エピローグ 采夏はお茶を飲む
采夏はとぼとぼと黒瑛についていく。
逃げ出したい気持ちだったが、その気持ちを知ってか知らずかしっかりと黒瑛が采夏の手を握っていて離さない。
そうこうしていると両開きの扉を構えた門に行き当たった。
門頭には、『雅陵殿』の文字。
(雅陵殿って、皇后が住む殿のことだったような……)
やはり、西州の後ろ盾のために私を閉じ込めようとしているのだろうかと、采夏は微かに顔をしかめる。
惚れてるだのなんだのと言って采夏の気をなだめて、やはりここに押し込めるつもりなのだろう。
(ひどい人……)
黒瑛は、采夏にとって、一時でもこの人のためにお茶を淹れ続けたいと思わせた人だ。
正直、惚れたと言われた時、嬉しくなかったわけじゃない。
でも、茶師を続けてもいいと、あきらめなくてもいいと言ってくれたのは、黒瑛のはずだ。
だからあきらめない道を選べたというのに。
悲しい。胸が苦しい。
これほどまで辛い思いをするのはきっと、ここまでされても、黒瑛を嫌いになれないからだろう。
あれほどにおいしそうに自分が淹れた茶を飲んでくれる人……幻滅して嫌いになれたならどれほど良かったか。
「ここだ」
先ほどまでずっと無言だった黒瑛が、そう言って振り返った。
何故か少年のような無邪気な笑顔を浮かべている。
「ここは、皇后の住まう殿ですよね……?」
「まあな。でも俺が見せたいのはこの先だ」
黒瑛がそう言うと、門を守っていた宦官が扉を開いた。
そして同時に、ふわっと風が吹く。
采夏の大好きな香りを載せて。
「え……この、匂い、まさか……」
采夏はそう呟きながら、よろよろと前に進む。
歩く足に力が入らない。
現実味がない。だってあり得ない。ここは後宮だ。こんな香りがするはずがない。
でも、この香りを采夏が間違うはずがない。
様々な葛藤を抱きながら門を抜けて目の前に広がった景色に、采夏は圧倒された。
そこには……。
「信じられません……! こちら全て、茶の木ですか……!?」
辺り一面に青々とした茶畑が広がっていた。
あまりのことに現実味が感じられず、采夏はただただ驚きで目を見開く。
しかし、鼻孔をくすぐる葉の香り、視界に映る瑞々しい青々しさは、どう考えても采夏の愛してやまない茶の木である。
「はは、驚いたか。陸翔に言って、龍弦村の茶の木を移植してもらった。采夏妃への贈り物だ」
誇らしげに語る黒瑛の声が聞こえる。
「わ、私に?」
「ああ。ちなみに、采夏が言っていた岩に生えている茶の木についても取り寄せようとしてるんだが、あれは岩壁を切り出して運ぶしかなさそうで、まだこちらに移動できていない」
黒瑛の言葉に采夏はハッとして顔を上げた。
「采夏岩茶の茶の木も!?」
そう言って黒瑛を見ると、勿論とでも言うように笑顔を浮かべて黒瑛が頷く。
采夏は混乱した。
だって、どうして、そんなことをしているのか分からない。
だって、黒瑛は、采夏が茶師を続けたいという気持ちを無視して、後ろ盾欲しさに采夏を閉じ込めようとしてるのではないのか?
「ど、どうして……?」
震える唇で何とかそう言った。
黒瑛は笑みを深める。
その瞳はどこか甘く、采夏が淹れたお茶を飲んでいる時の黒瑛のようで采夏は思わず目を見張った。
「さっき理由を言っただろ。惚れてるからだって」
「ほ、惚れ……」
黒瑛の言葉を受けて、じわじわと頬が赤くなる。
(ず、ずるい……。お茶を飲むときのような色気を出して、そんなことを言うなんて……!)
戸惑う采夏の前に立ち、黒瑛は覗き込むようにして采夏をまっすぐと見つめた。
出会った時と同じ黒々としたその瞳に吸い込まれそうだ。
「俺が政権を取り戻したら、茶師を続けられるいい男を連れてきてやるっていう約束、これで果たしただろう?」
勝ち誇ったような顔で黒瑛はそう言った。
「で、では、これは、私のために……?」
「それ以外ないだろ。秦漱石の後片付けでバタバタしてる中でここまで用意するのは結構大変だったんだからな」
「そうでしょうね……」
色々なことに圧倒されすぎて、言葉が続かない。
目に入る茶の木の青々しさと、目の前にいる人の少しはにかんだような笑顔が夢のようで実感が湧かない。
しばらくすると采夏の反応があまりにも鈍いので、心配になったらしい黒瑛が采夏を覗き見てきた
。
「まあ突然で驚いたかもしれねぇし……嫌かもしれないが、悪い。手放す気はないんだ」
そう言って、采夏の手を取った。
両手で優しく包み込むように。
「それとも、もしかして、他に好いた男でもいたか?」
少々しょぼくれた顔で黒瑛が言うもので、黒瑛には悪いと思いつつ采夏は少しだけ面白くなってしまった。
「別に好いた男の人はいません。……ですが、好みの男性像ならございます」
「好みの男性像?」
「はい。私の淹れたお茶を誰よりもおいしそうに飲んでくれる方です」
「……お茶?」
「陛下、これから一緒にお茶を飲みませんか? 私、陛下が私のお茶を飲む姿、とても好きなのです」
采夏がそう言うと、一瞬黒瑛は何を言われたのか分からないと言いたげに間の抜けた顔をした。
しかしすぐに、采夏の言いたいことを理解して、黒瑛はほっとしたように破顔する。
そして二人は、お茶を飲んだ。
これから何度も一緒に飲むだろう相手と共に。
◆
青国 瑛忠3年
長年国を乱した秦漱石の専横政治が幕を閉じ、黒瑛の治世が本格的に始まった。
皇子時代の評判を覆すように黒瑛皇帝は良く国のために務めた。
天災による不作が続いた年には、甘く苦味のない茶を売り出して経済を安定させ、隣国と武力的な衝突が起こりそうだった際も、新しい茶文化で隣国の使者を歓迎し戦争を回避し、見事に国をまとめ上げた。
後に賢帝と呼ばれる黒瑛皇帝の隣には、人々に茶妃と呼ばれて愛された茶好きの皇后がいつもいたという。
FIN
ということで一旦、終わりです!
最期まで読んでいただきありがとうございました!
一旦、終わり、ということなので、もしかしたら続きを書くやも……!?
今後ともよろしくお願いします!









