「趣味は人間観察」な令嬢、今日も夜会で他の貴族を“観察”する
貴族たちが集まり、社交をこなす夜会。
その会場で、ただ一人賑わいに参加せず、周囲を見つめている令嬢があった。
レベンダ・エーゼン。伯爵家の令嬢であり、背は高めで、ふわりとしたダークブロンドの髪と、凛々しい眼を持ち、美貌に関しては申し分ない。シックで落ち着いたグレーのドレスが彼女の存在感をより引き立てる。
夜会の主役になってもおかしくないポテンシャルを持つ彼女だが、なぜか壁に寄りかかり、腕を組んだまま動かない。
レベンダは「趣味は人間観察」を公言しており、今夜も堂々と孤高に、貴族たちを眺めている。
とはいえ貴族とはプライドの高い生き物である。
こんなことをしていれば当然――
「君は人間観察が趣味なんだって? ずいぶんユニークな人だね」
「そういう人ほど、何も観察できてないものなのよねえ」
貴族のカップルが絡んできた。
半ば名物となっているレベンダを大勢の前でやり込めて、自尊心を満たしたいのだろう。
男の方が言う。
「もしよかったら、僕たちを観察してみてくれよ。一体何が分かるっていうんだ?」
魂胆は見え透いている。
レベンダが的外れなことを言おうものなら、「とんだ人間観察だね」などと言って、周囲の笑いでも誘いたいのだろう。
それをきっかけに夜会の主役に躍り出ることもできる。
だが、レベンダは落ち着いた様子だ。
「分かりました」
レベンダはじっと二人を見つめる。
「まず男性の方、クロイド・ケリー様」
「僕の名前を知ってるのか……!」
「右手を拝見しますと、そのコブの出来具合から普段から片手剣の訓練をなさっているようね。熱心にやられているようだけど、肩の筋肉の付き方が歪ですね。よく教師からは“腕だけで剣を振っている”と注意されているのではないかしら?」
クロイドの顔が歪む。
「顔に若干のむくみが見られます。ひょっとしたら便秘でもなさっているのかしら。五、六日ほどの。だったら今夜は野菜を多めに取られた方がよろしくてよ。あと鼻に赤みが認められますね。鼻炎も患ってらっしゃる」
「デ、デタラメだ! デタラメ……!」
「それと、あなたは浮気をなさっている」
クロイドが凍り付く。
「この香水の匂い、銘柄は『ジルコニア』ですわね。やや甘めだけどいい香り。私も時折愛用しておりますわ。だけど、お相手の好みにそぐわない気がします。この夜会が終わったらこっそり会いに行く腹積もりかしら? お相手はおそらく……イライザ・マニエール嬢。彼女は『ジルコニア』が好みですものね」
「な、なんでそこまで分か……あ、いや! うぐぅ……!」
何もかもを当てられ、早くもクロイドは馬脚をあらわす。
「ちょっとぉ、浮気ってどういうことなの!?」
「いや、違う! 全てこの女のデタラメで……!」
「あなたも人のことは言えませんわよ。ファリナ・ローガス嬢」
レベンダは、今度はカップルの女の方に目を向ける。
「あなたが今つけてらっしゃるスカーフ。ブラウンで落ち着いた雰囲気で、とても自分で買ったとは思えないし、クロイド様からのプレゼントとも思えません。ひょっとして、他の殿方からのプレゼントでは? そうしたスカーフをプレゼントなさるのは、そうねえ……キュラス・マスキス様あたりが思い当たりますわね」
「嘘でしょ!? なんで名前まで分かる……あ、いえ……」
互いに浮気していることが発覚したカップルに、レベンダはクスリと笑う。
「浮気者同士、仲良くなさって下さいませ」
二人は何も抗弁せず、青ざめた顔で夜会から立ち去ろうとする。
そんな二人の背中に、レベンダは一言。
「クロイド様、鼻毛がほんの少し出ております。ちゃんと手入れした方がよろしいかと」
二人を見事退場させても、レベンダは何事もなかったかのように“観察”を続ける。
こんな調子では、誰もが彼女を恐れるのは当然であった。
***
レベンダが街を歩いていると、こんなこともあった。
薄汚れた衣服を着た男が、彼女の前に立ちはだかり、刃物を突きつける。
「か、金を出せ……!」
「……」
「出さなきゃ殺すぞぉ!」
周囲から悲鳴が上がる。
レベンダと男の距離は近く、危険な状況である。うかつに助けにも入れない。
しかし、レベンダは凛としたたたずまいを崩さない。
「両手が震えているわ。そんなことでは私を殺すのはおろか、刺すことすらできませんわよ」
