0-6:あなた
「まだ安静にしていた方が良いのではないか」と言うお母様の提案を押しのけて「何も知らない魔法使い様におれが村を案内してあげる」と言うロアン君。私は彼の提案に乗ることにした。
家の扉を開けると、私が住んでいた小屋の周囲の空気とも違う匂いや音が私の五感を埋め尽くす。
ロアン君くらいの子供達が駆け回り、お母様くらいの男女の人間が子供達を見守りながら手をせわしなく動かしている。
これが人が生活している景色、私が見たかった世界。
私の目に何が見えているのか。視覚を一致させる作業にまだ時間はかかってしまうが、感覚でなんとなく……分かる。
「魔法使い様?ほらっ案内するよ!何が知りたい?」
私の服の裾を引っ張りながら、ロアン君がキラキラとした視線を向けてくる。
今、この場では私よりロアン君の方が物知りであることに違いない。
子供の好奇心も満たせるし、ここはお言葉に甘えてご教授いただこう。
「色と……それがどういう名前なのかを知りたいの」
「本当に何も知らないんだね……分かった!良いよ!」
ロアン君は私の手を取り、自分の頭の上にポンと乗せて見せる。
「おれたち家族は母さんとユリウス兄さん、おれが金色の髪色をしているの!青色の目は父さん譲りで、王子様みたいって言われてるんだぜ!」
誇らしげに胸を反らすロアン君の姿が可愛らしくて微笑ましくなってしまう。
これが金髪……物語に出てくる王子様は金髪碧眼だとよく聞くけど、こんな感じなのかと無意識にロアン君の髪を撫でおろす。
染めたわけではなく地毛だったのか。さすが異世界。ご両親がどんな教育をしているのかと一瞬思ってしまった自分に後ろめたさを感じてしまう。
「……気持ちいい」
それにしても、ロアン君の髪は触り心地が良い。
自分の髪はこうはいかない、梳いても梳いても絡まってしまうのだ。私の体はもう若くないことが分かったが、年齢のせいだろうか。
思う存分撫で過ぎたのだろうか。撫でられている間、ロアン君はもじもじしていたかと思うと、次の瞬間には私の手を振り払い数歩先に駆けて行った。
「撫で過ぎだよ!ちなみに魔法使い様の髪の色は真っ白!お布団と一緒の色!ほら、次行くよ!」
ロアン君は顔が真っ赤になってしまっている。
人は照れた時、顔が血の色に似た色になると言う。血は見たばかりだ。ロアン君は照れているのか。
「ふふっ」
私の行動でロアン君が感情を見せてくれたことが嬉しい。
先を行くロアン君に遅れないように、小走りに彼を追いかけるのだった。
◇
木々は木と葉で構成されている。木は茶色なこともあれば薄茶色のこともある。葉は季節によって色を変え、夏は緑、秋は赤や黄色、冬は枯れ、春に黄緑色の芽が芽吹く。
川は透明な水が流れている。水が汚れていると濁った色に見えることもあるらしい。底が見える程の透明な水はその水が綺麗な証拠だとか。
地面は砂と雑草が生えていることがほとんどだと言う。砂は薄茶色で雑草は緑や黄緑。野の花が生えていることもある、青、紫、黄色、ピンク、色とりどりだ。
野の花に目を奪われていると、ロアン君が裾を引っ張って私の顔を覗き込んで来た。
「緑……茶色……薄茶色……透明、は色じゃないから、青……紫……黄色……ピンク!どの色が好きだった?」
正直、色名と視覚を一致させることに一生懸命で好き嫌いを考えられるまで余裕はないのだが。ロアン君の顔をジッと見つめてみる。
ロアン君やロアン君のお母様は私の目を見て話してくださるのだが、とりわけロアン君の青い瞳は綺麗だと思う。
「青、かな……ロアン君の目、綺麗だと思うし」
「! ふ、ふん……っ、おれは王子様だぞ!当たり前だし!ほ、ほら、次行こ!」
いつからこの子は王子様になったのだろうか。
その顔はまた真っ赤になっている。褒められ慣れていないのだろう初心な反応にまた顔がにやけてしまう。
その後は改めて小屋の中を案内してくれたり、村に住むという住人に挨拶して回った。
住人たちは「魔法使い様」と聞くと怪訝な顔をしていたが、ロアン君が助けられたと聞くと頭を下げ口々に「勘違いしていた」と口にした。
この体の持ち主は、どういう生活を送っていたのだろうか。住人たちが勘違いするような何かが「魔法使い様」にあったのは確かだ。
私がこの体で生活をしていくために、ロアン君のお母様の言葉を借りるなら良好な人間関係を築くべきだ。ご近所付き合いで悪い印象を打破していかなければならない。
◇
「うちのロアンが連れ回したと聞いた。病み上がりなのに申し訳ない」
ロアン君のお家に戻る頃には日も暮れだし、ロアン君のお父様が私達を出迎えてくれた。
「大丈夫ですから!頭を上げてください!私はロアン君とお出かけ出来て楽しかったです」
「……」
私の言葉を聞いたお父様は、呆気にとられたように言葉を失いその場に立ち尽くしてしまう。
何事かと思っていると、お母様がお父様の手を取り「あなた」と一言呟いた。これが夫婦かと思った。その一言だけでお母様の感情がお父様に伝わったのだと瞬時に理解した。
「あ、ああ……想像していた魔法使い様と少し、イメージが違ったもので……」
「ふふっ、そうね?悪い魔法使い様じゃないものね?」
「うん!」
温かい。
一人一人の役割が上手く嚙み合っている家庭だ。
これなら文字を教えてくれると言うユリウスさんも良い人に違いない。心底安心できる。
「それじゃあ、私はこの辺で失礼します。看病してくださって本当にありがとうございました」
頭を下げ、ロアン君の家を出ようと扉に手をかけるとくんと裾を引っ張られる。
この感覚を今日何度も感じた。ロアン君が何か言いたいときの合図だ。
振り返ってロアン君と同じ目線の高さにかがみ、その頭を撫でおろす。
「私の家には猫ちゃんがいるの、一人には出来ないわ。また遊びに来るから……ね?」
「うん……約束だよ!ねっ、母さん、父さん、良いよね!?」
ロアン君の言葉に柔らかく微笑んで頷いてくれるご両親の姿にホッと胸を撫でおろす。
「またね」
◇
彼の家を離れた後。
私が住む小屋までの案内役を任され、先導してくれている犬の後をついて行きながら一人考える。
案外やっていけるかもしれない。優しい人たちにも出会え、ゆっくり、一つずつではあるが分からないことも解消してきている。
これが異世界転生のチュートリアルと言うものなら、幸先良いのではないだろうか。
ご縁を運んでくれたロアン君には感謝しても感謝し尽せない。私からもお礼としてあの家族や村に何か出来たら良いのだが。
「……」
夜道は虫の鳴き声が響き、一匹と一人の足音だけがこの場に響く。
昼間はあんなに怖い思いをしたと言うのに、今の私の心はとても凪いでいた。




