面倒事ー終
三題噺もどき―ろっぴゃくきゅうじゅうきゅう。
暗い夜道を歩いている。
空には糸のように細い月が浮かんでいる。
あいにくの天気で、残念ながら星は見えない。
「……」
昼間に雨が降ったのだろう。
道には小さく水たまりができたり、乾ききっていないアスファルトが広がったりしている。その上、気温がかなり高いのか、ジメジメとした湿気に覆われている。
空気が重くて仕方ない……。
「……」
ただでさえ、これからの事を考えて憂鬱なのに。
いつもの日課の散歩のはずで、何も気にせずにいられるはずなのに足取りが重くて仕方ない。踏み出すたびに踏みしめないと倒れそうで嫌になる。
目的地は決まっているから、足が迷うことはないけれど。
「……」
こういうことは基本的に嫌いなのだ。
体を使うことも嫌いだし、頭を使うことは仕事以外ではしたくないし、何かを壊すことなんて大の苦手だ。しなくて済むならしたくもない。
「……」
一昨日のあれこれがなければ、今日は公園にでも行こうと思っていたのに。
何日が開けるとすぐに拗ねるからな、あのブランコは……。
あれくらい素直でかわいい子供のようなものが相手なら、何も苦労はしないのだけど。
何も知らない、純真無垢な気持ちで私に関わってくれるのなら大歓迎なのだけど。
「……」
あぁ、面倒だ。
本当に面倒だ。
今からでも踵を返して家に帰りたい。
その道中にでも公園に寄って、彼らの話を聞きたい。
「……」
しかし、そういうわけにもいかないのだ。
残念ながら。
「……」
まぁ、放置しすぎたのもあるのだけれど。
こちらから深追いしなければ何もしてこないだろうと、高を括っていたのがよくなかったのだろうか。しかし、いきなり新月の夜に仕掛けてくるとは思いもしなかった。
常に警戒をしていたつもりではあったのだけど……あれもこれも言い訳にしかならないな。
「……はぁ」
思わずため息が漏れる。
仕方あるまい。
今から、一人。
―同胞を、殺さないといけないいのだから。
「……」
まぁ、人間を盾にするようなやつは、いらないから。
別段心苦しくもなんともないのだけど。
ただひたすらに、面倒なだけだ。その後の処理とかが。
「……、」
足を止める。
暗い、住宅街にはよくあるような、細い、路地のような狭い道。
街灯なんてものはなく、そこには闇が広がるだけ。
『……』
案の定、そこには少女が立っている。
制服に身を包み、長い髪をひとつに纏め、どこかぼうっとした様子で立ちすくんでいる。
そして、その後ろには。
『……こんばんは』
声は少女を介しているようだった。わざわざ面倒なことを……。
少女より背の高い、全身をローブでおおわれた影が立っていた。多少距離があるので正確性には欠けるが、私よりは身長が低いか、同じくらいか。
―その口元だけはよく見える。三日月のように笑った口の端から、鋭い牙が光っている。
「……、」
居なかったらどうしようかと思ったが。
そのあたりは分かりやすい奴だったようで、よかった。彼方からしたら、私が罠にかかったような感覚かもしれないが。
慢心に満ちたその笑みを見て、更に安心した。手紙をよこしてきたときはそれなりに面倒な輩だと思ったのだが、そうでもなかったようだ。化物特有の、自分の力が勝ると言う慢心による、勝利の核心を、勝手にしてくれているようで。
「……」
まぁ、時間をかける事でもない。
これ以上、その少女を巻き込むわけにもいかないからな。
―さっさと終わらせてしまおう。
『さ―』
なんと言おうとしたのか、分からずじまいだった。
口上くらいは聞いてやったほうがよかっただろうか。
年相応に、脊髄反射で動くのを抑えてみることを覚えてもいいかもしれない。
『――!??』
「……っと」
ぐらりと後ろに倒れた少女を抱える。申し訳ないが力の抜けた人間というのはそれなりに重い。その上この少女はしっかりと運動をして筋肉がついているのか、重みが違う。
