0-1:初めまして世界
生まれた頃から私の世界は『何も無かった』。
人は何も見えないことを真っ暗だと表現することもあるが、私にとっては『無』だ。
『見える』という感覚が分からないままに生きてきた。
初めから目が見えない私が生きていくための選択肢は限られていて、少ない選択肢の中から生きやすい道を選んでいく人生だった。
両親は私を愛してくれていたが私の将来を懸念したのだろう、生きるために必要な知識は聴覚と嗅覚、触覚で可能な限り覚えさせられた。
両親の指導は厳しかったが、嬉しいときは笑うのだと言う両親の言葉通り、自分では見たこともない笑顔を張り付けて両親の期待に応え続けた。
それでも一つだけ、両親の想いとは異なる感情を抱えていた。
両親は私の目を悲観していたが、私はそれほど問題視していなかったのだ。
事あるごとに「ごめんなさい」と謝る母親に、私は生んでくれたことに対する感謝を伝え続けていた。
夜な夜なすすり泣く母親の声をよく聞いていた。私を障害者として生んでしまったことに自責の念が止まらない母親の苦痛に比べたら、私が感じる苦しさも悲しさも大したことがない気がした。
私の存在が母親を苦しめている気がしてそれだけが苦しかったが、愛情を注いでくれた両親の苦痛を取ってあげたくて私は大丈夫だよと言葉と態度で示し続けた。
そんな私には毎日の楽しみがある。
寝て起きたら明日の朝には目が見えるようになっている気がして、寝る時間が何よりの楽しみになっていたのだ。
毎日布団の中で空想する。
草は緑色をしていて、水は透明で、肌の色は国によって違うこともあると言う。
緑色とはどんな色なのだろうか。肺を満たす木々の匂いを思い返して、何もない世界に空想の木々を生やしてみる。
透明な水というのはどう見えるのだろうか。空想の木々の近くに川を作ってみる。どこからか鳥のさえずりが聞こえてくる。
私の肌の色は何色をしているのだろうか。ううん、その前に、人の体には目があって、鼻があって、口があると言う。
自分の顔を触ってみて顔とはどういうものか想像を膨らませる。空想の川辺に寝転がり、自分の目で本を読む姿を想像する。
分かっている。
医者から私の目が見えるようになることはないと言われている。叶わない願いだ。
それでも、幼い頃に両親から聞いたお伽話のように、良い子にしていたら神様がきまぐれに奇跡を与えてくださるのだと信じて今日も眠りに落ちた。
◇
鳥のさえずりが聞こえる。
聞いたことが無い鳥の声だ。
それでも朝が来たのだと分かる
木材の匂いが肺を満たす。
深く吸って、息を吐く。
ここまで濃い木材の匂いは嗅いだことがない。
──目を開けるんだ。
今日は見えるようになっているかもしれない。
そうしたら、両親が誰より喜んで「良かったね」と私を抱きしめてくれるんだ。
それにしても気のせいだろうか。
閉じている瞼からうっすら何かが差し込んでいる気がする。
「!」
慌てて上体を起こし、ゆっくり、ゆっくりと手で瞼を押し上げる。
「……っ」
飛び込んでくる情報の山、山、山。
何もなかった世界に光が溢れ、目の奥に痛みを感じながら、情報過多で一瞬で酔いそうになってしまう。
一度目をつぶり荒い呼吸を繰り返しながら、薄目を開けて手近なところから手触りと視覚を一致させるために情報を整理し始める。
これは私の手。自分の意思で動いている、間違いない。
これは布団。いつも嗅いでいる匂いと違う気がするが、寝て起きたのだから間違いないだろう。
これは枕、これは私の足、これは……これは……。
「私の肌の色……皆、こんな色なの?お布団はこんな色だったのね、お母さんが白色って言ってた。これが白色……!」
今や新しい世界に興奮してしまって、寝起きの眠気などとうに吹き飛んでいる。
布団越しに体を抱きしめ、きまぐれな奇跡を起こしてくれた神様に心から感謝する。
「良い子にしていたから、神様が私の目を見えるようにしてくれたんだわ……!」
何かが目から零れた。慌てて拭うとしずくが手の甲についていた。
通常液体は色がついているが、涙や水は透明だと両親に教わった。
まだ混乱はしているが、このしずくが透明だと言うなら水がどんなものなのかやっと理解した気がする。
一通り落ち着いたところで、酔わないよう薄目を開いたままゆっくりと部屋を見渡す。
「この部屋が……私が生活してきた、部屋……?」
懐かしさや感慨深さよりも、嗅いだことのない木材の匂いで満たされた空間と外の静けさに何故か不安が先行する。
時計の針の音も聞こえない……時計?時計はどこだろうか。
「何で……針の音がしないの……?」
部屋を見回してみても、初めて見るものばかりでどれが時計で何が何なのかも分からない。
──怖い。
ふと、脳裏に浮かんだ言葉に背筋を嫌な汗が伝う。
夢にまで見た世界なのに、それは私が知らない世界で。
今まで築き上げてきたものが全て崩れ落ちてしまったような感覚を覚える。
「は、初めは驚いて当然よね……!それより、お母さん……!お父さん!!見える!見えるわ!私、目が見えるようになったの!」
物の配置が変わっているのか、いつもは避けて通れる家具や小物を蹴飛ばしながら部屋を駆け出す。
心なしか体がいつもより言うことを聞いてくれない気がするが、そんなことなど目もくれず居間に続くはずの扉を勢いよく開けた。
「お母さん…?お、父さん……?」
その声に応えたのは飼った覚えなど無い一匹の毛むくじゃらの鳴き声だけだった。
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