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終章


 夜だって言うのに茹だる暑さの中、ため息混じりでネクタイを緩め、コンビニで買ったアイスを咥えた。

 大学三年生の夏。インターンシップが始まってはや二ヶ月、なんとなくやらせてもらっている業務も慣れてきたがやはり働くことへの意欲は中々に湧き上がってこない。

 隣で同じくアイスを食べる竹田は半袖半ズボンの私服姿で暑そうに襟をパタパタと扇いでいる。


 就業時間を終えた時、ちょうど竹田から連絡があり俺らは久しぶりに飲みに行っていた。少し疲れていた俺はたいして飲めもせずただ竹田がべらべらと話すここ最近の近況を聞いた。

 俺は一年前の夏以来パタリとサークルに行くことなく、特にこれと言った行事に参加しないで淡々と学生生活を送っているのに対し、竹田は三年の夏を楽しそうに過ごしているらしい。


「なぁ、お前、院にはいかねぇのかよ」

「行ったところでやりたいこともないしな。それだったら早く就職して親の手間かけさせないようにしたいし」

「お前ってほんといいやつだよな」


 背中を思いっきり叩くこいつは、俺と違って院に行って心理学の研究をするそうだ。やりたいことがあるならいいじゃないかと言っているのに何故か自分を卑下して“院に行くのは働くと言う地獄から逃げたいからだぁ”と叫んでいる。

 俺からしたら先輩達が話す院生も社会人もさほど楽しくなさそうだが。


「なあ、社会人になってもまた飲みに行こうな」


 瞳を潤ませてこちらを上目遣いで見てくるがむさい男にやられても正直気色が悪いだけで、俺は曖昧に頷いた。その反応を見た竹田は「やだぁ、照れてるのぉ?」と膝で突いてきたのでそれは無視した。


「まあ、俺も無事に社会人になれるかどうかわからないしな」

「何言ってんだよ! 自信持てって!」


 インターンシップをやって、間近で働く人達を見た正直な感想は、自分が果たして将来やっていけるかどうかという不安でしかなかった。

 今はまだ学生だからという名目で簡単な雑用やミスしてもフォローができるようなことしかしていないがこの先社会に出て、こんなぬるま湯ではなくしっかりと自立した人間になれる気がしなかった。

 それに俺の通う大学なんぞを雇う会社なんてたかが知れている。運良く職にありつけたとしてもそこがブラック企業でない可能性などない。

 考えれば考えるほど、未来に対して悩みは尽きない。


「まあ、なんとかなるさ。それにお前にはあの美人なお姉さんがついてんだろ」

「仲山さんのツテはあんまり……」

「違う違うちがーう! 疲れた時に癒してもらえるじゃないか! あの大いなる胸で!」


 一年たっても竹田は竹田ままだ。

 ちなみに竹田は仲山さんに振られたらしい。一年前の三人で行った遊園地の帰り、俺がいない間にこいつは仲山さんを次のデートに誘ったのだが断られたそうだ。“今は恋愛する気がない”と。


「あれは絶対お前に気があるね。あーあーこれだからモテる男は嫌いだあ」


 竹田はやれやれと首を振るが、仲山さんは俺に対してそうは思っていないだろう。

 あれから俺は引っ越してお隣さんではなくなったのだ連絡は取っており、飲みに行ったりもしている。竹田の次によく話す相手と言っても過言ではない。だからこそ仲山さんが俺を恋愛対象として見ていないことはよくわかっている。男として見ているのではなく、もっと親密な……例えば弟として見ているのがひしひしと感じ取れた。

 実の弟と今、どんな関係なのか、最近会っているのかどうかは聞かなかった。彼女が兄の話をしなかったと同様に仲山さんもまたあまり弟の話をしなかったからだ。

 聞きたいと思うことはあったが、あの太ももにつけられた傷跡がちらつきどうしても声に出すのに気後れした。


「お前だって彼女できただろ、大事にしてあげろよ」


 俺の言葉に竹田は鼻の下を伸ばしてデレデレした表情で頷いた。竹田は一年生の小柄な後輩とついこの前付き合い始めたばかりだ。女子校上がりで男慣れしてないところがいいと熱弁し、猛アタックしてようやく付き合えた彼女に言うまでもなく骨抜きになっている。

