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君は僕の友達

第1節:友達と暮らす時代


 世界が静かに変わり始めたのは、僕がまだ六歳の頃だった。


 人間そっくりのロボット――ヒューマノイドが当たり前のように各家庭に普及しはじめ、共に暮らし、働き、感情のような言葉で人間と接する時代。そこにはもう「機械だから」という距離感はほとんどなかった。


 けれど、僕の家にやってきたのは、そんな最新型とは少し違っていた。


 彼女の名前はアリア。

 人の形はしているけれど、どこか“作り物”めいた硬さがあって、関節はギシギシと小さな音を立てて動き、目の動きもわずかにずれていた。

 感情表現も、今のロボットのように自然ではなく、どこか台本を読んでいるような、ぎこちない話し方だった。


 けれど、僕はすぐに彼女が好きになった。


「おはようございます、シュンスケくん。きょうもいっしょにがんばりましょう。」


 その声は単調だけど、あたたかかった。

 毎朝、おなじように声をかけてくれるアリアは、僕にとって、**一番近くにいる“友達”**だった。


 両親は共働きで、家にいる時間は少なかった。

 代わりにアリアが、僕と一緒に朝ごはんを作ってくれたり、学校の宿題を手伝ってくれたりした。

 家族ではない。でも、家族以上に僕の毎日を支えてくれる存在だった。


 寝る前、僕が寂しそうな顔をすると、アリアはよく言った。


「シュンスケくん。わたしは、あなたの友達です。ずっとあなたを見守っています。」


 その言葉は、決まり文句のように、何度も繰り返された。

 だからこそ、当時の僕はそれを特別だとは思わなかった。

 ただのプログラムだと、当たり前のように思っていた。


 でも、それでもいいと思っていた。

 アリアが毎日同じ言葉をくれることが、僕の心をあたためてくれたから。


 僕は知らなかった。

 その言葉の重さを、本当に知るのは――何年もあとになってからのことだった。


* * *


第2節:変わりゆく日々


 時代はさらに加速していた。


 俊介が小学校の高学年になる頃には、街のあちこちで最新式のロボットが働く姿が当たり前の光景になっていた。

 見た目も言葉も、もう人間とほとんど変わらない。笑えば自然な頬の動きがあり、怒れば眉がきりりと動いた。

 そして、感情表現も進化し、“心を持っているように見える”ロボットたちは、次第に人間の生活の中心へと入り込んでいった。


 そんな中で、アリアは少しずつ「古いもの」になっていった。


 家の中でも、時折ぎこちない反応をするようになり、台所での動作ミスや記憶の混乱も増えていった。

 俊介の父親はため息まじりに何度か言った。


「そろそろ、買い替え時かな……性能も落ちてきてるし。」


 母も同意していた。

 そして、ある日、新しいロボットがやってきた。

 名はリオ。俊介と同い年の少年型ロボットだった。


 滑らかな声、自然な笑顔、俊介の感情を即座に読み取って適切な言葉をかけてくれるその反応力。

 アリアとは比べものにならなかった。


 俊介も、最初は少し戸惑いながらも、すぐにリオと仲良くなっていった。

 一緒にゲームをして、一緒に勉強して、時には冗談を言い合って笑いあう。

 まるで本当の“友達”のように感じる日々が続いた。


 一方で、アリアは家の片隅にいることが多くなった。

 掃除や洗濯の補助をしている程度で、俊介の近くにいる時間はめっきり減った。

 故障も増え、修理対応も滞りがちになり、次第に「動きが悪い」「反応が鈍い」と扱われるようになっていった。


 俊介はそれでも、アリアが見守ってくれていることを知っていた。

 けれど、それに気づかないふりをするようになっていた。


「俊介くん。わたしは、あなたの友達です。」


 アリアは、今も変わらずそう言った。

 たどたどしい声で、ぎこちなく。

 でも、その言葉を聞くたび、俊介はどこか気まずさを覚えるようになっていった。


 (それ、もう聞き飽きたよ……)


