第13話 拓也の災難
教室の扉をくぐると同時に、ざわめきと朝の光が二人を迎えた。拓也と春菜は言葉を交わすこともなく、それぞれの席へと向かう。
「おはよう、拓也」
椅子に腰を下ろした瞬間、清彦がこちらを見ている。
「おお、おはよう。どうした?」
いつもと変わらぬ調子で返す拓也に、清彦は少しだけ言い淀む。
「ねえ、拓也……」
ちらり、と清彦の視線が春菜の方へ流れた。
「今日はどうしたの? 春菜ちゃんと、何かあった?」
「は? いきなり何だよ。別に何もないって」
「え、そうなの?」
「そうだよ」
きっぱりと言い切る。だが清彦はどこか腑に落ちない様子で、顎に手を当てた。
「そっか……いや、なんとなくなんだけどさ。拓也、春菜ちゃんに対してちょっとよそよそしい感じがしたから」
「気のせいだって。変な心配すんな」
「うん……そうだね。ごめん、変なこと聞いて」
「ああ、気にすんなって」
拓也は軽く手を振って、その話題を流した。
少しの沈黙のあと、拓也がふと思い出したように口を開く。
「なあ、清彦」
「ん? なに?」
「ゴールデンウィークってさ、お前どっか行くのか?」
「ああ、それなら家族で、父さんの実家に行く予定なんだ。すごく田舎なんだけどね」
そう言って、少し楽しげに笑う。
「だからノートパソコン持っていって、ギャルゲーでもやろうかなって思ってる」
「田舎行ってまでそれかよ……。ほんと好きだな」
「うん。僕の命みたいなものだからね」
清彦は満面の笑みを浮かべた。
「で、拓也は? どこか行かないの?」
「俺は妹たち連れて、一泊二日で温泉でも行こうかと思ってる」
「いいなあ、温泉……僕もそっちが良かったかも」
「どうせ温泉行っても、お前はゲームやってるだけだろ」
「まあ、それは外せないからね」
「だろうな……」
半ば呆れたように、拓也は肩をすくめた。
やがて午前の授業が終わり、昼休み。
二人は机を寄せ合い、弁当を広げていた。穏やかな時間が流れる――はずだった。
その静けさを、突然の衝撃音が引き裂く。
ドンッ!!
机を叩きつけるような音に、教室中の視線が集まった。
「おい、御堂!」
怒声とともに現れたのは、佐伯優子。鋭い眼差しで拓也を睨みつけている。
「いきなり何だよ……。俺、何かしたか?」
「あたしじゃない!」
「じゃあ何でお前が怒ってんだよ」
「聞いたわよ! あんた、今朝――嫌がる春菜を無理やり抱きしめたんですってね!」
「はあ!?」
思わず声が裏返る。
「それ本当なの、拓也!?」
横から清彦まで身を乗り出してきた。
「僕、見損なったよ!」
「ちょ、待てって! 二人とも落ち着け!」
「落ち着いてなんかいられるわけないでしょ! 春菜はあたしの親友よ! その親友を悲しませるなんて――万死に値するわ!」
怒りで我を忘れているのか、優子はまるで話を聞く気がない。
「だから、まずは話を――」
「罪人の戯言なんて聞く耳なし! 成敗!」
「ちょ、待っ――」
言い終える前に、鋭い拳が突き出された。
「ぎゃあああっ!!」
右ストレートが見事に顔面へ直撃し、拓也は椅子から転げ落ちる。
「いってぇ……」
「どう? 少しは自分の罪の重さが分かった?」
仁王立ちの優子が、冷ややかに見下ろした。
「拓ちゃん、大丈夫!?」
慌てて駆け寄ってきた春菜が、心配そうに顔を覗き込む。
「ああ……平気平気。このくらい日常茶飯事だから」
頬を押さえながらも、無理やり笑ってみせる。
その言葉に、春菜はほっとしたように息をついた。
「春菜、そんなやつ庇わなくていいよ」
「違うの、優子ちゃん!」
春菜は慌てて首を振る。
「拓ちゃん、私を抱きしめてなんかいないの!」
「え? でもさっき――」
「違うの! 冗談で“抱きしめるぞ”って言っただけで……本当に何もしてないの!」
「え……?」
優子の表情が固まる。
数秒の沈黙の後――
「あちゃー……なーんだ。あたしの早とちりか」
頭をかきながら、ばつの悪そうな笑みを浮かべた。
「ごめん、御堂。完全に勘違いだった。許して」
両手を合わせ、深く頭を下げる。
「お前な……。謝っても、この痛みは消えねえんだぞ」
拓也は大げさに頬をさすった。
「うーん、それもそうね。じゃあ、お詫びは今度ちゃんとするから、それでいいでしょ?」
「絶対だぞ。忘れねえからな」
「はいはい。あたし約束は守るタイプだから」
「ほんとかよ……」
やれやれと息をつき、拓也は周囲を見回した。
「ほら、もうすぐ授業始まるぞ。二人とも席戻れ」
ちょうどその時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
「拓ちゃん、ごめんね……。私のせいで」
「だから気にすんなって。悪いのは早とちりしたあいつだし」
「でも……」
「俺は平気だって」
そう言って軽く笑う。
「ほら、戻れ戻れ。授業始まるぞ」
「……うん」
春菜はまだ少し不安そうな表情を残しながらも、優子と一緒に席へ戻っていった。
「いやあ……災難だったね、拓也」
弁当を片付けながら、清彦が苦笑する。
「でも安心したよ。拓也が春菜ちゃんを悲しませるようなことしてなくて」
「当たり前だろ。何で俺がそんなことするんだよ」
「だってさ――」
清彦は意味ありげに笑う。
「拓也、春菜ちゃんのこと好きだもんね」
「なっ……!?」
思わず声が詰まる。
「ち、違う! なんで俺が――」
「はいはい」
軽く流される。
その時、ガラガラと教室の扉が開いた。
「あ、先生来たね」
清彦は前を向き、姿勢を正す。
午後の柔らかな日差しが差し込む中、何事もなかったかのように授業が始まった。




