初登場だよ、石川さん!
これは、石川県の能登地方……とはいっても、加賀地方に限りなく近い中途半端な地域のどこかにある、過疎りに過疎った村のお話。
村の朝は早い。
人の少ない通りを、ランドセルを背負った餓鬼共が元気よく走っていく。
彼らの話題はいつも、村の外のことだ。
外にはでかい街がある。
外には広い海がある。
旅行で村の外に出た者は、自慢げにそのことを語る。
俺も、よく餓鬼に色々話される。
だが、俺は都会に興味はない。
このちっぽけな村から出るなど、考えたこともなかった。
そんな俺は、今日も街中を走っていく。
いい歳したおっさんが、大声で喚きながら疾走していく様は、無意識に餓鬼共の笑いを誘ってしまう。
「あー、イシカワがまた走ってるー!」
「今度はなぁに? また盗られたの?」
俺はそんな声を無視して、ひたすらに犯人を追いかける。
相手は非常にすばしっこく、ついていくだけで精一杯だった。
しかし、俺は諦めない。
懸命に相手の背中を追う。
あ、塀の上に乗った。
俺も奴と同じように、塀の上に飛び乗った。
何度も落ちそうになるが、耐えた。
「待て待て待てぇい!」
俺の呼びかけを無視して、犯人は走っていく。
口に、煮干しを咥えながら。
「俺のつまみだぞ! 返せぇ!」
俺の名前は石川宗吾。
47歳独身。
この村で駐在さんをやっている者だ。
見ての通り、煮干し窃盗の極悪犯罪者"猫"を追っかけている最中である。
「待たんかぁ! 泥棒猫ぉ!」
当然、猫は待たない。
塀の上を器用に渡りながら、こっちを嘲笑うように走っていく。
塀の上で繰り広げられる、猫と警官の鬼ごっこ。
人々は、特に驚くこともなくそれを見ている。
「元気やなぁ、石川さん」
「またやっとるわ、だら警官」(だらは金沢弁で「ばか」を表す言葉。この村は能登地方に括られてるけど、限りなく加賀地方に近いので、金沢弁の話者が多いのである)
「発砲するかどうか賭けんけ?」
そう、こんなこと日常茶飯事なのだ。
この俺は以前にも、朝食を盗んだ猫を追って高山さんのママチャリを勝手に借りて爆走し、宝石を盗んだカラスを、勝手に借りた消防団の放水車で撃ち落としたり、それはもうやりたい放題だった。
煮干しを咥えた猫は、塀の内側へ飛び降りる。
俺もそれに続いて、中岡さんの敷地内へ侵入する。
「わっ⁉︎ 石川さん⁉︎」
「悪い! 今は公務執行中!」
巨大な腹に豚鼻。
40をそろそろ越えると話していたオバさんを突き飛ばし、家の中を土足で駆け回る。
「あーっ! 掃除したばっかりなのに!」
「後で掃除してあげるから、堪忍な!」
「何言っとんの! あんた本当にお巡りさん⁉︎」
そんな怒声を背中に浴びながら、俺は猫を追って家を飛び出した。
警棒を振り回して猫を追いかける俺は、登校中のJK2人組とすれ違う。
「あ、おっさん。また猫追ってんの?」
「ぷーっ! マジウケるんですけど! インスタ上げとこっと!」
同時にスマホを取り出す2人。
ロン毛の方が坂尾で、ショートの方が駒居である。
俺は思わず、両手で顔を覆う。
「馬鹿野郎! プライバシーの侵害だぞ!」
「しらねーもん」
「そーそー」
俺は舌打ちしてその場から走り去った。
しばらく猫を追いかけていくと、猪を肩に担いだ男とすれ違った。
屈強そうな体と、左手に握られる猟銃の威圧感は、まさしく猟師。
俺はその猟師、御坂から猟銃を奪い取ると、猫に向けて構える。
「ちょっと借りるぞ御坂!」
「お? 何や、お巡りさん。猟銃貸すくらいじゃまないけど、事件か?」
「泥棒猫だ!」
流石に猫に当てるような真似はしない。
俺は近くにあったゴミ箱の蓋に狙いをつけ、これを撃ち抜いた。
蓋は大きく跳躍し、猫の上に落下する。
頭をぶつけた猫は、その場にぐったりと伸びた。
死んではいないはずだから大丈夫だろう。
そんな猫に俺は近づき、口に咥えられた煮干しをひったくる。
「俺のだ!」
そうは言うものの、猫の唾液でベトベトになった煮干しを食うわけにもいかない。
仕方なく、蓋が吹っ飛んだゴミ箱の中に放り込んだ。
「あーあ。この泥棒猫には参ってるよ」
「今日もお勤めご苦労さん」
下手くそな敬礼をする御坂。
俺も敬礼を返し、その場を後にする。
駐在所に戻るのも面倒だったので、そのまま巡回することにする。
村は、平和の一言に尽きる。
でかい犯罪など滅多に起こらないし、たった1人の警官である俺は毎日暇している。
強いて言うなら、夜になるとたまに暴走族の鈴村が、一味を引き連れて走り回っていることくらいだ。
その時はチャリで追いかけ回してやるのだが。
「あーあ。田舎っていいなぁ」
真っ青な青空に向けて、俺は大きく伸びをする。
警察官が暇なくらいがちょうどいいのだ。
犯罪がないのが、何よりである。
一通り巡回を終え、中岡さんの家の掃除を手伝い、俺は駐在所へ戻った。
すっかり太陽は山の中に入り、今の村は闇が支配している。
少し休憩したら、今度は夜警だ。
また鈴村の野郎が騒がないか心配だが、何とかなるだろう。
カップ麺を頬張りながら、カリ○ストロの城を見る。
もちろん、カセットテープだ。
ちょうど例の警部が部下と共にカップ麺を啜っているシーンであり、俺は思わずニヤつく。
「俺も部下、欲しいなぁ」
ど田舎で、しかも過疎ってるこの村に来たがる警官はそういない。
俺は色々あってこの村に来たが、流石にもう来ないだろう。
「さぁて、夜警だ」
俺はカップ麺を食べ終え、テレビを消すと、すぐに外へ出た。
そして、チャリに乗って夜警へと出発する。
しばらく、真っ暗な道をライトで照らしながら走っていると。
「…………」
あった。
鈴村のバイク。
しかも、人様の敷地内に堂々と入れてやがる。
鈴村とは、俺が目の敵にしている暴走族のことだ。
どうやら、近くのコンビニにいるようだ。
あいつめ、また人様に迷惑かけやがって。
俺は停められたバイクを蹴り飛ばすと、「違法につき、抹殺」と書かれた紙を取り出し、バイクに貼り付けてその場から走り去った。