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黒瑛はお茶を飲む 前編

 男は、采夏の誘いに乗り、彼女にならって地面に腰を置いた。

 そのことに男―――黒瑛(こくえい)は我ながら驚いていた。


 戸惑う黒瑛のことを知ってか知らずか、采夏は粛々と茶の準備を行っている。


(なんか変なことになっちまったな。まさかこんなところで后妃と茶を飲むことになるとは……)


 戸惑う黒瑛の耳に、ふつふつと静かに湯が沸きあがってくる音が聞こえて茶壺を見た。


 茶壺の湯に少しばかりの気泡が沸きだしたところだった。

 そこに采夏が瓢箪で作った柄杓を使ってお湯をすくいだしてわけた。

 そしてそのまま茶壺の湯が沸くのを待つ。


(あれは、何をしているんだ? 一度沸かした湯をわけた……?)

 采夏の行動に、黒瑛は小さく首を傾げた。


 黒瑛が知るお茶の作り方は、熱湯を沸かした茶壺に茶葉を入れて煮出すやり方だ。

 黒瑛の知る宦官達は皆そうしている。


 そして宦官達のことを思い出して、あの忌々しい秦漱石の顔まで脳裏によぎり気持ちが重くなった。


 秦漱石。

 秦漱石は、皇帝の側仕えの宦官でありながら、皇帝をさしおき青国の実権を握っている。

 今の皇帝は、秦漱石の傀儡だ。


 秦漱石は、四代続けて年若い皇帝を擁立し、自分の権力を保持し続けてきたが、二代続けて皇帝は早世している。

 早世するのは決まって、皇帝が己の権力を主張し、敵対の姿勢を示した時だ。

 秦漱石が傀儡になれない皇帝は不要とばかりに、殺めているのは明白だった。

 誰もがそれを知っているのに指摘できないでいるのは、それほど秦漱石の力が強いからである。


 黒瑛が物思いにふける中、采夏は釜の中に茶葉を投入した。

 先ほど、黒瑛が采夏に与えた龍弦茶だ。


 踊るように茶葉が釜の中で旋回する。

 そしてゆっくりと、茶独特のふくよかな香があたりに広がってゆく。


「さすがは龍弦茶です。一瞬にして場を制するほどの香を持ちながらも嫌みがなくて上品。しつこさもない」


 うっとりとした顔で采夏がそう言うと、釜の湯がさらに煮立つ。

 采夏はすかさず先ほど柄杓で掬っていた湯を釜に戻してまた煮立たせ、火を消した。

 黒瑛は再び目を見張る


「もう沸かさないのか? 茶と言うのは熱湯でよく煮出すものだと思ってたが」

「……龍弦茶はそれほど煮出さなくとも、香りも味も十分に引き出せる素晴らしい茶葉でございます」

 采夏はそう言って、石の卓の上に並べられた小さな茶杯に茶を淹れる。どうやら完成したらしい。


 完成した龍弦茶を見て、再び黒瑛は目を見張った。


(いつも飲んでいるのと色が違う……)


 いつも飲んでいる龍弦茶は、もっと緑が強く茶色に近かったが、采夏が淹れた茶の色は淡い、本当に淡い黄色。

 ほとんど透明に近いと言ってもいい。


(色味は薄いが、妙に引き付けられる……。この香りのせいか? 体中が今目の前のこの飲み物を欲しているみたいだ)


 黒瑛はこの不思議な感覚に戸惑いながらもゆっくりと口をつけた。


 最初にやってきたのは、緑茶独特の青々しい苦味。

 しかしそれはすぐに舌の上を春風のように吹き抜けて、残ったのはとろりとした甘味だった。


「甘い……」


 思わず口に出した。


 黒瑛は緑茶を飲んで、これほどまでに甘いと感じたことはなかった。

 薬としても使われる青国の緑茶は、苦くて当たり前。

 良薬口に苦しの言葉の通りだ。

 黒瑛は、そう思っていた。


 だが、今飲んだ茶は、甘い。

 しかもくどくどとした甘さではない。

 爽やかだ。

 草原の中で、日向に当たりながら寝転んでいるかのような……。

 うっとりするように目を閉じると、黒瑛は魂だけがどこか別の場所に飛ばされた―――そんな気がした。


 心地よい春の風を感じる。


 夢の中のような心地の中で、そよそよと柔らかい草が肌を優しくなでる感覚がする。

 恐る恐る目を開けると青々とした雄大な山が見えた。

 その山から吹き下ろしてきた風の中に清涼な香りが混じる。

 あの山は茶木の山だ。

 春の陽気に誘われて顔を出した茶の新芽が見える。

 新芽は風にさらわれて、茶碗の中に溶け込んだ。香とともに。


 そうかこの香は春を待ちわびた新芽の香り……。

 体中に染み渡る温かさは、春の日差しだ。


 風に乗ってやってきた香は奥が深く、果てがない。

 そう、果てがない。


 夢うつつの心地の中、手元の茶杯に目を移すと先ほど飲み干した茶が、再び注がれていた。

 采夏が淹れてくれたのだろう。


 黒瑛は再び二杯目を呷る。


 温かい。体中がほぐれてゆくようだ。

 そして三杯、四杯……。


「……何故、こんなにも味が違うんだ? 今まで飲んだものと同じだとは思えない」

 静かに茶を飲んでいた黒瑛は、そう呟いた。


「茶葉は、熱湯で煮出しますと、苦味や渋みが多く出されるのです。

 恐れながらあまり苦味が得意でないようでしたので、低温で煮出して茶を淹れました。

 低温でお茶を淹れると、苦味が抑えられる分、甘味を強く感じます」


(温度で? なら茶葉を煮る時、途中でお湯を柄杓で掬ったのは、茶壺の湯が熱くなりすぎないように温度を調整するためか。だがそれだけでこんなに違うものなのか……?)


「……信じられない。本当に、低温で煮出しただけか? 香りも何もかもが違う」


「陛下は、今まで熱く煮出したお茶しか飲まれなかったのでしょう。戸惑われるのも無理はありませんが、

 お茶は淹れ方次第で、大きく味や香りを変えます」

「淹れ方でこれほど……ん?」

 采夏の説明を聞きながら茶について考えていた黒瑛は、顔を上げた。


「……さっき、陛下って言わなかったか……?」

 黒瑛がそう言うと、采夏は地面に手を突き頭を下げた。


「誠に申し訳ありませんでした。私は下級の宦官だと勘違いをしてしまいまして、大変無礼な振る舞いをしてしまいました。どうかご容赦を!」

 深々と頭を下げる采夏を見下ろしながら、黒瑛は目を見張った。



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