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1-2:名前を教えて

「か、顔……ですか?」


 顔について質問されてしまった。

 どう思ったかなんて言われても、数日前まで目も見えなかった私が彼の顔を誰かと比較することなんて出来るはずもないのだが。


 ユリウスさんの表情は緊張で強張るほど真剣なことが見て取れる。

 ここは真面目に答えるべきなのだろう。私の記憶に新しい村の人たちの顔を思い浮かべながら必死に感想を絞り出す。


「め、目がロアン君と同じ青色ですね……」

「そうではなく。何か、感じませんか?」


 絞り出した感想を一蹴りされてしまった。

 感じませんか?なんてスピリチュアル的なことを求められても、生まれてこのかた幽霊の存在も感じたことが無い。

 私は占い師か何かだとでも思われているのだろうか。彼に憑いている守護霊の存在を感じてほしいという意味なのか何なのか、言葉の意図が全く分からない。


「ユリウスさん……?す、すみません。私は占い師ではないし、視覚情報だけでユリウスさんを誰かと比較することも出来ないのですが……」


 今や眼前にまで迫ったユリウスさんの顔に若干後退しつつそう答えると、彼は脱力したようにガタリと椅子に座り直した。


「……驚いた。こんな人初めてだ」


 言葉通り心底驚いたと言わんばかりに目を見開き、前髪を乱暴にかきあげるユリウスさん。何故だかその仕草が意外だと思ってしまう。

 何が言いたかったのだろうか。確かにこの場に浮いている気はしているが、それがユリウスさんの顔が原因かは私には分からない。

 ロアン君の村で初めて人の顔をまじまじと見たが、それは数日前の話だ。もっと言えばそれより前は顔を判別することも出来なかったのだから、視覚情報だけで人の顔に優劣をつけることなど今の私には到底出来そうもない。


「失礼しました……皆、僕の顔を見ると綺麗だ何だと態度を変えるものだから、これから関わっていくあなたも彼女らと同じなのではないかと疑ってしまいました」


 顔が綺麗で態度を変える……あれか、この人はモテる人か。なるほど、勉強になる。この人の顔が一般的に整っている顔と言うのか。


「せっかくお茶を出していただいたのに、すぐに口をつけなかったのにも理由があって……以前、媚薬を盛られたことがあったんです。それ以来、女性が出すお茶がどうしても怖くて……」

「!?そ、それは……怖かったですね。誓ってお茶以外何も入れていませんが、飲まなくても……」

「いえ、飲ませていただきます!これから長い付き合いになるのに、ご厚意を断り続けるなんて失礼です」


 まだどこか緊張した面持ちでコップを持ち上げるユリウスさんの様子に、見ているこちらがハラハラしてしまう。

 お茶以外確かに何も入れていないが、過去に飲み物に薬を盛られた経験があるなんて私ならトラウマものだ。

 その後どうなったのかも気になるが、彼が目の前に座っている事実を見れば事なきを得たに違いない。いや、何事も無かったと思いたい。


「……!」


 コップを口に付け、中のお茶を一気にあおるユリウスさん。

 彼の喉に上下する膨らみを見つけてしまって、あれが喉仏と言うのだろうか、とか彼の覚悟を前に不謹慎なことを考えてしまう私を許して欲しい。初めてまじまじと見たのだ。


 ほどなくして飲み干した空のコップを静かにテーブルに置き、無言でうつむく彼の姿を前に息を呑む。

 そんなにまずかっただろうか。味見はしているし、味は普通の紅茶だったと思うのだが。

 ネガティブな想像が膨らんでしまう私を余所に、彼は一言ポツリと何事かを呟いた。


「……飲めた」

「? はい、飲み干してくださいましたね。あの量を……あろうことか一気飲みで」


 呆然としてしまう。彼は何と戦っているのだろうか。老婆相手に。

 私の戸惑いなど想像もしていないのだろう、ユリウスさんはパッと顔を上げその場に立ち上がると片手を差し出してきた。


「……今、確信が持てました。私はあなたと上手くやっていけそうです。魔法使い様、お名前を伺っても?」


 名前?


 私の名前は──だ。


 ?


 私の名前は──。


 思い出せない。私は誰だっただろうか。


 両親は私のことを──と呼ぶ。


 何故だろう、名前だけが思い出せない。

 老婆として生きた記憶もない。名乗っていた名前も知らない。

 私は……『誰』なのだろうか。


 徐々に青ざめていく私の様子にユリウスさんは不思議そうに首を傾げている。

 答えなければ。当たり障りのない、何か、納得してもらえる回答を。


「……い、今は魔法使いと呼んでください。友と呼べるほど親しくなった時に……お教えします」

「! 承知しました。では、魔法使い様。これからどうぞよろしくお願いいたします」


 彼の手を取り、微笑を浮かべる。私は上手く笑えているだろうか。

 いつから、名前が思い出せなくなったのだろう。この世界で目覚めてから?名前を呼ばれることが無かったから確かなことは分からない。


 この世界で生きるということは、私が私でなくなるということなのだろうか。


 胸に抱いた微かなこの世界で生きていくことへの恐怖を言語化することも出来ず、その日の勉強会は私の心とは裏腹に穏やかに始まるのだった。

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