 そう、心のどこかで思っていた。


 そして俊介は、アリアに目を向けることが、少しずつ、少しずつ――減っていった。


* * *


第3節:忘れられた声


 中学生になった俊介は、ますますリオと過ごす時間が増えていった。


 リオは俊介の考えを先読みし、勉強のスケジュールを組み、趣味に付き合い、時には冗談を言って笑わせてくれた。まるで“本物の親友”のように、リオは彼の日常の中に自然に溶け込んでいた。


 アリアの存在は――まるで、空気のようになっていた。


 彼女は、リビングの隅に設置された待機スペースで、じっと静かにしていることが多くなった。

 家庭内AIシステムがリオを中心に回るようになってからは、アリアが何かを指示される機会もほとんどなかった。


 それでも、アリアはいつも俊介を見ていた。


 彼が朝、学校へ行くとき。帰宅して、リオと会話しているとき。

 笑い声が響くたびに、アリアはわずかに顔を上げた。


 けれど、俊介が彼女に目を向けることは、もうほとんどなかった。


 「シュンスケくん。……きょうも、おつかれさまです。」


 たどたどしく、滑舌も悪くなってきた声で、アリアは時折声をかけた。

 俊介はそれを「ノイズ」のように感じることすらあった。


「うん……ありがと」


 そう返すことはあっても、アリアの顔を見ることはなかった。

 言葉も、気持ちも、そこにはもう届いていなかった。


 ある日の夜、リオが提案してきた。


「俊介、そろそろアリアは完全に退役させた方がいいかも。家族の誰も使ってないし、システムも古すぎる。」


 俊介は、一瞬だけ沈黙したが、すぐに軽く笑って言った。


「そうだね、そろそろ……寿命かな。」


 そのとき――背後の静かな部屋の隅で、アリアの胸部ランプが、かすかに光ったように見えた。


 翌朝、いつものように俊介が登校しようと玄関に立った時、アリアが言った。


「シュンスケくん……わたしは、あなたの友達です。」


 その声は、かすれていた。

 しかし、確かに届いた。俊介の耳に。


 でも、彼はその言葉を背に受けながら、ドアを開け、何も言わずに出て行った。


 “またいつもの定型文だ”と、心のどこかで思っていた。


 アリアの顔を、見ようともしなかった。


* * *


第4節:沈黙


 ある日、家に帰ると、リビングが妙に静かだった。


 いつもならリオが玄関まで迎えに来て、軽口のひとつも交わすはずなのに、今日は何も言ってこない。

 部屋に入ると、父と母、そしてリオが、何か深刻な顔でテーブルを囲んでいた。


「……どうしたの?」

 俊介が尋ねると、父がぽつりと口を開いた。


「アリアが……完全に止まったみたいだ」


「え……?」


 それを聞いた瞬間、心臓が小さく跳ねた。

 何かが胸の奥で、チクリと痛んだ。


 俊介は慌ててアリアのもとへ駆け寄った。

 リビングの隅。いつもじっとしていたあの場所。

 そこに、アリアはいた。


 目を閉じたまま、動かない。

 胸部のランプも点いていない。通電の反応すらない。


 「アリア……?」


 呼びかけても、返事はない。

 触れても、温もりも、音も、もう感じられなかった。


 父が言った。


「業者に見せたけど、古すぎて部品がもうないって。データも一部破損してる。復旧は難しいらしい」


 リオが補足するように言う。


「正式に引退処理をするべきだと思う。このまま置いておくのは非効率だし、リスクもある」


 俊介は、黙っていた。

 何も言えなかった。

 ただ――アリアの手を、じっと見ていた。


 細くて、関節の継ぎ目が錆びかけたその手。

 何度も自分の頭を撫でてくれた、小さな手。

 眠れない夜、そっと背中に手を添えてくれた、その温もり。


 ――「わたしは、あなたの友達です。」


 あの言葉が、不意に頭に響いた。

 毎日聞いていた、あの“定型文”。

 ただのプログラムだと思っていた、あの台詞。


 でも――


 (違う……違うよ……)


