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第1話 御堂家の朝

「お兄ちゃん、起きて。朝だよ」


 柔らかな光がカーテンの隙間から差し込み、静まり返った部屋に、少女の声だけがやさしく響いた。


 御堂家みどうけの朝は、いつもこうして始まる。妹の夏香なつかが、兄・拓也たくやを起こしに来る――それが、もう当たり前の光景になっていた。


「お兄ちゃん、学校に遅刻しちゃうよ」


 布団の中の兄は、ぴくりとも動かない。呼びかけは、まるで深い水の底へと沈んでいくように、何の反応も引き出せなかった。


 夏香は小さく肩を落とし、ひとつ溜息をつく。


「もう……お兄ちゃんったら」


 少しだけ考え込むように視線を泳がせたあと、彼女はふっと頬を赤らめた。


「早く起きないと……チュー、しちゃうからねっ」


 いつもの元気な声とは違う、どこか甘く、ぎこちない響き。言った本人が一番恥ずかしがっているのが分かる声だった。


 その一言が効いたのか――。


 拓也のまぶたが、ゆっくりと持ち上がる。


 ぼんやりとした視線が夏香を捉えた、その瞬間だった。


 次の動きは、あまりにも唐突だった。


 寝ぼけたままの拓也は、無意識のように腕を伸ばし、夏香の体を引き寄せる。そのまま顔を近づけ――


「妹に何しようとしてんのよ、このエロ兄貴!」


 鋭い声とともに、鈍い音が部屋に響いた。


「いってぇ……!」


 頬を押さえ、顔をしかめる拓也。完全に目が覚めたらしく、涙目で妹を見上げる。


「お、お前なぁ……いきなりグーで殴ることないだろ……」


 抗議する声は弱々しい。だが夏香の怒りは収まらない。


「何言ってんのよ! わざわざ起こしに来てあげたのに、いきなりキスされそうになったら殴るしかないでしょ!」


 つり上がった目が、はっきりと怒りを物語っていた。


「いや、だから……寝ぼけてただけで……」


 しどろもどろに言い訳をする拓也に、夏香は一歩も引かない。


「寝ぼけてようが関係ない! どこの世界に妹の唇奪おうとする兄がいるのよ!」


 その問いに、拓也は一瞬だけ考える素振りを見せ――


 にやり、と口元を歪めた。


「ここにいるぜっ!」


 次の瞬間、再び拳が飛んだ。


「もうっ! 朝から余計な体力使わせないでよ!」


 怒りに満ちた声を残しながら、夏香は勢いよくドアを開ける。


「これから朝練なんだから! 朝ごはんとお弁当、早く作ってよね!」


 バタン、と大きな音を立てて扉が閉まる。


 部屋には、しばしの静寂が戻った。


「はぁ……朝っぱらから妹に殴られるとか、最悪だ……」


 頬をさすりながら、拓也は天井を見上げる。


「……それにしても、惜しかったな」


 ぽつりと漏れた言葉に、自分でも苦笑する。


「……いや、今はそんなこと考えてる場合じゃないか」


 ゆっくりと体を起こし、頭を掻いた。


「さっさと飯と弁当用意しねぇと、また殴られるしな……」


 そう呟きながら、拓也は部屋着に着替え、ダイニングへと向かう。


 御堂家には、父親の姿はない。仕事の都合で海外にいることが多く、この家で日常を共にすることはほとんどなかった。


 母親は、いない。


 双子の妹――夏香と冬香を産んだ後、ほどなくしてこの世を去った。


 だからこそ、この家の日常は、どこか歪で、それでも温かい。


 兄・拓也と、双子の妹たち。


 三人で紡ぐ、少し騒がしくて、少し不器用な――それでも確かな、家族の朝が、今日もまた始まるのだった。


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