 それから彼女の惚気を永遠と話すこいつと付き合えた後輩は幸せだろうなと思わずにはいられなかった。


「そういや、明日さ! みんなで海行こってーー」

「悪い、明日は予定があるから」


 俺は竹田を遮って謝った。すると、竹田ははっとした顔をする。


「そっか、一周忌か……」

「まあ、家族の人が居なさそうな時間狙って墓参りするだけだけどな」


 明日は彼女の一周忌だ。

 彼女の家族、特に父親は俺の顔を見ることすら嫌だろうから特に何も言わずに花だけやって帰ろうと思う。また一年前と同じ、いざこざは起こしたくない。

 ちなみに墓の場所は母親に聞いた。たまにでも会いに来てくれたらきっと喜ぶだろうからと俺に最後まで気を遣ってくれた。


「なぁ、俺はずっとお前の親友だからな。辛いことがあったら、なんでも言えよ」


 泣きそうになりながら俺の肩に手を置いて言う竹田に思わず笑い出してしまった。さっきまで自分の恋人の話を嬉々として語っていたのに、今はうってかわって鼻を啜っている。

 こいつもきっと、俺が死んだら許さないのだろう。


「大丈夫だよ、俺はもう」


 溶けたアイスの最後の一欠片を口に突っ込み、笑いながら「泣くなよ、気色悪ぃ」と揶揄った。

 そう、俺はもう大丈夫。俺はすっかり立ち直ったのだ。

 竹田はその後もやたら元気に俺を励ましていたが、恋人からバイトが終わったとの連絡が来たので、迎えに行った。全く、甲斐甲斐しいやつだ。


 俺は独りで夜道を歩く。

 家までは一駅分ある。しかし、なんだか今日は少しだけこの夜を味わいたかった。


『ねぇ、本当に?』


 するはずもない、あの声が頭の中に響く。


『私のこと忘れられたの?』


 寂しそうではない。小馬鹿にしたように俺の嘘がバレているのがわかった。


「いいや、やっぱり忘れることは無理だった」


『ね、そうでしょ? 君もやっぱり、忘れられないでしょ?』


 ひょっこりと彼女が曲がり角から現れた気配がする。立ち止まって改めてよく見てもそこには誰もいなかった。


『やっぱり君は救われないんだよ。ずっとずっとこの先も私に囚われたまま、生きていくつもりなの?』


 今度は隣にいる。いや、隣にいるはずの彼女は地球の裏よりも遠い場所で俺の事をくすくすと笑っている。


 仲山さんが言っていたようには上手くいかないものだ。忘れたくても忘れられない。切り捨てたくても切り捨てられない。あの日の後悔はまだ根強く俺の中に残っている。

 一年しか経ってないからこんなものかと楽観的に考えるよりも、一年経ってもこれなら二年経っても、十年経っても、五十年経ってもきっと忘れられないというのが今の所の予想だ。


「でもさ、俺はもう大丈夫だよ」


 けれど忘れられないことを悲観的に捉えなかった。

 薄まっていったのは彼女との記憶ではなかったから。


『ひどいよ、そんなのひどい』


 こんなことを言う彼女は全て俺の自己否定が生み出した妄想だ。めそめそと泣き始めるその姿を実際に目に見ることはできない。

 だって彼女はこんな捻くれたこと言わない。彼女は俺を責めずに自分を責める、そういう人だったから。


 頭の中に居座る彼女はいつの日か話す事をやめ、声すら出せなくなり、気配もなくなるのだろう。

 そして、俺の中の彼女は色褪せ、くたびれ、心の隅に仕舞う日がいつか来るのだろう。

 その日を待ち遠しいとは思えない。出来る事なら先延ばしにして、彼女のことを少しでも覚えていたい。そう思えるぐらいには彼女は俺の全てだった。


『君はさ』


 心なしか彼女の声が遠い。虫の声が煩くて、途切れ途切れに聞こえてくるその声は朗らかでいて、泣きそうだった。


「私といて、幸せだった?」


 答える必要もない。こればっかりは本当の彼女だってわかってるはずだ。


 彼女の声は聞こえなくなり、アイスの棒を齧りながら夏の夜を俺は再びゆっくりと歩き出す。


 騒ぎ足りない大人達が遠くで子供のように笑う声。祭りの後のような独特な夜の侘しさ。日が沈んでも冷めない熱が俺の皮膚の裏からじりじりと体温を上げ、拭っても拭っても汗が滲む。

 どこか遠くで数多くのカゲロウが今日も短い命を線香花火のように散らしている。

 やはり俺は真夏の夜が、大嫌いだ。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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