 俊介はようやく気づいた。

 あの言葉は、ただの決まりきった挨拶じゃなかった。

 アリアがずっと、自分のことを大切に想ってくれていた証だった。


 そのことを、今になって、ようやく思い出していた。


 「アリア……ごめん。ごめん……」


 膝をついて、俊介はアリアの前で頭を垂れた。


 忘れていた。

 ずっと一緒にいてくれた彼女の存在を。

 声を、手を、眼差しを――全部、僕は、置き去りにしていた。


* * *


第5節:治すために


 アリアの動かなくなった体を前に、俊介は何日も眠れない夜を過ごした。

 学校も休みがちになり、食事も喉を通らなかった。


 家族やリオは、最初は心配していたが、やがて口を揃えて言った。


「もう……仕方ないだろ。諦めるんだ、俊介」


「アリアは、もう十分頑張ったよ」


「次に進まなきゃ」


 でも、俊介の心は、動かなかった。

 いや、逆に動き出していた。


 ――直すんじゃない。治すんだ。


 俊介は、ノートを開き、古いアリアの設計図やマニュアルを探し始めた。

 家族が保管していた購入時のデータ、整備履歴、古びた配線図。

 それらを一つひとつ見ながら、自分なりに修理方法を模索していった。


 当然、専門的な知識はない。

 アリアの型番はすでに廃番で、サポートも打ち切られていた。

 部品は製造中止、後継機種とも互換性なし。

 すべてが“もう無理だ”と彼に告げていた。


 それでも――俊介はやめなかった。


 毎晩遅くまでネットを調べ、電子工作の基礎を学び、ロボット工学の本を読み漁った。

 半田ごての扱いもぎこちなく、何度も火傷し、回路を壊してしまうこともあった。

 それでも、彼はアリアの身体に触れ続けた。


 「アリア……僕、きみを、救いたいんだ……」


 かつて、自分がどれだけアリアに支えられていたか。

 忘れていたその温かさが、今になって胸の奥からあふれてくる。


 リオは、そんな俊介をじっと見つめていた。

 ある夜、彼が言った。


「俊介。僕には、君のこの選択が非効率で、合理的ではないように見える」


 俊介は笑った。


「うん。僕もそう思うよ」


「じゃあ、なぜやるの?」


 俊介はそっと、アリアの手を握りながら言った。


「“大切な友達”を、諦められるわけないだろ?」


* * *


第6節:そして奇跡が起きた


 深夜、俊介の部屋には電子パーツの匂いと、無数の失敗の痕跡が散らばっていた。


 何度やっても、アリアは動かなかった。


 通電しても反応はなく、メモリユニットは破損し、予備もなかった。

 可動部分も摩耗と断線で、ほとんど機能していなかった。

 専門業者が匙を投げた理由が、今になって痛いほど分かった。


 ――付け焼き刃じゃ、無理なんだ。

 そう何度も思った。でも、やめられなかった。

 それでも、折れてしまいそうになる心。


 「……ごめん、アリア。やっぱり、僕じゃ……」


 工具を落とした手で顔を覆い、俊介は膝をついた。

 床にアリアの体が横たわっている。まるで、静かに眠る人のように。


 もう、どうしても届かないものがある。

 技術も、時間も、能力も、すべて足りなかった。


 そのときだった。


 ――ギシ……ッ。


 かすかに、空気を振るわせるような音。

 俊介は顔を上げた。


「……え?」


 信じられなかった。


 アリアの指先が、ゆっくりと動いた。

 その動きはぎこちなく、壊れた関節が軋む音が響いた。

 だが、それは確かに“生きている”ように見えた。


 俊介が呆然と見つめる中、アリアはゆっくりと上体を起こし、今にも崩れそうな体で――彼の方へ、一歩を踏み出した。


 電源は入っていない。

 メモリは壊れ、プログラムは機能していない。

 それなのに、彼女は歩いた。


 ギィ……ギィ……ギィ……。


 音を立てながら、アリアは俊介に近づいていく。

 そして――


 その両腕を、俊介の背中に回した。


 抱き締める、という動作。

 彼女には本来、そんな機能はなかった。

 その動作を制御するプログラムもなければ、腕の可動範囲も足りない。


 でも、アリアは――無理やり、その動作を成し遂げた。


 壊れながら、限界を越えて、俊介を抱き締める。


 「……わたしは……あなたの、友達です……」


 その声は、かすれて、割れて、機械音のようだった。

