。
急いでいると言いながら、彼女はご飯を三杯も平らげていた。
だが不思議なことに、その食欲に反して体つきは引き締まっている。余計な脂肪はなく、しなやかな筋肉が均整の取れたラインを形作っていた。
「お前さ……よくそんなに食って太らねえな」
感心半分、呆れ半分で拓也が言うと、夏香は箸を動かしながら鼻で笑った。
「当たり前じゃない。あたし、毎日部活でハードな練習してるんだから」
彼女はバスケットボール部に所属している。その練習量は、並の生徒では音を上げるほど厳しいものだ。
やがて、いつ食べ終えたのかも分からないほどの早さで朝食を平らげた夏香は、食器を流し台へと運び、手際よく片付ける。そして、拓也の用意したサンドイッチの弁当を鞄に押し込むと、そのまま玄関へ向かった。
「それじゃあ、行ってくるね。ちゃんと冬香を起こしてあげてよ」
「心配するなって。ちゃんと起こすから」
見送りに出た拓也が軽く手を挙げると、夏香は振り返り、じろりと睨む。
「“起こす”だけだからね。絶対、冬香に変なことしないでよ」
「分かってるって。大丈夫、俺を信用しろ」
「何言ってるのよ。エロ兄貴だから信用できないんじゃない」
大きくため息をつきながら吐き捨てるその一言に、拓也の表情がわずかに歪む。
言い返したい気持ちは山ほどあったが、結局それは口に出されることはなかった。
「何よ、何か言いたいことでもあるの?」
「な、何でもない。それより、早く行かなくていいのか? 朝練、遅刻するぞ」
その言葉に、夏香ははっとして腕時計へ視線を落とす。
「あっ、やっばい! 本当に時間ないじゃん! それじゃ、行ってくる!」
勢いよく扉が開き、そして閉まる音が、朝の空気に響いた。
残された静寂の中で、拓也はもう一度、大きく息を吐く。
やれやれ、と呟きながら、今度はもう一人の妹――冬香を起こすため、ゆっくりと二階へと足を向けるのだった。




