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両親には一通り説明した。予想以上に淡々と話す自分に驚きはしたものの、やはりその夜は眠りにつけなかった。
翌朝、ふらつく体で実家を出ようとしたら母親に引き止められたが提出すべきレポートがあると適当な嘘をついて家を出た。いや、実際には嘘ではなく、ただそのレポートの提出期限は昨日だったし今、教授にそれの交渉に行く元気もなかった。
親心で心配なのだろうけれど実家で同情の眼差しで見られるのが耐えられず、俺は引き留める二人を置いて出た。
また長い距離を電車で揺られ、思うように動かない体を引きずって一日ぶりの家へと辿り着いた。入るのは久しぶりだ。
一昨日はどうしても家に踏み入れることはできず、仲山さんに必要な物ーー葬式のスーツもその一つだーーを持ってきてもらい、特殊清掃の依頼も俺は現場を見るに耐えず外で話した。
たった数日踏み入れなかっただけで懐かしさを覚えると同時に違和感がぬぐいきれなかった。
帰っても電気がつかない部屋。
生活音一つない静寂に包まれた部屋。
お土産に買ったあの花瓶を割ってから、100円でかった小さい花瓶に花を刺しているのだがその肝心の花が焦げ茶色に枯れていた。
花の水換えのやり方なんて知らないし、きっとこの花瓶に二度と鮮やかな花は飾られることはない。もう花瓶ごと捨てることになるだろう。
着てきたスーツをゆっくり脱いでその辺に散らかしたままベッドへと倒れた。
『もう、一張羅なんだからもっと丁寧に扱ってよ』
そう言いながら、片付けてくれる少し怒った声も聞こえない。
「わかってるって」
一人呟い言葉に、誰も返事はしてくれない。
呆れて笑う人はもうこの部屋にいない。
久しぶりに大の字になって自分のベッドに沈み、俺はただ天井を眺めた。
俺は彼女のことを考えるわけでもなく、寝ているのか覚めているのか、そんな思考すら忘れた時間を、もう死んでいるも同然の無意味な時間を何時間、いや何日と過ごした。
空腹と尿意に少し歩くだけで、他はひたすらにぼっとしていた。
そんな宙に浮いた生活をしていた時、けたたましい音が耳にはっきりと届いた。無視していたそれは段々と苛つくように何度も鳴らされ最後にはドンドンと扉を殴る音に変わった。そして何やら話し声がし、再び扉を叩く音。
やけに必死に叩くもんだから俺は致し方なく起き上がる。予想以上に足に力が入らず、玄関まで時間がかかってしまったがなんとか辿り着き重い扉を開けた。
「やっ、やっと出て……」
息を切らしながらそこにいたのは竹田だった。出てきた俺を見て失礼にも唖然としている。
「はは、君本当に酷い顔してるね、最近鏡見た?」
その隣で不躾に笑う仲山さんは俺の肩に手を置いて俺の部屋へとずんずん入っていく。
「二人はなんで」
「お前が心配で来たに決まってんだろ? 2週間も連絡無視しやがって」
「私はそんな竹田くんが扉を叩く音で目が覚めた日曜日の社会人だよ、とにかく君はお風呂に入りなさい。ハエも裸足で逃げ出すくらい不衛生な臭いしてるよ」
ふと、俺を押していた手が緩まった。
「あ、うちの風呂使う?」
「お、お姉さんの家の風呂…!?」
何を考えたのかわからないが、竹田が目を見開きこちらを睨んできた。たぶん、想像しているようなことはないから安心して欲しい。
仲山さんは彼女が風呂で亡くなったのを知っているから気を遣ってくれたのだろう。特殊清掃もとうの昔に終わり、今では風呂場は俺が越してきた時よりも綺麗だ。
「いえ、大丈夫です」
俺はそう言いながらおぼつかない足取りで風呂場に行く。ユニットバスではなくきちんと湯船と洗い場がわかれている。彼女もそれを気に入っていた。
俺は湯船を見ないようにしながらシャワーだけを浴びた。途中ちらりと鏡を見たら滑稽なほど痩せた男が見えた。目元は窪んで虚ろな眼球は不気味にギョロと動き、無精髭は汚らしく口元から下を覆っていた。
