第12話 妹思い
満員のバスから解放された瞬間、二人はそろって小さく息をついた。
朝の車内はいつも通りの混雑で、身動きもままならないほどだった。外の空気はひんやりとしていて、胸いっぱいに吸い込むと、それだけで少し気分が軽くなる。
バス停から校門へ続く道は、緩やかな上り坂になっている。春のやわらかな日差しの中、拓也と春菜は並んでその坂を歩き出した。
「ねえ、拓ちゃん?」
「ん? どうした、春菜?」
隣を歩く彼女の声に、拓也は視線を向ける。
「拓ちゃんは、ゴールデンウィークってどこか出かけるの?」
「ああ、そのつもりだよ」
一拍置いて、拓也は続ける。
「妹たちと温泉にでも行こうかと思ってる。今朝、冬香が入りたいって言っててさ」
「温泉……いいなあ」
春菜はふっと表情を和らげた。
「実はね。私も、家族で一泊二日の温泉旅行に行く予定なの」
「へえ、春菜のところもか。偶然だな」
「うん」
頷いたあと、春菜はふいに黙り込んだ。顎に手を当て、どこか遠くを見つめるような仕草をする。
その様子に気づいた拓也が、少し首を傾げる。
「どうした? 何か気になることでもあるのか?」
「あっ……。えっとね、拓ちゃん」
「おう」
言い出しにくそうにしながら、春菜は視線を泳がせる。
「も、もし……よかったらなんだけど……」
一度言葉を切り、意を決したように顔を上げた。
「私たちと一緒に、温泉旅行に行かない?」
その一言に、拓也はすぐには答えなかった。ほんの一瞬、唇を引き結び、考えるように視線を落とす。
そして、ゆっくりと首を横に振った。
「……ごめん、春菜。せっかく誘ってくれたのに、今回は遠慮しておくよ」
「あっ、ううん! いいの!」
すぐに明るい声が返ってくる。
「一緒に行けたら楽しいかなって、私が勝手に思っただけだから」
にこりと笑うその顔は、いつも通りの柔らかさを保っていたが、どこかほんの僅かな寂しさが滲んでいるようにも見えた。
それに気づいたのか、拓也は慌てて言葉を続ける。
「いや、俺一人だったら行ってもよかったんだけどさ」
「え……?」
「でも、妹たちが……。春菜や秋穂ちゃんが、春菜の両親と仲良く楽しそうにしているのを見たら、羨ましくて寂しい思いをするんじゃないかと思って」
拓也は肩をすくめて、春奈に視線を向ける。
「だから、本当にごめんな」
春菜は一瞬きょとんとしたあと、やがてふっと笑みを深めた。
「いいのいいの。本当に気にしないで」
軽く両手を振りながら、優しく言う。
「拓ちゃんって、昔から変わらないよね」
「そうか?」
「うん。すごく妹さん思いなんだもん」
そう言って、背中の後ろで手を組み、少し弾むような足取りで歩く。
「まあ……普通だろ」
「全然普通じゃないよ」
くすりと笑いながら、春菜は続ける。
「私、ちょっと羨ましいなって思うもん。あーあ、私も拓ちゃんの妹として生まれたかったなあ……」
そこまで言って、はっとしたように言葉を止める。
「あ、でも妹だと……」
「俺はさ」
その続きを遮るように、拓也が口を開いた。
「春菜が幼馴染でよかったと思ってる」
「え……?」
「勉強も、料理も、いろいろ世話になってるしな。助かってるよ」
真っ直ぐな言葉だった。
春菜の頬が、みるみるうちに赤く染まっていく。
「そ、そうかな……?」
「ああ。ほんと、感謝してる」
その一言に、春菜は少し視線を逸らしながら、小さく笑った。
「……なんか、ちょっと恥ずかしいかも」
それでも顔を上げると、そこにはいつもの明るい笑顔があった。
「でも、嬉しい。私もね、拓ちゃんの幼馴染でよかったって思ってるよ」
春の光の中、その笑顔はいつも以上にまぶしく見えた。
それを見つめる拓也の頬も、ほんのりと赤く染まっていることに、本人だけがまだ気づいていなかった。




