バカップルだよ、石川さん!
「カフェができたって知っとるか?」
駐在所のカウンターに入ってくるなり、佐々岡さんはそう言った。
ラジオで黒子の演歌を聴いていた俺は、顔を顰めながら、
「カフェだぁ?」
と言い返した。
筋肉モリモリマッチョマンの変態は、こくりと頷く。
「儂もようわからんねんけど、なんかジジイとババアがやっとるらしい。村のリーダーとして、違法なことをやってないか気になるんや。そんで、お前さんにもついてきて欲しい」
「違法って……考えすぎじゃねえの? 悪いが、俺は黒子の演歌を聴いてるんでな。また今度」
「…………」
黙り込む佐々岡さん。
かと思えば、無言のまま駐在所の中に踏み込んできて、ラジオを手に取る。
俺は、そのままの体勢で尋ねる。
「……何する気だ? まさか、俺の黒子への愛をぶっ壊そうって気じゃないだろうな」
「……そのまさかや。ラジオぶっ壊されて泣かされたくなかったら来ぃや」
「行くよ! 行くから! 本当に勘弁して!」
チャリに跨った俺と、三輪車に跨った佐々岡さんは、静かな道路を爆走する。
爆走するチャリにぴったりついてくる三輪車には、いつも驚かされる。
下手すると、こんなチャリくらい簡単に追い抜いてしまうだろう。
それだけ、この佐々岡さんという老人は未知の存在であり、最早人間を辞めているとしか思えなかった。
以前、佐々岡さんにそう言ってみた。
すると、老人は訝しげな表情で、こう言った。
「バイクより速くチャリを漕げるお前さんも中々だと思うぞ?」
考えてみればそうだった。
「そんで、問題のカフェってのはどこにあるんだ?」
「学校ん近くや。あそこにオープンすれば、小僧共が金ヅルになってくれるやろ?」
「言い方だろ……」
チャリを漕ぎながら、俺は呆れてため息をつく。
まあ、学校の近くなら学生が帰りに寄って行くだろうし、儲けに繋がるだろう。
そんな事を考えていると。
「オラァ! 今日こそシメんぞマッポぉ!」
進行方向に、暴走族の一団が現れる。
率いているのはもちろん鈴村。
しかし、俺も佐々岡さんも話すことに夢中で前を見ておらず……。
「へ? ……ぐぎゃぁぁぁ」
鈴村を轢いた。
それにさえ気づかず、俺達はその場を去っていった。
「お前は本当に現職のマッポかよ!」
暴走族達の声が背中に飛んできたが、耳に入ることはなかった。
そして、俺達は問題のカフェに着いた。
廃校にしか見えないボロボロな学校の真横に、カフェはポツンと佇んでいた。
廃校のような背景に見事に溶け込む程、見てくれはぼろっちく、貧相だった。
ガラスはところどころ割れており、残ったガラスも埃を被っているようで、中の様子は見えない。
「……これ、ホントにカフェか?」
「カフェや。ほれ、見ぃま」
佐々岡さんの指さす先には、これまたボロボロな看板。
『カフェ・ジジーババー』
いや、ネーミングセンス。
そんなツッコミを抑え、俺は佐々岡さんと共にカフェの入り口を開けた。
「警察だ。ちょっと用事が……」
「おお、婆さんや!」
老人の声が突然、俺の声を遮った。
見れば、カウンターで老夫婦が互いの手を取り合っている。
その目つきは、若い連中が心をときめかせるときに見せるそれだった。
「じいさんや、声が大きいですよ」
「いや、声を大きくせんとけばいいねん、婆さんや。儂らが毎日頑張って貯金したお金で、ようやく自分の店を開けたんや」
じいさんは、にかっと笑う。
「婆さんが、働いてくれたおかげや。マイフォーエバーワイフ」
「あらやだ! じいさんったら、そんなこと……私もね、言いたいんですよ」
柔らかい笑みを、婆さんは浮かべる。
「私、じいさんがいてくれたから毎日頑張れたんですよ。愛しています、我が運命の人よ」
しばらくキラキラした目で見つめあった後。
突然2人は互いに抱き合った。
「ああ、婆さん!」
「おお、じいさん!」
……何を見せられてるんだ、俺達は。
佐々岡さんも同じだろうと思って隣を見たが。
「ほーん、これは愛情やな」
腕を組んで、しみじみとした様子で首を縦に何度も振っていた。
やべえ、俺完全に孤立してる。
げんなりして帰ろうとする俺だったが、老夫婦と目が合ってしまう。
「おやおや婆さん。お客さんやぞ」
「あらあらじいさん。しかも2人ですよ。開店早々、ついてますね、私達!」
「ああ、奇跡や! 全て婆さんが運んできてくれた奇跡や! ああ、婆さん!」
