第19話 春菜の笑顔
冬香と秋穂を見送ってから暫くして、今度は春菜が迎えに来た。
いつものように並んで家を出て、バスに揺られ、気づけば学校前の緩やかな上り坂を歩いている。朝の空気はまだ少し冷たく、足取りもどこかゆっくりだった。
「ねえ、拓ちゃん?」
「ん? ど、どうした、春菜?」
声をかけられ、拓也は少しだけ慌てて顔を向ける。
「何か、今日の拓ちゃん元気がないね」
そう言いながら、春菜は顔を覗き込むように身を乗り出してきた。近い距離に、思わず視線が泳ぐ。
「そ、そうかな?」
「うん、絶対元気ない」
「何だよ、やけにきっぱり言い切るな」
「だって、私には分かるんだもん」
春菜は頬をぷくっと膨らませた。怒っているわけではないのだろうが、その仕草はどこか子どもっぽくて、拓也の目には妙に愛らしく映る。
「わ、分かったよ。確かに、ちょっと元気なかったかもな」
観念したようにそう言うと、春菜の表情が少しだけ曇る。
「拓ちゃん、何か心配事があるの?」
その不安げな顔に、胸の奥がわずかに痛んだ。
こういう顔をさせるのは、好きじゃない。
出来ることなら、自分の隣ではいつも笑っていてほしい。そんな思いが、自然と口を動かしていた。
「心配事なんてないよ。ちょっと気分的なもんだって。もう、今は平気だから」
「本当に大丈夫なの?」
「大丈夫だって。だから、そんな顔するなよ」
一拍置いて、照れ隠しのように続ける。
「春菜はさ、笑ってる顔が一番可愛いんだから」
「え? ええっ!?」
春菜が目を丸くして固まる。
「何だよ。別に変なこと言ってないだろ?」
「だ、だって、拓ちゃん……急にそんなこと言うんだもん……」
頬を赤く染め、両手で顔を隠しながらも、春菜はどこか嬉しそうに微笑んでいた。
その様子を見て、拓也はようやく胸を撫で下ろす。
よかった。いつもの顔に戻った。
それから二人は教室へ入り、それぞれの席に着いた。
そして、長く感じられる授業をいくつか乗り越え、ようやく昼休みが訪れる。拓也は清彦と机を並べ、弁当を広げていた。
「そういえばさ、拓也。温泉旅行に行くって言ってたよね? もう旅館の予約は取ったの?」
「旅館? いや、まだだけど」
「ええ!? まだ決めてないの!?」
大げさに驚く清彦に、拓也は思わず眉をひそめる。
「何だよ、その反応。昨日の夜にやっと決まったばっかりなんだぞ」
「でもさ、もうゴールデンウィーク近いよ? 今からじゃ、どこも空いてないんじゃないかな?」
「まあ……それはそうかもしれないけどな。ネットで探せば、一つくらいは見つかるだろ」
「そう簡単にいくかなあ……。しかも、どうせ条件とかあるんでしょ?」
「……まあ、な」
言葉を濁しながら、拓也は小さく息をつく。
最悪の場合、妹たちの希望に応えられないかもしれない――そんな考えが頭をよぎった。
「とりあえず、今日帰ったらちゃんと調べてみるよ」
「いいとこ見つかるといいね」
「まあ、なるようにしかならないだろ」
そう言いながらも、心の奥では別の思いが渦巻いていた。
出来ることなら、叶えてやりたい。
その気持ちだけは、はっきりとしていた。
やがて昼休みが終わり、午後の授業も過ぎていく。
そして放課後。
拓也は、どこか疲れの残る体を引きずるようにして、家路についた。




