1-3:うんと甘い恋文を
「魔法使い様と呼ばれる理由ですか?」
勉強会の教材となるのだろう、数冊の本とまっさらな紙をテーブルに広げる彼に、聞きたかった質問を投げかける。
ユリウスさんの人となりは、少し話しただけの私にも分かる。誠実な方なのだろう。
この勉強会で文字を教わることはもちろんだが、この世界の常識や私が知らないことについてもいっそのこと教えてもらおうと思う。
無知故に知ったかぶりをして迷惑をかけるくらいなら、初めから何も知らないと白状して勉強会と言う名の彼の厚意に甘えた方が良い気がしたのだ。
「はい……、村の方は私のことをそう呼びますが、何故なのか理由をご存知ですか?」
私の言葉に手を止め、考える素振りをするユリウスさん。
「僕も両親からそう呼ぶようにと言われているだけで、ここ数年は王国に滞在しており確かなことは分からないのですが……。村はここ数年雨が降らず、干ばつに苦しめられていたと聞いています。それをたった一言で解決してしまったのが魔法使い様だと伺っています」
私は神様か何かか?雨を降らせたのか作物を実らせたのか分からないが、魔法使いってそんなに万能なものなのだろうか。
私が聞いたことのある魔法使いは『ふぁいあーぼうる』とか火の玉を飛ばせるくらいの存在だと認識していたのだが。
自然に。自然に、私の思い描く魔法使いと認識をすり合わせる質問をひねり出すんだ。
「じ、実はここ最近、記憶が混濁していて、その出来事が記憶にないのですが……魔法使いというのはそんなことも出来るのでしょうか?」
「……物忘れですか?お身体、大事にされてくださいね……?」
あ、くそ。何だ、その哀れみに満ちた目は。今、この世界に来て初めて高齢者扱いされた気がする。
高齢者ならではの物忘れとして自然には聞けたが、尊厳を踏みにじられた気がして奥歯をギリギリと噛み締める私を余所に、ユリウスさんは思い出すように視線を空中に向けた。
「僕のパーティーにも、魔法使いはいますが……僕は初めて聞きました。攻撃魔法、支援魔法といろいろありますが、大々的に環境を変えてしまう魔法は賢者様のお伽話でもない限り、聞いたことがありません」
「そう、ですか……」
疑問が解消したようで解消されていない。
結局、「魔法使い様」とは何なのだろうか。詠唱は物語の話で良く聞いたことがあるが、魔法を『見たことが無い』私には、魔法がどんなものか想像も出来ない。
釜戸に火がつく、あれは魔法なのだろうか。それが『火』であるか確認しようとして熱くて痛い思いをしたのは記憶に新しいので、魔法が痛いものではないことを願うばかりだ。
「さて……始めましょうか」
「は、はい!よろしくお願いします!」
そうして、私が世界を知るための勉強会はゆっくりと着実に始まったのだった。
◇
「……はい、お疲れさまでした。今日はこの辺にしておきましょうか」
「ありがとうございました」
日も暮れだした頃、ユリウスさんの一日目を締めくくる言葉で勉強会は無事に終わった。
文字を学んでみて思ったのだが、これは本当に文字か?という印象でしか無かった。
もっと丸くて柔らかい印象を受ける字体を想像していたのだが、実際はカクカクしていてグルグルしている。
この、点が何を意味するのかも分からない。でも、これを繋げて『こんにちは』になるのか。実に興味深い。
この世界は異世界であるし、日本とも違う文字なのかもしれないが、五体満足で帰った時にまた一から日本の字体を学ぶことになることだけはやめて欲しいと思ってしまう。
自分が書いた文字を見つめながらうんうん唸っていると、ユリウスさんの「ふっ」と鼻で笑う音が聞こえた。
「ああ、すみません。一生懸命になっていらっしゃるので、何だか可愛らしくて」
「か、可愛いですか……?」
老婆が?
その感想が出てくるのは寛容を飛び越えて、彼の感性が人とずれていないか心配してしまうレベルだ。
肩まで伸びた髪を揺らしながらテーブルの上を片付け始める彼の手伝いをしながら、そっとその顔を盗み見る。
顔をどう思うかと聞かれたが、何度見ても私には何も感じることが出来ない。村の人と比べて抱く印象はあるが、それが彼の求める回答かは分からない。
確かに村の人より目鼻立ちはハッキリしていて、鼻は高く、澄んだ青色の瞳はパッチリと切れ長で、唇は薄い気がする。
村に住んでいた男性は皆髪が短かったから、ユリウスさんほど髪を伸ばしている男性もこの世界では珍しいのかもしれない。
そう、私に答えられるのは視覚的比較だけで、そこに私の感情は含まれない。そこがユリウスさんが私に求めた感想と、彼に好意を寄せる女性との違いである気がしている。
世の中には一目惚れというものが存在すると聞いたことがある。その人の見た目に一瞬で恋をするのだとか。
目が見えなかった私には夢物語の話だった。現に今、目が見えるようになっても、顔を判別することで精一杯で一瞬で恋に落ちる程の余裕はない。
「はあ……」
「どうされましたか?僕の教え方が悪かったのか……もしくは、恋患いですか?」
分かりやすくため息をついてしまった私にも非があるが、そこは聞かなかったことにするとか大人の反応は出来ないのだろうか。
それに、その件は『何も聞かなかった』ことにしてくれたわけではなかったのだろうか。
恨みがましく彼を睨みつければ「すみません」と、彼は悪びれもせず穏やかに微笑みながら言葉だけで謝罪を示してくる。
「……何歳になっても恋は出来ますよ。文字が書けるようになったら恋文を書きましょう。うんと甘い恋文を」
それは素敵だなと思う。
今は相手がいないが、恋文を受け取ってくれる相手が現れたらその時はきっと──。
老婆の恋愛事情を茶化された気もするが、代替案としてはこれ以上ない提案をされたのでその後は機嫌よく過ごすことが出来たのだった。