笑いたくなるぐらい酷い顔だ。自分の顔を綺麗だとは思ったことはないが、ここまで汚いことはなかった。俺はヒゲも綺麗に剃ってから風呂場を後にした。いつの間にか用意されていた服に着替えて、部屋に戻る。
「お、だいぶいい男に戻ったじゃんか」
仲山さんは戻ってきた俺にそう声をかけた。まるで自分の家だとでも言うように二人共くつろいでいた。そもそも二人とも人見知りするようなタイプではないので俺が風呂に入っている間にだいぶ打ち解けたらしく、楽しそうに談笑していた。
「おい、ドライブ行くぞ」
「いや、そんな気分じゃ……」
「私達はそんな気分なの。社会人の貴重な休みを叩き起こした責任が君にはあるから強制参加だよ」
「いや、俺のせいじゃ……」
「うるせぇ、男に二言はねぇ」
一言もうんとは言っていないので二言も何もないのだが、竹田は俺の首根っこを掴み無理やり引っ張り始めた。
「君達には特別私の車を使うことを許可してあげよう。準備してくるから、10分後に駐車場でね」
「俺、行くってまだ」
「うるさい、男に二言はないの」
無茶苦茶を言いながら仲山さんはうちから出て行った。
「お隣さん、いい人だな」
「そうだな」
実を言うと俺が帰ってきてから何回か仲山さんから連絡を受けてはいた。余ったから食べてと何回か玄関の前に差し入れを置いていてくれた。俺がろくに自炊もせずにここまでなんとか生き延びれたのは仲山さんのおかげと言っても過言ではない。
「それに美人だ」
「……ああ」
「それに胸もある」
「……」
そういえば、こいういやつだった。振り返ると竹田鼻が伸びている。俺はの心配はどこへやら、うっとりとした顔をしていた。
「いいか、今日が俺と美沙さんの初デートだ」
急に名前呼びだ。
「しっかり俺をサポートしてくれ」
「お前、何しに来たんだよ……」
そんなやりとりをしつつ、俺達はゆっくり駐車場へと降りて行った。仲山さんは俺達が着いてから15分後に来た。
先程は部屋着で化粧もろくにしていなかったが、今はきちんとオシャレもして顔もメイクが施されていた。
「やあ、少年達お待たせ」
戯けながら仲山さんは車の鍵を開ける。炎天下の中まち続けた俺達は汗だくのまま車に乗り込んだ。車の中は更に熱く、仲山さんも悲鳴を上げながらエンジンを慌ててつけた。
「さてどこ行くかなぁ」
もわっとした生温い風が車内に流れ、更に汗ばんできた。手で扇ぎながら仲山さんはそう尋ねる。
「俺、行きたいところありますっ!」
竹田が俺を押し除け、運転席に身を乗り出して手を挙げた。
「遊園地! 遊園地がいいです!」
鼻息が荒い。こいつデートだと本当に勘違いしてるんじゃないだろうか。
「いいねぇ、お姉さんも行くの久しぶりだよ」
仲山さんは楽しそうに車のギアを倒した。軽で小さめな車内は三人で乗るには少し狭く感じたが、仲山さんは陽気なラジオを流し、竹田はそれに合わせて歌ったりツッコミを入れたりして、居心地は悪くはなかった。
目指しているのは少し遠めの遊園地だ。こっちに来てかまだ一度も来たことはなかった。大きめの遊園地でデートスポットとしても有名な場所だが、彼女がここよりも近くて水族館もついている遊園地の方が気に入っており、いつもそちらに行っていた。
遊園地なんて正直楽しい年でもないのだが、竹田はともかく仲山さんは俺に気晴らしをさせるために連れて行ってくれているのだから憂鬱な顔はしてはいけないだろう。
車を走らせて二時間半。夏休みで混んでいたためやや時間はかかってしまったが辿り着いた。
駐車場も予想通り混んでいて、親子連れが多いのか子供達の明るい声があちらこちらから聞こえてきた。
車を降りると仲山さんはぐっと伸びをして目の前に広がる非日常を眩しそうにみた。
「とりあえずお腹すきましたね! オススメの店あるんでそこ行きましょう!」
竹田は仲山さんと俺の分のチケットを買って戻ってくるとるんるんでそう言った。そういえば前にここの年パスを持っていると話していた気がする。そんな彼がお勧めするのだから相当な期待を持ってしまう。
昼も過ぎて何も食べていない俺達はだいぶ腹をすかせたまま園内へと入る。
「ここはね、よく弟と一緒に来てたんだ」
