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黒瑛はお茶を飲む 後編

 いつの間にか、皇帝であることがばれている。

 何故、気づいたのだろうか。


 引きこもり帝の二つ名通り、皇帝としての黒瑛はずっと寝殿に引きこもっており顔を知っている者はほとんどいない。

 皇子時代でさえ、出涸らし皇子と呼ばれるほど宮中の者には嫌われ、外で好き放題遊びまわっていた。

 入りたての下級后妃が皇帝の顔を知っているはずはなかった。


「いや……顔を上げろ。いや、なんつーか、勘違いも何も、俺が今着ているのは下級宦官服だ。ぎゃ、逆に、どうして俺が皇帝だなんて思ったんだ?」


「いくつか理由がありますが、まず陛下がお茶のことを『薬』だとおっしゃったことです。お茶は元々は不老不死の薬として宮中で重用され、皇家に献上されてきました。ですが今ではほとんどの方にとってお茶は嗜好品の一つです。薬として飲まれているとなると、薬として献上されてきた歴史を持つ皇家に近しき者なのかと推測しました」


「く、薬と思っているわけではなく、ただ苦いから、薬みたいだなと、そう思っただけで……」


「そしてもう一つは、陛下がお茶を苦いと評したことです。

 茶を薬として扱う皇家の方々は、効能を十分に引き出すために熱湯で煮出し、熱いうちに飲むのが通例だと聞いたことがあります。先ほども申しましたが、熱い湯で淹れたお茶は渋みや苦味が強く出る傾向にあります。これほどの良い茶葉を持ちながら、苦いお茶しか知らないとおっしゃったことで引っかかりました」


 まったくもってその通りだったために、とうとう黒瑛は口を閉じた。

 言われてみるとなんと迂闊なことをしただろうか。

 何ともいたたまれない。

 そして采夏はさらに追撃するように口を開ける。


「そして、一番の理由は、陛下が持っていたこの茶葉が龍弦茶だからです。龍弦茶は我が国の銘茶中の銘茶……し、しかも……」

 先ほどまで淡々と語っていた様子の采夏だったが、ここにきて体を震えさせ始めた。

 そしてカッと目を見開く。


「この龍弦茶はっ!! 明前のっ!! 龍弦茶っ!!」

 そう叫んだ采夏の目は爛々と輝き、顔色が照り輝いている。

 そしてしばらくハアハアと息継ぎした後、ゴクッと唾を飲みこんでまた口を開いた。


「清明節より前に摘まれた茶葉だけで作られた最高級の龍弦茶なんですよ!? それを清明節が明けたばかりの今飲むことを許されているのは、皇帝陛下しかいないじゃないですか! ああ! 陛下! このような希少なお茶を飲む機会を与えてくださりありがとうございます!」

 采夏が前のめりでその感動を伝えると、その迫力に押されて思わず黒瑛は背を少々のけ反らせる。


 黒瑛は自分のことで頭がいっぱいで目に入っていなかったのだが、よく見ると采夏の近くにあった茶壺が空だった。

 黒瑛自身も飲んだがあの大きな茶壺に入っていた茶を全て飲み尽くしたとは考えにくい。

 おそらく采夏が飲み干したのだ。


 あっけにとられた黒瑛の反応を見た采夏が焦ったように口を開く。


「あ、すみません、ついつい飲み過ぎてしまいましたけど、しかし飲んでしまった龍弦茶はもうお返しできませんのでご承知ください。吐き出せと言われても、吐き出しませんのでご承知ください」

「いや、別に、吐き出さなくていいんだが……むしろ吐き出さないで欲しいんだが……」

 鼻息を荒くする采夏だが、黒瑛にとっては茶が飲み干されたことは大した問題ではない。

 問題は、自分が皇帝であることがばれたことだ。


(そうか、確かにこれは皇帝献上茶だったな……迂闊過ぎる。いやしかし、まさか、茶を飲んで銘柄を当ててくる妃がいるとは思わないだろ)


