1-1:お兄さんは顔が気になるお年頃
私は何を呆けていたのだろうか、問題は何も解決していなかった。
ロアン君のご家族に私のことを「魔法使い様」と呼ぶ理由を聞こうとしていたのに、久しぶりの人間との交流が嬉しくてすっかり忘れていた。
それだけのために村に戻るわけにもいかず、数日無意味に頭を抱えながら過ごしていた矢先。
ロアン君のお母様から、伝言と何かが包まれた袋を手渡して伝えて欲しいと頼まれたと言う村の住人が私が住んでいる小屋を訪れた。
その場で「魔法使い様」について聞こうともしたが、夜も遅く、こんな時間に引き止めては印象が良くない気がして、その方にはお礼だけ伝えて帰ってもらった。
伝言の内容はロアン君のお兄さん、ユリウスさんが先日村に帰って来たとのこと。明日伺うと言う内容のものだった。
私が文字が読めれば手紙でも良かったのだろうが、わざわざ面と向かって伝言を伝えに来てくれた方に申し訳なさを覚える。
それからは、とくに散らかっていない部屋を夜通し掃除した。
私は普段水を飲んでいたが、お客様に水を出すわけにもいかないだろう。鍛え上げられた嗅覚で台所からお茶の葉を見つけだし、お客様に出す飲み物も抜かりはない。
翌朝、ロアン君のお母様からの伝言と一緒に届いた手鏡で身だしなみをチェックする。
「うら若きお嬢さんは、私の息子を見てビックリすることでしょう。身だしなみは乙女の嗜みよ……か」
手鏡を受け取って、今の自分の姿を初めて見た時は正直落胆してしまった。
村でロアン君が紹介してくれたおばあさん、おじいさんと同じ見た目をしているからだ。
村のおばあさん、おじいさんを非難しているわけではない。彼女たちは少なくとも六十歳から八十歳だと聞いていて、私の精神年齢はまだニ十歳にも満たない年齢である。見た目と精神年齢のギャップにうら若き少女が落ち込むなと言う方が酷ではないか。
「……」
ナルシストは鏡を見て自分の美しさにため息をつくと聞いたことがあるが、私は違う意味でのため息をついてしまう。
生きることに必死で恋をすることもしなかった。こんなことになるなんて想像も出来なかったが、老婆の姿では私のことを恋愛対象として好いてくれる男性はこれから一生現れないのではないだろうか。
愛し愛され家族になった両親のような家庭をゆくゆくは持ちたいと思っていただけに、鏡に映るしわくちゃの老婆の姿がその夢はもう叶わないと訴えかけてくるようで二度目のため息をつく。
「恋……したかったな……」
「っげほ!」
「!?」
一人暮らしをしているはずの小屋に響く二人分の声。
扉の蝶番が開いているよと言わんばかりにきしむ音が鳴る以外、瞬時に静まり返る室内。
声の主が誰かなんて考えるまでもない。今日来ると伝えられていたロアン君のお兄さんである可能性以外何も思いつかない。
私は、今、何を、呟いた?老婆の姿で「恋がしたかった」なんて独り言を、聞かれてしまった……聞かれてしまった聞かれてしまった聞かれてしまった聞かれてしまった!
「く……っ」
「あの……僕は何も聞いていないので、何も恥ずかしがる必要は……」
──誰の!せいで!恥ずかしがっていると!
半ばやけくそ気味に開いている扉に視線を向けると、一人のすらりとした背格好の男性がどこか緊張気味にその場に立ち尽くしていた。
「……?」
気のせいだろうか。男性がこの場にやけに不似合いに見えてしまう。
目が霞んでいるのかと思って瞼越しに目をこすってみても変わらない。男性だけがこの場に浮いているように見える。
沈黙がいたたまれなくなったのか視線を泳がせ、男性はその顔に愛想笑いを浮かべた。
「すみません……声はかけたのですが、物音はするのに返事がなかったので……勝手に扉を開けてしまいました」
「い、いえ!私こそすみません、ぼうっとしていたもので……ユリウスさんですよね?どうぞお入りください」
「失礼します」と言い、恐る恐ると言う言葉が相応しい程にノロノロと中央のテーブルまで歩を進めるユリウスさんを横目に、沸かしておいたお湯でお茶を作る。
こんな老婆相手に何を緊張する必要があるのか分からないが、終始おどおどしているユリウスさんに椅子に座ってもらい、淹れたばかりのお茶を出す。
それにしても、何度見てもユリウスさんがこの世界に浮いている気がする。私の目はおかしくなってしまったのだろうか。
私の前に座った彼は、私が出したお茶のコップの淵を指でなぞった後、姿勢を正して深々と頭を下げた。
「弟から聞きました。野犬から弟を助けていただいたそうで……本当にありがとうございました。村に食料を分けてくださっていることについても……何から何まで、本当に……」
「頭を上げてください……っ、私は出来ることをしただけで、こうしてお礼もしていただいています。これ以上は気になさらないでください」
私の言葉に渋々といった感じで頭をあげるユリウスさん。その髪色はロアン君と同じ金髪で、未だに申し訳なさそうに伏せられた瞳はお父様譲りの澄んだ青色だ。
それにしても、あの獣は野犬と言うのか。この前道案内してくれた犬とはだいぶ毛色が違ったが、あれも犬種であることに驚きだ。
新たな発見に感慨深くなっている私を余所に、目の前の彼は姿勢を正し、先ほどよりも意志の宿った瞳で私を真正面から見つめてきた。
「母に文字を教わりたいと聞きました。それについては全然良いのですが、王国で冒険者業に就いていて、稼ぎと仕送りを絶やすわけにはいかないので……。この森の付近の依頼がある度に勉強会を開く……でも構いませんか?」
「願ってもいないことです!時間を割いていただくことになりますが、どうかご足労お願いいたします……!」
今度は私が頭を下げる番だ。深々と頭を下げ、誠意をこれでもかと示す。
「……」
おかしい。
自分なりの誠意を示しているつもりなのだが、何故だか沈黙が続く。
何故だろう。もっと誠意を見せろと暗に言われている気がして来た。
これ以上差し出せるものなど、私が生きてきた世界の土下座と言うもの以外何も思いつかないのだが、この世界で土下座が通用するのか分からない。
頭を上げるタイミングを完全に逃し、頭を下げ続ける老婆をこの空間に浮いているとしか思えない男性が見つめ続けるという異様な光景が生まれてしまっている。
立場は完全に逆転し、私が恐る恐る顔を上げると、目の前の彼は唐突に身を乗り出し声を張り上げた。
「あの……!つかぬことをお聞きしますが、僕の顔を見ても何も思いませんか!?」