仲山さんは懐かしさに目を細めた。
「12歳も離れてるから母親にねえちゃん面倒みれるでしょ、て高校生の私と言葉も上手く喋れないような弟をここに置いていってさ。
金も握らせないからアトラクションに乗れなくて、二人でアニーとパンっていうキャラクターになりきって園内歩いてたんだよね」
「へえ、そんなキャラクターいるんですね」
「ああ、いないよ。私と弟が勝手に考えたから。アニーは私が好きな映画の主人公から取って、パンは弟がお母さんが炊飯器で作るパンが好きでそこから取ったの」
楽しそうに話す二人のエピソードは微笑ましいものばかりだった。二人でこの乗り物は世界を守るために大事な任務なんだとかあのお店で売っている食べ物はアニーが研究に研究を重ねて作った究極の料理だとか。
竹田が案内したのは食べ歩き用の骨つき肉が買える店でここはパンが初めて飼った犬が大好物な店だそうだ。
「弟さんと仲良いんですね」
近くの椅子に座り、竹田は肉にかぶりつきながら言った。
俺もそれを見て一口食べてみる。燻製してるので、芳ばしい匂いが口一杯に広がり肉汁が噛んだそばから溢れ出てきた。
「まあ、母子家庭だったし母親があんまり家に帰ってこなかったからね。ずっと二人で遊んでたからなぁ」
仲山さんも大きな口で肉に食らいついた。
「いいですね! 絆強い感じで! 今でも弟さんとは仲良しなんですか?」
「……うん、まぁ、そうだね」
仲山さんは竹田問いかけに歯切れの悪い返事をし、その後は黙って肉を食べ続けた。いつもなら包み隠さず明るく言ってのける仲山さんが何も言わなくなったのを見て、さすがに何かを察した竹田はこの肉の作り方について語り出した。
彼女にも話したくないことの一つや二つあるのだと思いながら俺もこの話題に触れないよう竹田の話に相槌を打った。
肉も食べ終わり、次はアトラクションに乗ることにした。仲山さんも普段の調子に戻り、竹田と二人で永遠と冗談を言い合っていた。二人の掛け合いをみているうちにお似合いなのかもしれないと思ったことはなんだか癪なので竹田には伝えないでおこう。
程よくして、俺達はメインでもあるジェットコースターに並び始めた。俺も仲山さんも大丈夫だったのだが、やけに口数が少なくなった竹田は絶叫系がダメだったらしくジェットコースターに乗った後は顔を真っ青にして休憩させてとぐったりとして動かなくなった。
「言ってくれればいいのに」
仲山さんは買ってきたペットボトルを差し出して笑う。俺の方へにも水を差し出してくれた。断ろうとしたが「熱中症に気を付けたまえ」と無理矢理、押し付けてきた。
「今日、何時までいられそうですか?」
「うーん、夜のパレード見てから帰ろうかなぁ。アレだけはどうしても欠かせないのよね」
仲山さんも自分で買ってきた飲み物をぐいっと飲んだ。
たしか夜のパレードは20時からだったのでそれまでは3時間ほどある。辺りはまだ明るいが、ゆっくりと傾いた日差しの強さは弱まっていた。代わりに蒸し暑さで汗が止まらず俺も水を有り難く頂いた。
俺達はそれから時間をダラダラと過ごした。竹田はその後すぐに回復したが、俺達はスローダウンし、絶叫系には乗らず室内を巡るものや、映像で驚かせるもので時間を潰した。夜になっても蒸し暑さは変わらず、夏の夜の臭いが鼻につく。
「やっぱ、夜の遊園地って最高だねぇ」
いつの間にか買ったうちわを煽ぎながら仲山さんは楽しそうにパレードが始まるのを待っている。
「なんだか大人の特権? ってやつ? こんな夜遅くまで出歩いてこんな綺麗な物見れてさ」
仲山さんの横でうんうんと竹田が頷き、こちらを急に睨んできた。まさか二人きりにして欲しいとでも言うのだろうか。本当にデートのことしか頭にないやつだ。
しかし、今日来れた事によってだいぶ気分が晴れたのも事実だ。竹田が来なければ仲山さんもこんな日曜に起こされることもなかったし俺達はここには来ていなかっただろう。
仕方ない、馬鹿な親友のために人肌脱ぐか。俺は小腹が空いたと嘘をついて、二人から離れ人混みの中をふらふらと歩き出した。