0-5:異世界で出会った温かい家庭
温かい。
体も温かいのだが、空気が温かい。
お母さんとお父さんが帰ってきたのだろうか。
「お帰りなさい」と二人を迎えて、目が見えるようになったことを報告するんだ……。
◇
願いを込めてうっすらと目を開けてみる。
目を閉じていた時から分かっていた。ここは私が生活していた小屋とも違う生活臭がする。
ぼんやりとした視界の端で、小さな頭が私の顔を覗き込むように身を乗り出した。
「あ!おばあさん、目を覚ました?母さんを呼んでくる!」
傍にいてくれたのだろう。ロアン君は外にご家族を呼びに行ってくれたようだ。
「……」
この期に及んで家に帰りたいと思ってしまうなんて、私のホームシックは重症だ。
ここは異世界で、私を知っている人もいない世界で、お母さんもお父さんもいない世界で。
私はこれからこの世界で生きて行かなければならないのだ。
いつまで?
帰れないの?
帰ったらまた何も見えなくなるの?
「……っ」
いい歳した大人なのに涙が滲んでいる気がする。
私の今までの人生は、与えられる選択肢が少ない中で生きやすい選択肢を選び取っていくものだった。
だが今はどうだ。
帰りたい。
帰れるなら目が見えるまま帰りたい。
お父さんとお母さんの喜ぶ顔を自分の目で見たい。
帰ることでまた目が見えなくなるなら……帰りたくない。
目が見える今の生活を大事にしたい。
視覚という選択肢を与えられたことで、私の胸の内はごちゃごちゃになっていた。
神様は私に何を望んでいるのだろうか。こんな親不孝なことを考えてしまうなら、視覚なんていらなかった。
いや、嘘だ。嬉しいんだ。嬉しいから、私の居た世界に帰ることでまた見えなくなることが怖いんだ。
また、お母さんが自分を責めるんだ。私を第一に考えるお父さんの自由をまた奪ってしまうんだ。
どうしたことか。私は自分のことしか考えていないではないか。
良い子になれていたと思っていたのに、視覚を得て分かったことは私が自己中心的な人間だったということだ。
「あらあら……どこか痛む?」
「!」
思考に溺れていて気付かなかった、私が横たわっているベットの傍にロアン君と同じ髪色の女性が立っていた。
小屋に満ちる温かい生活臭は、この女性からしているのだとすぐ分かる。
ロアン君のご家族、お母様なのだろう。
「す、すみません!大丈夫です。ここは……?」
「ロアンと私達の家よ。ロアンを助けて倒れたって聞いて私達の家に運んでもらったの」
そこまで言うと女性は、私の手を両手で包み込み深く頭を下げた。
「本当にありがとうございました。あなたも命の危険があったと言うのに、ロアンを守ろうとしてくれたと聞いて……どれだけ感謝しても足りないわ」
「あ、頭を上げてください……!正直何が起こったのかは分かりませんが、ロアン君も私も無事ですから!」
慌てて体を起こし、ロアン君のお母様の肩に手を置いて頭を上げるように懇願する。
そこではたと気付く。ロアン君のお母様は何歳だろうか。
私のお母さんは年を取って老ければ老ける程、手や顔にしわが増えていくと言っていた。
ロアン君のお母様より私の手のしわも顔のしわも圧倒的に多い気がする。私の体は何歳なのだろうか。
「おばあさん……」
「こらっロアン。魔法使い様、でしょう?」
ロアン君も『おばあさん』と呼んでいる。確定で私はもう若くないらしい。
まだニ十歳にもなっていなかったのに、こんなのあんまりだ。
「ふふっ、それにしてもイメージと違うのね」
「?」
「森の中に住む魔法使い様は気難しい方と伺っていたのだけど、話してみるとうら若き娘さんと話しているみたいだもの」
お母様、だいたい合っています。見た目はおばあさんでも中身はうら若き乙女です。
そんなことを言おうものなら頭がおかしい人判定待ったなしなので、愛想笑いをしつつ黙っておく。
「それで……ロアンを助けてくれたこともそうだけど、あなたは人知れずこの村に食料を納品してくれている。魔法使い様、村を代表して何かお礼をしたいの」
「そんな……っ、気にしないでください。私が勝手にやったことですから……」
「難しく考えないで?ご近所付き合いよ、助け助けられこれからも上手くあなたと共存していきたいの」
お母様はいたずらっぽくウインクして見せると私が座るベット脇に腰を下ろした。
腰を据えて話しましょうという意志が伝わってくる。これはお礼を答えない限り納得はしてくれないだろう。
「……」
頼んでみても良いのだろうか。
この歳でそんなことも知らないのかと軽蔑されないだろうか。
でも、この体の持ち主が書いたと思われる手記を解読するためには必要なことだ。
自分の目で本だって読んでみたい。ずっと憧れていたことだ。
目をギュッとつぶり、握る手に力を込め、恥を忍んで私の希望を声に出す。
「も、文字を……教えていただけませんか?」
小屋が静寂に包まれる。
軽蔑されたのだろうか、頭から血の気が引いていく。
そんな私の内心とは裏腹に、静寂を破ったのはロアン君の快活な笑い声だった。
「な!母さん、おばあさんは悪い魔法使いじゃないって、おれが言った通りだっただろ!」
「ふふっ、そうね?」
恐る恐る顔を上げ、二人の顔色を伺うが不機嫌ではなさそうで安心する。
ロアン君のお母様は私の方に向き直り、申し訳なさそうに眉を寄せた。
「……魔法使い様。この村は識字率が高くなく、教えられる者がおりません。王国から冒険者をやっている息子を呼び戻しますので、息子から教わっていただく……でも、お礼になりますか?」
「も、もちろんです!教えていただけるなら、どなたでも!喜んで!」
ロアン君が住む村は、文字を読み書き出来る人がもともと少なかったようだ。
「良かった」と胸をなでおろすお母様と「話してた兄ちゃんのことだよ!ユリウス兄!」と興奮した様子のロアン君。
一気に緊張が解けてどっと疲れてしまった。
獣を前にして何が起こったのか分からなかったが、今は体に違和感もない。
今は、今この瞬間は、この世界に来て初めて出会った人との交流を噛み締めよう。