 黒瑛は、己の迂闊さに嘆き、采夏の嗅覚に脅威を覚えつつ負けを認めた。


 采夏の言う通り、下級の宦官に扮してはいるが、黒瑛こそが引きこもり帝と呼ばれる青国の第九代皇帝その人であった。

 皇帝であるにもかかわらず、自分の耳には宦官からの嘘の入り混じった報告しか入らないため、たまに自ら宦官などに扮して世情を探っているのだ。


 そう黒瑛には、野心がある。

 あの憎い秦漱石に復讐をするという暗い野心が。


 先帝であり、黒瑛の実の兄である士瑛(しえい)は、秦漱石によって殺された。


 兄の士瑛は文武両方に優秀で、仁に厚くよく慕われていた。

 だからこそ、秦漱石に反発し……殺された。

 そうあの出来の良い兄でさえ、秦漱石には敵わなかったのだ。


 そして母であるえい皇太后は、次に帝位に就いた黒瑛に愚かなふりをして己が身を守るように助言をした。

 故に黒瑛は政に興味がないふりをし引きこもり帝と呼ばれることになったが、黒瑛はこのまま秦漱石をのさばらせるつもりはない。


 まずは秦漱石に奪われた権力を取り返し、兄の敵を討つ。


 だが、元々ただの商家の娘だった母に力のある親類はおらず、志正しく有能な官吏は秦漱石によって尽く排除されていた。

 加えて帝位からは程遠い位置にいた黒瑛は、ろくな教育も受けておらず、兄の士瑛のように出来が良くない。

 下町の不良たちと付き合って悪さしていたこともあり、口調も性格も少々粗暴で宮中では、兄に良いところをすべて吸われた『出涸らし皇子』などという不名誉な呼び名があったほどだった。


 士瑛は破れ、今宮中にいる者のほとんどは、秦漱石におもねる者達ばかり。


 どうにかして政権を取り戻したいが、苦戦を強いられているのは明らかで、黒瑛でも、最近は優秀な兄でもできなかったことが、自分にやれるのかと思うことが多くなった。


 采夏に向かって、『何事にも限界がある』と言ったのは、その想いが強くなってきたからだろう。


 名ばかりの皇帝。出来そこないの弟。出涸らし皇子。引きこもり帝。

 自分にできることなど、ほとんどないに等しい。


 そう思っていた。だが……。


 黒瑛は空の茶杯に目を向ける。

 先ほどまで飲んでいた茶の味を反芻はんすうした。


「……俺が、宦官に扮していたことは、悪いが秘密にしてもらえるか?」

 黒瑛は軽く口元に笑みを浮かべて采夏にそう言った。


「そう望まれるのでしたら、もちろんそうしますが……」

 そう言って不思議そうな瞳を黒瑛に向ける。

 何故そのようなことをしているのか、そう思っているのだろう。

 その瞳に黒瑛は己の失敗を恥じつつ苦く笑った。


「できれば理由も聞かないでくれ。その代り、残りの茶葉はやる。口止め料だ。もらってくれるな?」


「龍弦茶を……!? 口止め料ということなら、遠慮なく! もちろん、陛下の命とあらば、誰にも言いませんとも!」


 そう言って采夏はぐっと唇を内側にかんで、口が堅いことを主張した。

 茶葉がもらえることが相当嬉しかったらしく、頬が紅潮している。

 その幼げな仕草に、お菓子を餌に言うことを聞かされる子供の姿が連想されて思わず黒瑛は綻んだ。


「お前、名前はなんていうんだ……?」

 後宮での人との関わりを極力なくしていた黒瑛だったが、気づいたらそう口にしていた。

 とても気分がいいからだろうか。

 あのお茶が口の中を潤し、軽やかにしたのかもしれない。


「私は、采夏と申します」

「采夏。良い名だ」

 黒瑛は采夏の名をゆっくりと口にした。

 基本的に寝殿で引きこもる黒瑛にとって、彼女の振る舞いは新鮮だった。

 それになにより気づかせてくれた。


 上手くいかないことばかりが続き、自分で自分の限界を作りあきらめかけていた黒瑛に、まだできることはあるはずだと、そう、思うことができた。

 なにせ、お茶でさえ淹れ方の違いでこれ程までに変化を遂げることができるのだから。


「……感謝する」

 そう言って黒瑛は、何か柔らかなものを感じながら思わず微笑みを浮かべていた。




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