「おお、報いです! 全てじいさんとの愛の報いです! おお、じいさん!」
俺は思わず怒鳴る。
「やめてくんね⁉︎ 鳥肌立ってるから!」
「ほーん、愛情やな」
「あんたちょっと黙っててくれる⁉︎」
結局コーヒーを飲んで行くことになり、俺達は席に着く。
老夫婦は坂崎と名乗った。
じいさんが坂崎一義、婆さんが坂崎志保子というらしい。
お互いに80を越えているらしいが、まだまだ元気そうな老夫婦である。
毛がふさふさの一義さんの頭を見つめる佐々岡さんの目つきが、なんだか怖かった。
志保子さんが、コーヒーを持ってきてくれた。
しかし、俺は飲まずに2人を見つめる。
「ここはカフェなんだろ? コーヒーの他に何を出してるんだ?」
「ハッ! 婆さん、駐在さんが儂らを疑っとるみたいや!」
「ヒッ! じいさん、駐在さんが私達を逮捕しようとしていますよ!」
「い、いや……」
なんか変な勘違いをされているみたいなので、俺は慌てて訂正を試みた。
しかし、坂崎夫婦は俺を遮って騒ぎ立てる。
「駐在さん! 逮捕するなら儂を! 婆さんは何もしてないんや! 全て儂が責任を取る!」
「何を言いますか! 駐在さん! 私を逮捕してください! じいさんは何もしていません! 私が悪いんです!」
「ああ、婆さん! 儂なんぞ庇うな! 儂はじゃまない! 婆さんが無事なら、儂はじゃまない!」
「おお、じいさん! 早まらないでくださいな! 店を出そうとしたのは私ですし、逮捕されるべきは私なんです! じいさんが罪を被ることないんですよ!」
泣きながら抱き合うじいさんと婆さん。
「ああ、婆さん!」
「おお、じいさん!」
「話進まねえーっ!」
「愛やな」
「だからあんた黙っててくれる⁉︎」
なんとか誤解を解き、先程の質問に答えてもらった。
「パフェとかクレープも売っていますよ。じいさんの手作りです。めちゃくちゃ美味しいんですよ?」
「やだもう、婆さんったら。このだら♡」
「頼むからそのノリやめて。それで、何で店を開いたんだ?」
すると、2人は沈黙し、互いに見つめ合う。
その顔から、何やら只事ではないオーラが発せられていた。
何か深刻な理由でもあるのだろうか。
思わず急かそうとした俺だったが、ギリギリのところで言葉を止め、飲み込む。
深刻な理由なら、深入りするのは人間としておかしいと思う。
よって、俺は敢えて聞かないことにした。
「……そんな深刻な理由なら、聞かないでおくよ。俺は、人の秘密を掘り起こしに来たわけじゃないんだ」
決まった。
今の俺、最高にカッコいい。
しかし、老夫婦はきょとんとした顔つきだった。
「いや、深刻ってほどじゃ……」
「へ? じゃあさっきの沈黙は?」
「あれですか? じいさんがちゃんと隣にいてくれているのか確認したんですよ」
「儂もや」
「…………」
もう2度と信用しない。
「理由でしたっけ。それは……」
「……どうせ、『フタリノアイノチカラヲセカイニトドロカセルタメ』とか言うんだろ?」
「凄い。大当たりや……!」
「こんなに嬉しくない大当たりは生まれて初めてだ」
ため息をつく俺に構わず、老夫婦は言う。
「そう、儂らの愛をこの店を通じて、全世界に轟かせるんや! そうやろ、婆さん!」
「ええ、私達の愛をこの店を利用して、全宇宙に響かせるんです! そうですよね、じいさん!」
そして、互いに抱擁。
「ああ、婆さん!」
「おお、じいさん!」
「うんうん。素晴らしい愛やな」
「お前ら全員、1回黙ってくんないかな⁉︎」
コーヒーの勘定を払った後、俺はすぐに駐在所へ帰った。
もうあんなところ居られない。
80過ぎたじいちゃんとばあちゃんが、若いバカップルみたいなノリで話して、泣いて、笑って、抱き合っている。
無理だ。
気がおかしくなりそうである。
「あの店使って愛を轟かすとか言ってたが、到底無理だろうな……」
そう呟くと、俺は仮眠をとるため横になる。
意識は、案外簡単に夢の中に引き摺り込まれた。
俺は知らなかったが、寝ている間に村中の人々にカフェのことが広まったらしい。
下校中に立ち寄った小中高の学生達が親に伝え、一気に広まったとのこと。
坂崎夫婦の愛は、瞬く間に村中で有名になり、あちこちから応援の声が寄せられた。
カフェに立ち寄った人々は、ラブラブな2人を見て口を揃えてこう言ったという。
「うんうん。愛、だな」