二首目
2 あらたまの春にしなれはふる雪の白きを見ても花そまたるゝ
木原の解釈
春になり、降ってくる雪の白さを見ても、花(桜)が待たれることだ。
この日は、まさしく凍えるような寒さの中で目が覚めた。この和歌に出会ったときに、不思議に思ったことがある。どうして、冬に降る雪と、春に咲く桜を一つの和歌の中に詠み込んだのか。そのことを、宣長様に尋ねてみたことがある。すると宣長様は、「桜の花を遠くから眺めると、何色に見えるか」と問われた。その時はたと思う。近づけば桃色の花びらが、遠く野山に広がる桜花を俯瞰して見ると、それはまるで雪が降っているように見えるではないか、と。
「花」とは、「桜」のことを指すとは、古くは平安時代頃に遡る。それ以前は、文献によると「梅」を指すことも多かったようだ。宣長様の和歌の「花」が「桜花」を指すことは言うまでもない。それにしても、冬の代名詞である「雪」と、春の代名詞である「桜」を一つの和歌に詠み込まれるとは、宣長様の想像力、そして何より季節がいつであっても、桜花のことを思い続けられる姿に、感服せざるを得ない。それにしても、ここ紀州藩と私の故郷である肥前の国とは、気候も違うのだろう。やはり、現地に行ってみなければ、その時の宣長様の思いはしっかりと知ることはできないのだと、悟った今日この頃である。