(6)
「なるほど、メグはテリーがシリアンにキスしているところを目撃したというわけだね」
じっくり話を聞かせてもらおうかと言われて渋々ソファに腰かけ、メグがどうしてそんな勘違いをしたのかという申し開きを聞いた。
覗き見なんかして申し訳ありませんと謝り続けるメグの背中を撫でて落ち着かせる。
まさかあれを見られていたなんてと驚いたが、本当は異動の件を相談したがっていたのだとわかって嬉しくもあった。
それはいいのだが、ルーク様が銀縁メガネを光らせて興味深げな目でこちらを見ているし、ミシェル妃はどういうわけか「わくわくするお話です」とはしゃいでいる。
だからあなた、幼な妻に妙なことばかり教えていませんか!?
「それは誤解です。あれは、シリアン様が全くご経験がないため……練習をしていただけでですね…唇は重ねておりません」
「待て、テリー。それをなぜ私に相談しなかったんだ?私だったらもっと丁寧に可愛い弟に指導できるのに。今からでも遅くない、明日の畑仕事の後にどうだ」
このお方はいつも、どこまでが本気でどこからが冗談だか全くわからないのだが、口ぶりから察するにこれはかなり「本気」寄りの発言だ。
兄王子の毒牙から乙女なシリアン様の純潔をお守りしなければ!
「ご心配には及びません。その件に関しましては、もう解決済みですので」
きっぱりとお断りした。
結局メグに対する気持ちはうやむやのまま、再度彼女のことをよろしくとお願いして引き渡した。
何だかあちこち傷だらけで大怪我でも負ったような気がした俺だった。
その後もメグとは顔を合わせる機会があった。
畑にミシェル妃の付き添いとして来たときは、メグの可愛らしい手に軟膏を塗ってあげた。
頬を赤く染めてこちらを見上げる様子から察するに、かなり脈アリなんじゃないかとは思った。
だからといって、新しい職場で頑張るメグに負担をかけないよう、関係を進めていく気にはなれなかったし、おそらく彼女もそれを望んではいなかっただろう。
ルーク様とミシェル様に良くしてもらっているようで、健康的に笑うメグにたまに会えるだけで十分だと思っていた。
転機が訪れたのは、一年後のことだった。
リチャード殿下ご夫妻にもう間もなく第一子が誕生するというタイミングで、「畑担当」から誕生してくるお子様の側近に配置替えとなった。
お子様の性別に関係なく、お世継ぎ候補となることはすでに決定的であるため、周囲からは「大抜擢」「大出世」と言われたが、要は赤ん坊のお守だと思うとかなり微妙だ。
もちろん乳母役も用意しているし、周りを固めるスタッフは女性多めのチーム編成となっている。
それを統率するのが自分なのだが、様々な不安や気苦労があるだろうから誰でも名指しで気心の知れた者を一人、専任秘書として手元に置いてもいいとリチャード様が提案してくれた。
そのありがたい打診に、即答でメグを指名したのは言うまでもない。
これから忙しくなるだろうから、それならせめて彼女をそばに置いておきたい。
公私混同が甚だしいのは百も承知で、それでもいつでも触れられる距離にいてもらいたいと思った。
メグを引き受ける日、ルーク様の居室で一年前も同じことをしたなと思い返しながら、メグと共に頭を下げた。
「お世話になりました」
「大事な娘を嫁に出す気分だよ。メグ、幸せになりなさい」
「はい!」
ルーク様が目を細めて微笑んでいる。
ミシェル妃は、今にも泣き出しそうな顔でメグのことを抱きしめた。
先ほどから幾度となくそうしている。
昨晩は遅くまで二人で「ガールズトーク」をしていたらしく、一年でここまで絆が深まったこの二人を仲を引き裂くようなことをしてよかったのかと、ふと心配になる。
「テリーさん、メグを泣かせるようなことがあったら許しませんわ。その時はメグに戻って来てもらいます。メグ、ここを実家だと思って、いつでも遊びにいらしてね」
「はい!」
いや、これはただの人事異動であって結婚ではありませんし、そもそもあなた方はメグの親族でもないでしょう?――などと言おうものなら、またややこしいことを言われそうな気がしたから、「心得ております」とだけ言って再び頭を下げたのだった。
何だか見事にルーク様の手のひらの上で転がされているような気がしてならないのは、気のせいではないだろう。
それならそれで、抵抗することなく転がされてやろうじゃないか。
リチャード様ご夫婦の住居は、ルーク様のそれとは正反対の位置にある。
しかし、そこへは向かわずに中庭のバラ園へ向かって足を進めた。
戸惑った声で「どちらに?」と尋ねてきたメグの手を握り、そのまま進む。
「実は今日は、私もメグも休暇扱いなんです。上司と部下になるのは明日からなので、今日はこれからプライベートの言葉遣いで話すね、メグ」
「はい…」
淡いピンク色をした小輪のバラの前で立ち止まって向かい合った。
控えめに咲く可愛らしい八重咲の花が、まるでメグのようだと思ったからだ。
「俺は伯爵家の三男坊で家督を継ぐ予定もないから、これから先もずっと王城勤めの役人だと思う。支度金ぐらいは出してくれるはずだけど、それ以外実家に頼るつもりもないから俺の伴侶にラクないい暮らしをさせてあげられることはないと思う。
こんな俺だけど、結婚してくれないか。公私ともに支え合っていきたい。好きなんだ、メグ」
メグのヘーゼルナッツの瞳がみるみる潤んで、それでも視線は絡んだまま、その小さくて艶やかな唇が開く。
「わたしでいいんですか?」
メグの声が震えている。
「メグがいい。メグじゃないと嫌だ」
今すぐ腕の中に閉じ込めてしまいたいけれど、それはプロポーズの返事を聞いてからだ。
「こんなわたしでよければ、よろしくお願いします」
真っ赤な顔で同意してくれたメグの目尻からこぼれた雫を親指で拭いながら、募る愛おしさに突き動かされた衝動を止められないままに顔を近づけた。
何をされるのか察したメグが、体をこわばらせてぎゅっと目を瞑る。
「もしかして、初めて?」
目を開けたメグがこくこく頷く。
よかった、まだ誰にも汚されていなかった。
「不慣れでごめんなさい」
おどおどしているメグを優しく抱きしめた。
「嬉しいよ。大丈夫、全部教えてあげるから」
腕の力を緩め、メグの頬を包み込むようして上を向かせると、そっと唇を重ねたのだった。
fin.