事件(2)
翌朝、畑まで走って向かった。
まさか一晩で潔く諦めたりしてないわよね!?と不安な気持ちが抑えきれず、少しでも早くシリアン様の笑顔が見たかったからだ。
遠目に畑の真ん中に立ついつもの人影を認めてホッとしたのも束の間、様子がおかしいことにすぐに気づいた。
「なんてこと……」
畑一面が荒らされていた。
シリアン様と一緒に種まきをして芽が出てきたばかりのカブは畝ごとぐちゃぐちゃにされて、芽は跡形もない。
元気よく葉を茂らせていた痺れ草は一株残らず抜かれて踏みつぶされている。
他の野菜、ハーブ、薬草も同様に、全てが台無しされていたのだ。
害獣対策としてしっかりと柵を張り、空き地と勘違いして子供たちが遊んだりしないように『薬草栽培中のため部外者立ち入るべからず』の看板だって備えている畑だ。
知らずにうっかり立ち入って踏んづけちゃった、なんてことはあり得ない。
これは明らかに、誰かが意図的にやったものだ。
「サクラ!無事でよかった」
駆け寄って来たシリアン様にぎゅうっと抱きしめられた。
「畑が……」
呆然として力が抜けるわたしをしっかり支えながらも、シリアン様の体も小さく震えている。
「すまない。私のせいだ。これは私に対する嫌がらせだと思う。駄目にしてしまった作物はもうどうしようもないが、弁償はさせてもらう。もうきみや、この畑を巻き込まないように……会うのはこれっきりにしよう」
わたしの肩に顔をうずめるシリアン様は、涙を流し声を震わせながらそう告げたのだった。
この人はこれまで、こうやって色々なことを諦めてきたのかもしれない。
「シリアン様、モブは逞しいので、こんなことでへこたれたりしませんよ」
腕を回してシリアン様のことを抱きしめ返す。
顔を上げたシリアン様は、泣き顔まで麗しかった。
「シリアン様は、本当にモブになる覚悟がおありですか?」
「もちろんだ。私の容姿に問題があるのなら、丸坊主にしても、今の倍ぐらい体重を増やしてもかまわない」
いや、それはおやめください。
「寒くても暑くても、手がひび割れて痛くても、お天気が良ければ毎日畑仕事をしなければなりませんよ。できますか?」
「もちろんそのつもりだったよ。サクラと軟膏を塗りっこしたいと思っていたから」
え、それが目的?
そんな下心を堂々と言ってしまうだなんて、本当に残念な人なんだから!
「では、我が家にお婿に来てください。いつの間にか、わたしもあなたのことが好きになっていたみたいです。すぐにでも結婚しましょう!」
こんな純粋な人をいたぶるだなんて、もう王室とかいう性格の悪いやつらの巣窟にこの人を置いておけないわっ!
婿入りならすぐに離脱できるんでしょう?
じゃあお望み通り、わたしがシリアン様をお婿にもらうわよ!
この日、本来ならば、まずは恋人からってことで少しずつお互いのことを知っていきましょうと言うはずだったのに、この時のわたしは怒りで妙なスイッチが入っていて、勢いでプロポーズしてしまった。
シリアン様は目を大きく見開いた後、その群青色の瞳を潤ませてふわりと笑った。
「不束者だが、よろしく頼む」
それ普通、女性のセリフです…シリアン様の後ろでそうつぶやいたテリーの目もまた潤んでいたのだった。