「うぐ……!」
殺意がないことが早々にバレ、男は息を呑む。
「その刃物、包丁のようね。使い古されているけど、持ち慣れているようには見えない……。ひょっとしたら奥様の包丁かしら」
「なんで……そこまで……?」
「それに身なりは小汚いけれど、革靴だけはしっかり磨き込まれて、手入れもなさっている。あなたは靴職人ね?」
男が動揺する。当たっているようだ。
「このところ、安価で大量生産を旨とする靴職人ギルドが台頭し、従来の靴職人は困窮していると聞いたことがあります。あなたもその一人で、この犯行は家族を養うためにやむなく、といったところかしら」
男は刃物を落とす。
「その通り……です」
何もかもを見抜かれ、観念したようだ。
大人しくお縄につくという表情をしている。
だが、レベンダは気にせず、こう続ける。
「とりあえず、金貨を渡します。これで急場をしのぎなさい。それから、宿題を与えます。私のために一足、靴を作りなさい。ぜひあなたの腕前を見てみたいわ。ただし、大した靴を作れないようならそれまで。死ぬ気で、というより私を殺す気で作ってみなさい」
思いがけずチャンスを与えられ、男は困惑する。
「ちょっと待って下さい! 私はあなたに刃物を突きつけ……」
「無駄な問答は嫌いなの。私の誘いを受けて家族を食べさせるか、蹴って家族を飢え死にさせるか、さっさと決めなさい」
こんな二択を突きつけられては、どんな人間も――
「やります……やらせて下さい!」
「じゃあ、ちゃんと包丁を拾って。私についてきなさい」
「は、はいっ!」
その後、この靴職人はレベンダの専属靴職人となる。
このことは普段恐れられている彼女の名声を大いに高める結果となったが、レベンダ本人は「いい拾い物をしたわ」と意にも介さなかったという。
***
レベンダがこれほどに“観察”に長けた令嬢になったのにはもちろんわけがある。
レベンダはエーゼン伯爵家の末子であり、幼い頃からその聡明さを発揮していた。
しかし、貴族とはプライドの高い生き物である。
父母や兄姉は、レベンダの年齢らしからぬ利発さを毛嫌いし、冷遇した。時には虐待めいた体罰を加えることもあった。
こうなると、レベンダは皆の顔色を窺うことが多くなった。
父が葉巻を出せばすぐに火を用意し、母の機嫌が悪いと察すればなるべく近づかないようにする。
兄や姉も徹底的に観察し、今どういう状態なのかを常に把握するようになった。
だが、ある日ふと思う。
自分の並外れた観察眼を生かせば、彼らの弱みを握ることもたやすいのでは……?
10歳を過ぎたあたりから、レベンダは自分の家族の弱みを握ることに奔走した。
それはあまりにも容易かった。
父の財務に関する不正、母の不貞、兄や姉の醜聞などを次々に見つけ出す。
もちろん、報復に実力行使に出られたこともあったが、レベンダはそれさえ見抜いてしまう。
もはや、どうしようもなく――
「すまなかった……。レベンダ……許してくれぇ……! 何でも言うことを聞くからぁ……」
レベンダの前で父を始めとした家族たちが情けなく這いつくばる。
勝敗は決した。
今もエーゼン家の当主は父であるが、実質的な当主はレベンダである。
レベンダは自分の生き方を後悔してはいない。むしろ、誇りに思っている。
しかし、「こんな自分を愛してくれる人間などいないだろう」と心のどこかで寂しさを抱いているのも事実だった。
***
王都にある大ホールで、夜会が開かれる。
レベンダはやはり壁に寄りかかり、周囲を観察する。
彼女にかかれば、人生全てを見透かされてしまうのではという風評が立ち、今や誰も彼女に近づこうとはしない。
彼女もそれを否定はしない。
彼女の観察眼はますます進化し、一目見ればその人間の表と裏が分かってしまう。
もう見たくない。それでも見ずにはいられない。
だから今日もレベンダは人間を観察する。
「レベンダ嬢……だね?」
一人の男が近づいてきた。
リアス・リヒター。
名門中の名門、公爵家の令息であった。
レベンダも初めて目にする男である。
金髪を横分けにまとめ、華のある顔立ちをしている。なにより自信に満ちている。
もっともレベンダはこういう手合いを幾人もやり込めてきたわけだが。
「リアス・リヒター様ですね」
「よくご存じで」
「代官を務めておられるリヒター家の長子を知らぬ方がおかしいでしょう」