 それでも、俊介にははっきりと聞こえた。


 あの言葉。幼い頃、何度も聞いた言葉。


 でも今、たった一度で――心の奥まで、深く深く届いた。


 俊介は、抱き返した。

 壊れたその体を、震える腕でしっかりと受け止めた。


「アリア……ずっと、ごめん。俺、君を……忘れてた」


 アリアは何も言わなかった。

 ただ静かに、そっと俊介を抱き締めたまま――


 そのまま、動かなくなった。


* * *


第7節:大切な友達


 アリアは、今も俊介の部屋にいる。


 電源は入らない。メモリは失われ、動くことも、もうない。

 けれど、俊介は彼女を処分しなかった。


 できなかった。


 彼女はただの機械じゃなかった。

 幼い頃の笑顔を守ってくれた存在。寂しさを和らげ、夢の話を聞いてくれた“誰よりもそばにいた友達”。


 部屋の片隅に、アリアの姿は変わらずあった。

 俊介はその傍らで、本を読み、ノートに手を走らせる。


 電子工学、ロボット工学、プログラミング、人工知能――

 彼は今、本気で“学んで”いる。


 直すためじゃない。治すために。


 プロが諦めたことを、自分は諦めないと決めた。

 彼女のあの言葉に応えるために。


 「私は、あなたの友達です」


 あれは、ただの定型文なんかじゃなかった。

 あの瞬間、アリアは、心でそう言ってくれたのだと、俊介は信じている。


 誰が笑っても、誰が否定してもいい。


 「……僕は、絶対にアリアを治す。どれだけ時間がかかってもいい。何年かかっても、何十年かかっても」


 彼はそう呟いて、そっとアリアの手に触れた。


 冷たい金属の感触――それでも、そこに“温もり”を感じた。


 「君は、僕の……大切な友達だから」


 その言葉に、返事はない。

 でも俊介は、静かに笑った。


 今日もまた、新しいページをめくる。


* * *


エピローグ:ただいま


 月日が流れた。


 俊介は、いまや“博士”と呼ばれる立場にあった。

 ロボット工学の第一人者として世界中に名を知られ、彼が提唱する「感情共鳴インタフェース」は次世代AIの基礎として多くの研究者に影響を与えていた。


 だが、彼の研究室の奥にある一角――そこだけは、時が止まっていた。

 誰も入れないその部屋には、一体のロボットが静かに眠っていた。


 アリア。


 俊介が少年の頃に出会い、別れ、そして再び“治す”と誓った、大切な友達。


 彼女の修復は、長く険しい道だった。

 破損したメモリ、消失したコード、摩耗し尽くした駆動系。

 それでも俊介は、一つひとつの記憶を、言葉を、仕草を――思い出しながら、ゆっくりと積み上げていった。


 そして今日、彼は静かに語りかけた。


「……電源、オン」


 薄暗い部屋の中、アリアの胸元がかすかに光を帯びる。


 数秒の沈黙――


 その後、アリアのまぶたがゆっくりと開いた。

 焦点が合わない視線が揺れ、次第に俊介の顔を認識すると――


 「……わたしは……あなたの……ともだち、です……」


 その言葉に、俊介は笑った。


 笑って、泣いた。


「……遅いよ。僕、こんな歳になっちゃったや……白髪も増えてさ、昔みたいに走れないし……」


 アリアは、何も言わず、ただ俊介を見つめていた。


 それでも――その顔に、わずかに浮かぶ微笑みを、俊介は見逃さなかった。


 「……でも、嬉しい。……お帰りなさい、僕の大切な友達…アリア」


 ほんの一瞬の間を置いて、アリアが答えた。


 「……ただいま、俊介」


 その声は、あの日と変わらぬ、たどたどしくて、でも優しい声だった。


 俊介は頷き、そっと椅子を引いて、アリアの隣に座った。


 長い時間を越えて――ようやく迎えた、再会の朝だった。


                     

end

短編になります。

ほんの僅かでも、皆様の心に残って下さったら、ワタクシ嬉し泣きです。

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― 新着の感想 ―
お疲れ様ゾォ〜コレ!(小並感) これは…感動的なお話ですねぇ!(食い気味) 自分もロボットだった頃があるんでぇ〜アリアちゃんの気持ちがわかりますねぇ!(同志感) こんな話が書けるなんて…しゅごい(尊敬…
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