4話 祓い屋の屋敷
「霧の里は、この世とあの世の境を通る霊道、それも、もう使われていない霊道の一部を拡げてつくられた里だ。お前の時代の言葉でいうと······そうだな。『異次元』の里だ」
男は、私に里の説明をしてくれるが、私は男の言葉なんて聞こえていなかった。目も耳も、周りの景色に釘付けだったのだ。
私が最も粋だと思う時代なだけに、その景色はとても良かった。
店先で独楽を回す店主とそれに集まる客がいて、桶に入った卵を天秤棒で吊って売り歩く卵売りがいる。
果物や野菜を扱う八百屋だけでなく、反物屋、材木問屋、屋台の蕎麦屋など、時代劇でよく見るような世界が広がっていた。
ただ、よく見ると流通している金銭は江戸当時の一文銭や小判ではなく、現代と同じ紙幣だ。
子供が遊んでいるシャボン玉も、駄菓子屋で見たようなプラスチック製の容器だし、里の女性が身につけるアクセサリーも現代的なイヤリングやシュシュなどが多い。
「見慣れたものもあるだろうが、時代遡行した気分になるか?」
男は少し得意げだった。私が驚くとでも思っているようだ。確かに私は驚いてはいる。現代的な要素を取り入れていながらも、生活の根本は江戸の頃と何ら変わりはないのだから。
だが、私の耳は本質を見抜くらしい。
「いいや、音は現代と何ら変わりはしない。風も、土も、打ち水に使われてる木も全部、私の時代と同じだよ」
一つ違うとしたら、音が死んでいるくらいだ。
音色は現世と同じだが、その響きは乾き、空回りするようだった。
感情のない音は死の音色。
死後に気づいたことの一つだ。音にも生死がある。
男はムスッとして「そうか」と言うと、里の奥まで歩いていく。ふと視線を感じた。
「あの子は何だ? 見慣れぬ姿だ」
「最近死んだのか? だが、ここに入れるとは思えない」
「珍妙な服ね。格好悪いわ」
私はチラホラと聞こえてくるヒソヒソ声を羽織って男について行く。
慣れた光景に、私はどこか安堵していた。
***
里の奥には小高い丘があった。
丘の上に続く長い石段を登ると、里の入口にあったような大きな門がある。だが、里の入口のそれとは違い、数え切れぬほどの傷跡で詰め尽くされていた。
門の向こう、丁寧に手入れされた庭の奥には立派な屋敷が構えていた。
男は傷だらけの門をくぐると、「帰ったぞ!」と開きっぱなしの玄関前で叫んだ。
しかし、何の反応もない。
私は門をくぐり、玄関まで続く花壇をじぃっと見下ろしていた。
手入れは行き届いているのに、生気を感じない。ここではきっと当たり前なのだ。死人の里に生きているものなぞないのだから。
私は男が苛立つ後ろで、咲いた花びらをそっと撫でた。
ふわりと風が吹いた。風は私の頬を撫で、髪を梳いていく。それと一緒に何かの香りを運んだ。
「「くっさぁ!」」
私と男が同時に叫び、鼻を塞ぐ。
強烈なまでの酒の臭いに、鼻を突き抜けるような痛みが走る。
男はついに怒ったようで、誰かの名前を叫びながら屋敷に乗り込んだ。
私は男の背中を見送ると、花をまた、じぃっと眺めた。
花は風に揺れる度に音をこぼす。
私はその音を拾って、その唄を紡いでやる。
「儚きこの身を飾らんや 泡沫の夢を見せばやな
鮮やかを歌う我が身に賜る言葉は一つ
なまめかしきやと愛でる手の──」
「わぁ、変わった歌だね」
私は尻もちをついた。
私の隣には、茶髪の髪を結わえた男がしゃがんでいた。
気が付かなかったとはいえ、私は気が緩んでいたようでショックを受けた。
茶髪の青年は花に目を向けると、その大きな瞳をキラキラと輝かせる。
「ねぇ、花が元気になったように見えない? 君の歌のお陰かな?」
「え、えっ? 何で······」
「僕は八神生馬だよ。君、初めて見るなぁ。その服変わってるね。着物じゃないの? あっ、これが洋服ってやつ? もしかしてエゲレスの人? 南蛮とか?」
生馬と名乗った青年は、私に間髪入れずに質問し続ける。私は驚く暇もなく、答える隙もなく、呆然とするしか無かった。
ふと屋敷の中から怒鳴り声が聞こえる。それは玄関に近づいてきて、あの男が怒鳴っているのだと分かった。
生馬は呆れたようにため息をつくと、「またかぁ」と呟いた。私がその言葉の意味を聞く前に、あの男は玄関に現れた。男の後ろに女の人もいた。
艶やかな着物に、鴉色の髪がとても映える。
長い髪はハーフアップにして千日紅の簪を刺しているだけ。それだけでも妖艶な雰囲気が周囲に漂っていた。
着物に似合わない草履を履いて、女は不機嫌な男と外に出た。
目尻と唇にのせた紅が女の美しさを際立たせ、柔らかい唇が咥える煙管が女の強さを象徴するようだ。
「いい加減にしろ! 何回言えば気が済むんだ! あれほど酒は控えろと言っただろうに!」
「口うるさいねェ。あれっぽっちの酒のことでグチグチ言うんじゃないよォ。あたしゃ酒は一日一徳利って決めてんだ。溜まった徳利まとめて洗いに出したって良いだろォ?」
「ならどうして酒瓶が廚にあるんだ! 一本だけじゃない、五本もあったぞ!」
「良いじゃないか。昨日の報酬なんだから」
「呑み過ぎだろうが!」
生馬は言い争う二人を止めに行く。私はわやわやと動く三人をぼぅっと眺めていた。
しばらく喧嘩を眺めていると、女の方が私に気がついた。私と一瞬目が合ったかと思うと、突然表情が明るくなる。煙管をさっとしまうと、男たちそっちのけで私の前まで駆けてきた。
「ちょっとォ! 女の子がいるじゃないか! 何だい早く言っとくれよ」
「その前にお前はその酒癖を······」
「そんなのいいからさァ! なぁおチビちゃんや。名前はなんだい? ここに新人が来るのは久しぶりでねェ。野郎どもの顔には飽き飽きしてたのさ。女の子が入るのは大歓迎だよォ」
「わ、私は······」
「ああ、まずはあたしからだ。あたしゃ御影千代さ。ここじゃあ姐さんなんて呼ばれてる。あたしよりも強い男どもにさ。笑える話だろォ? あのデカブツは望月夜来っていってな。あたしらは──」
「勘弁してやれ千代。そいつは新人じゃない」
望月と紹介された大男はぶっきらぼうに話を切った。千代と名乗った女は頬を膨らませ、不満そうに望月を睨む。
「何だい。あの子があたしに懐くのが怖いのかい? 仕方ないだろォ? 女同士が仲良くなるのは当たり前なんだからさ。諦めなァ」
「そうじゃない。あいつはただの浮遊霊だ。成仏出来ないだけ。その手伝いをしてやるのにここに連れてきたんだ」
「えっ? でも浮遊霊ってだけなら、ここに連れてくる必要なくない? 名前さえ言ってもらえれば還してあげられるでしょ?」
「それが問題なんだ」
望月は厄介そうに私を見つめた。その瞳には見覚えがある。私は恐怖心にも似た嫌悪を抱きながら、キョトンとする生馬と千代に言った。
私自身、二度と言いたくなかった。
「──名前を思い出せない」