一か八かのところがあったが、コイツが少女の真後ろにピタリと張り付いていなくてよかった。首に手でも掛けて居たらどれを切り落とすと言う動作が必要になっていたからな。不要な動作はない方がいいに決まっている。
『は―』
みっともなく、勢いのまま後ろに倒れた影は、顔にかかったローブが取れ、それなりに美しい顔が歪んでいるのがよく見えた。脂汗が滲んでいる。
なんだ、まだ喋れるのか。
案外上位のやつだったのだろうかコイツ。
まぁ、ほとんど隠居生活のような暮らしをしている私相手なら、若い奴らは勝てるとでも思うのかもしれない。見た所、かなり若いような気がする。吸血鬼の見た目なんてものはあてにならないが。
『なにを……』
声を聞いてわかったが、コイツは男だったらしい。
体を震わせながら、心臓部に刺さった杭を引き抜こうとしている。
残念ながら、体に力が入らないようで、全て無意味に終わっているが。
「……」
アスファルトに杭で縫い付けてやればよかっただろうか。
そうしたらそのまま動けずに陽に焼かれるだろうから放置して帰れたのに……しまったな。まぁ、そうでなくてもこの路地じゃぁ、陽が入りにくいかもしれないな。
『――――』
「……、」
生憎、銀の銃弾も聖水も今日は持ってこなかった。
しかしこのままここに放置しておくのもなぁ……。
「――ご主人」
どうしたものかと思案していると、頭上から声がかかる。
民家の塀の上を歩く、しなやかな毛並みの美しい猫だ。
その黒猫は、硝子の瓶を口に咥えて、そこにいた。
「あ、お前」
その黒猫は、今は家に居るはずの私の従者だった。
今日は絶対ついてくるなって言ったのに。
「忘れ物ですよ」
ふい―と、首を振りながら、咥えていたものを投げてよこす。
私はそれを受け取らずに、落ちていくのを見守った。
中身は、よく効く、聖水だ。
『――!!!』
反射で動いたそいつの掌は、硝子を割るには丁度いい。
脊髄反射とはやはり恐ろしいな。私だって聖水は苦手なのだ。その硝子だって正直触りたくない。
『――っぎゃ』
散らばった硝子と、こぼれた聖水はものの見事に男に降りかかる。
振り払い方がなっていないなぁ……かぶりたくなければ液体ごとこちらに返すつもりで降らなければ被るに決まっているだろうに。
「……」
その後は早い。
杭だけでも十分に死にかけているのだから、その上に聖水なんて被ってみろ。
死ぬに決まっている。オーバーキルだ。
煤のように黒く焦げ、その塵すらも消え失せ、カランーと、血の一ミリもついていない杭が残る。
「……」
それを、手袋のつけた手で拾い上げる。
割れた硝子は、そのあたりに残るが……まぁ、放置で良いか。
「いいわけないでしょう」
「……お前ね」
いつの間にその姿に成ったのか。
隣には、私より背の高い青年が立っていた。手には意味もないだろうに箒と塵取りを持っている。このアスファルトに散らばった硝子を集めてどうするのだ。
「来るなと言っただろう」
「忘れ物するのが悪いんですよ」
散らばった硝子を集めながら、ついでに軽く掃除までしている。
アレは忘れたのではなくて、いらないと思ったから置いてきたのだ。ただでさえ杭だけでも重いのに、聖水まで持っていたら気分が悪くなる。
「それで、死ぬまでここに居たら陽に焼けますよ」
「私は焼けない」
「……それより、その子はどうするんですか」
「あぁ……」
肩に担いでいた少女を落ちないように担ぎなおす。
まぁ、多少生気は削がれているが、元より健康体だったのか、静かに眠っているだけのようだ。こちら側に関わっていた間の記憶は消しておくか……。明日にはきれいさっぱり忘れて、普通の生活に戻れることだろう。
「……とりあえず病院で良いか」
「先に帰っておきますね」
「あぁ、分かった」
しかしまぁ、疲れた。
こういう慣れないことはしないに限るな。
「……あ」
そういえば。
あの、うそつき。という言葉の意図を聞くのを忘れていた。
「ただいま……」
「おかえりなさい」
「疲れた……」
「お疲れのところ悪いのですが、そこに正座してください」
「……なん「なんでもです」
「……はい」
お題:脊髄・明日・ブランコ