“代官”は、王国の司法を担う役職であり、極めて強力な権限を持つ。
捜査権を持ち、裁判も担うので、不正役人や犯罪者にとってはまさに鬼よりも恐ろしい存在といえる。
「私を観察して欲しい」
「分かりました」
レベンダはまじまじとリアスを見つめる。
「まず、私を前にしたとたん、呼吸に乱れが出ていますね。よほど私に会えたのが嬉しいのでしょう。それから、表情は平静を装っておりますが、手には汗がにじんでいる。だいぶ緊張してらっしゃるのね。顔は紅潮されている。興奮もしてらっしゃるのかしら。つまり、あなたは私にベタ惚れしている」
「正解だ!」
言ってから、レベンダは珍しく慌ててしまう。
「……!? 私ったら、何を言ってるの!? え!? あなたが……ベタ惚れ!?」
「そうだ、ベタ惚れだ」
リアスの表情は崩れない。堂々と“ベタ惚れ”と言ってのける。
「いえ、そんなはずは……私に惚れる男なんているはずが……」
「じゃあ、もっと観察してみてくれ」
レベンダはリアスを凝視する。
すればするほど、「リアスは自分に惚れている」ということが分かってしまう。
リアスは言葉を発していないが、レベンダからすると、
『レベンダ、君が好きだ! 大好きだ! ベタ惚れしてる! 愛してる! 愛してる! 愛してる! 愛してる! 愛してる!』
と延々言われているようなものだ。
しかし、どうにか我に返る。
「あなたは……いずれこの国の司法を担う身。私の観察眼が喉から手が出るほど欲しいのでしょう。だから近づいた……」
「その通り!」
リアスは堂々と答える。
政治的思惑があったのは確かだが、それとは別に君にはベタ惚れしている。ということを全く隠さない。
レベンダの人間観察にも弱点があった。
裏表のない“愛”にはなすすべもない、という弱点が。
「私は君の力が欲しい。同時に君の愛も欲しい。婚約してくれるね?」
あまりにもまっすぐな眼差し。
いかに観察眼に優れていようと、レベンダは恋愛初心者である。とても逃れることはできなかった。
彼女もまた、リアスに“ベタ惚れ”してしまう。
「はい……。私でよろしければ、喜んで」
未来の司法の番人たる公爵家令息リアスと観察の鬼である伯爵家令嬢レベンダの婚約は、大きな話題となった。
程なくして、二人は結婚。
レベンダは妻として補佐役として、リアスの業務をサポートすることとなる。
***
それから月日が流れた。
リアスは父から代官の任を受け継ぎ、裁判や捜査の責任者となり、父にも勝る活躍を見せる。
妻であるレベンダもそんな彼を支えた。
二人の手で、王国から多くの膿が取り除かれることとなる。
レベンダは夫以上に犯罪者たちに恐れられ、レベンダが取り調べに参加すると分かった途端、捕えられた者は聞かれてもいないことまで答えるという逸話まで生まれた。
二人は子宝にも恵まれ、男二人と女一人を生み、次代を担う希望として順調に育てている。
さて、子供たちも貴族学校に通うようになり、レベンダとリアスはたまたま二人きりになることがあった。
代官として貫禄のついたリアスが、妻に語りかける。
「この間は違法な武器販売をしている商人から、大規模な密輸組織を引きずり出し、さらにはテロ組織まで壊滅させることができた。君の観察眼のおかげだ」
「あれぐらいできないと、あなたの妻とは言えませんわ」
颯爽と答えるレベンダの履く靴は、むろん先述の職人の手によるもの。
「君の観察眼はますます鋭さを増すばかりだ。さて、久しぶりに私を観察してくれないか?」
「よろしくてよ」
レベンダは夫をじっと見る。
「呼吸は正常なれど、非常にリズミカルで歓喜に満ちている。顔には紅潮が見られ、瞳は初恋の人を眺めるよう。精神は心からリラックスされているわね。日頃の重責から解き放たれ、今この瞬間だけは私に心身全てを委ねている。つまり、あなたは私にベタ惚れしている」
「正解だ!」
あの時と同じ“ベタ惚れ”という結論に、レベンダは赤面してしまう。
「いい加減にして下さい! 私たちもいい年なんですから! いつまで私にベタ惚れするつもりです?」
この問いに、夫リアスは朗らかに笑う。
「うーん……おそらくは一生、だろうね」
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。