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0-2:新生活は黒猫と共に

「お、お母さん……?お父さん……?」


 人の気配はしない。

 私が見ていた世界のような色の毛むくじゃらが、私が喋るたびに返事をしてくれるが『誰も居ない』。

 今日は日曜日のはずだ。両親は日曜日の朝、いつも「おはよう」と朝食の匂いに満ちた部屋で私を迎えてくれる。

 でも、私の肌の色と同じ二足歩行の人間は今この場に『誰も居ない』。


「……っ」


 買い物に出かけているのかもしれない。

 両親は夫婦仲が良く、よく父親が運転する車で母親と私を乗せて買い物に行く。

 朝食の買い出しに出掛けたに違いない。


 慌てて目をつぶり、暗闇の中でいつものように朝食を食べる部屋を歩くイメージで歩を進める。


 すると、自分の部屋でも感じた違和感が現実となって私を襲う。

 いつもは避けて通れるはずであるのにあろうことか私は、小物を蹴飛ばし、家具にぶつかり、挙句の果てに足を取られ転んでしまう。

 呆然としながら起き上がろうと床に手を当てると、ザラリとした感触が手のひらをまとう。

 床はフローリングのはず、こんな手触りではなかった。嫌な予感がして、一心不乱に床に手を這わせる。

 敷物なのかと思ったが、どこまで行ってもザラザラとした手触りがつきまとう。それならばと目を開ければ、床が一面同じ材質であることに言葉を失う。


『何も見えない』私に両親が何の相談も無くリフォームや模様替えをするはずがない。

 それならば、これは……。静かな部屋にごくりとつばを飲み込む音がやけに響いた気がする。

 朝食の匂いも洗濯したての柔軟剤の匂いもしない、あるのは嗅いだことのない木材の濃い匂いだけ。


「違う……違うわ。ここにはダイニングテーブルがあるはずだもの……私が転ばないようにって、お父さんが……っこんなところに家具なんて無かった……!この家は、私の家じゃない……!」


 呼吸をあらげ、未だかつて出したこともない声量でまくしたてると、毛むくじゃらがまた一声返事をするように鳴いた。


 ◇


 不安から一通り泣いた後、幾分か頭は落ち着いた気がする。

 心配してくれていたのか毛むくじゃらは私の足にすり寄って、じっと傍にいてくれた。


 状況を整理する必要があると思う。一呼吸おいて心を落ち着かせる。


 まず、私は目が見えるようになっている。

 これが『見える』という感覚で間違いないのか不安はあるが、手触りと視覚は一致している。この感覚は合っているはずだ。


 二つ目に、私が住んでいた建物とは全く別の建物で起きたこと。

 この建物には人の住んでいた匂いが無い。両親はこの場にいないことが明白だ。


 だとしたら考えられることは、私が誘拐された可能性と、最近流行っていると以前学校で耳にした異世界転生に私が巻き込まれた可能性。

 誘拐された可能性を第一に考えているが、私は拘束されていなかったし、この場に人の気配もない。

 両親に迷惑がかかるのは避けたい。何としても家に帰るべきだが、ここからどうやって帰ったら良いのか『何も見えなかった』私では視覚情報がなく見当もつかない。


 では、現実的では無いが異世界転生の可能性はどうだろうか。

 私が聞いたことがあるのは、生前死んだ魂が神様の力によって異世界に転生すると言う話だが、昨晩は寝ただけで命に関わるようなことは起こらなかったはずだ。

 強盗が入ったとか、天変地異が寝てる間に起こって家の下敷きになったとかなら分かるのだが、その場合、私は神様に会っていない。

 神様が夢の中でチートな能力を与えて異世界に転生すると言う話が一般的なのではなかったのだろうか。


「……ステータス」


 聞いた話だと、この言葉でデジタル画面とやらが出てくるそうなのだが、何も変わらない。異世界転生ではないのだろうか。


 分からないことが多すぎる。

 正直お母さんとお父さんにも会いたい。

 目が見えるようになっていることを知ったら、誰より喜んでくれそうなのに。報告が出来ないことが悔しい。

 それだけは神様を恨んでしまいそうだ。


「……誰かに聞ければ良いんだけど」


 私の独り言を聞いた毛むくじゃらがまた一鳴きする。


「お前、その鳴き方、猫って言うんでしょ?知ってるよ。」


 頭から背中にかけて、とくに警戒心なく撫でててやると気持ちよさそうに目を細めて見せる。


「……」


 分からないことだらけだが、今考えるべきことは生き残ることではないだろうか。

 急に見えるようになった視界で、誰か頼れそうな人の気配もない建物に一人。いるとしたら猫が一匹。

 食事の心配も飲み水の心配もある、蛇口がこの建物にあるのかも分からないし、どれが冷蔵庫かも分からない。

 悩むのは今の状況を受け入れて、最低限の生活が出来るようになってからでも良いのではないかと思う。


 こんな事態を想定はしていなかったが、将来的に一人暮らしになっても一人で生活できるように両親に聴覚と嗅覚、触角を鍛え上げられている。今がまさに特訓の成果を見せる時なのだろう。


「……うん、やるしかないよね。誰かに会う時まで、生き残らなくちゃ……!」


 すくっと立ち上がれば、膝に乗っていた猫が慌てて床に着地する。

 軽く毛づくろいをする猫の様子を盗み見ながら、コホンと咳ばらいをしてみせる。


「猫ちゃん、名前はすぐには思いつかないから新生活の相棒と呼ばせてもらうね。これからよろしくお願いします」


 言葉を理解しているのか満足そうにまた一鳴きする相棒の鳴き声に励まされながら、現状を把握できる日まで美しくも残酷なこの世界で一先ず生活を安定させようと決意するのだった。

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