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春風とともに

作者: たかこ


「春風とともに」


その年の冬は、それはそれは厳しいものだった。例年よりも秋が短く、雪がたくさん降った。厳しい寒さが続いた為、亡くなる者もいくらか出たくらいだった。越冬の準備が間に合わないと、そうなっても仕方がない。貧しい寒村のこの土地では、皆生きていくのに精一杯だ。

雪解け水が小川を満たし、フキノトウが顔を出すくらいになった頃、やっと厳しい冬が鳴りを潜めたと悟り、村人達は肩の力を抜いた。そんな時期に、珍しく村を訪れる者がいた。

大きな町からやってきたというその旅人は、若い女だった。艶やかな黒髪に、瞳の色は珍しい薄桃色。名はルコといった。

華奢な体の女だったが、彼女は村人達では到底及ばない知識と、多くの薬を持っていた。薬師なのだという。修行の傍ら、人々に施しをして世界をまわっているらしい。一時村に留まり、冬の寒さで傷ついた村人達を診てまわり、薬を渡す。その見返りにルコは、雨風をしのげる場所と、飢えない程度の食料を求めた。もちろん村人達は、そんな彼女を歓迎した。こんな小さな寒村には、医者などいない。薬を売るものも居ないし、その知識は貴重だった。

ルコは優しい。その上美しくて素直だ。施しを求める者が、どれほど汚かろうが、醜かろうが、笑顔でその者に触れて、悲しみや喜びを共にする。自然と、村人は彼女の元に集まるようになった。冬の寒さがすっかり去って、霜焼けの薬を必要としなくなっても、皆用もなくルコを訪れる。彼女が滞在する小屋は、いつしか集会所としても使われるようになった。いつも村人に囲まれ、人の輪の中心に居るルコ。だが、私は気づいていた。彼女の表情筋は、花咲くような柔らかな笑顔を形作っていたが、その薄桃色の瞳は、少しも笑ってなどいない事に。人の輪の中心に居るようでいて、彼女はまるで、その場に独りぼっちで居るかのようだった。ルコは旅人だ。いずれはこの村を去る運命。だから、深く人に関わろうとしないのだろうか。そう思い、深くは気に留めていなかった。

桜の花もすっかり散り、深緑が山を埋め始めた時期になって、それは起こった。村人の一人が、村で一番立派な桜の老木の下で首を吊って死んだのだ。死んだ男は、集会所を取り仕切る役割を担っていたしっかり者だった。集会所に足繁く通い、旅の薬師であるルコにも親身に接していた男だった。誰からも信頼され、働き者で真面目だったその青年に、自死を選ぶような汚点など、私の目からはどこにも見受けられなかった。他の村人にしたって、もちろん同じだろう。

それから数日後、再び村は騒然となる。村一番のお金持ちである村長の家に、泥棒が入ったのだ。なにせ小さな村だ。村人は全員顔見知りのようなものだし、素行のおかしな者などいようものなら、直ぐに分かる。そう誰もが思ったが、一向に泥棒は捕まらなかった。捕まらぬまま、しかし数少ない村人の誰かが犯人である事は確かである。疑心暗鬼に駆られ、村にギスギスした雰囲気が漂いだす。

そんな、あまりすっきりしない夜。すっかり寒さも落ちついて、厚着ではやや汗ばむ日々が続いたある夜に、私はルコの姿を見た。村の有名人である彼女の姿など、別に珍しくはない。だが、その夜の彼女のいでたちが、初めてこの村を訪れたその日の格好で、大きな鞄を持って立っていたものだかは、私は思わず足を止めた。ルコが立つのは、桜の老木の下。あの、真面目な青年が自殺の場所に選んだ木だった。物憂げに薄桃色の瞳を伏せるルコの姿に、私は首をひねる。ややあってからこちらの存在に気づいたのだろう。ルコは目を見開くと頭を下げてきた。

「こんな夜中に、旅立ちですか?」

自然、そんな言葉が滑り落ちる。

彼女はおそらく旅立つのだろう。思いつめた顔と、その身なりからそう判断できた。

「ええ。これ以上ここに留まれば、きっと皆を傷つけてしまうから」

ルコの言葉に、私は表情を曇らせる。

あの青年の自殺から、ルコに関して良くない噂が立ち始めていた事を、私は知っていた。あの男は、ルコに恋をしていた。フラれた腹いせに自殺したのだとか、女が毒を盛ったのだとか、そんな、根も葉もない類の噂。小さな村だ。一度広がると、たとえそれが嘘でも、本当になってしまう程、ここは閉鎖的だ。噂話を聞きつけて彼女は出て行くのだろう。

「いえ。そうではないのです」

ルコは、悲しげに微笑んでそう告げた。対して私は驚いた。口では何も言っていない。心で思った事だ。それを、ルコは正確に感じ取って返事をよこしてきた。まるで心が読まれたようだ。

「居心地が良くて、長く滞在した私が悪いのです。人を一人死なせてしまった。そこで去っておけばよいものを、更に人を一人罪びとにしてしまった。そして人を一人財産を奪われる悲しみに落としてしまった」

まるでお伽話を紡ぐような、柔らかい声だった。聞いていて私は、眩暈と頭痛を覚える。右手を頭にやって表情をしかめた私を捉え、ルコは悲しげに笑った。

「ほうら、このままでは今度は貴方を、殺しかねない」

「言っている意味がーー」

「私の存在は、人を惑わし、狂わせるのです。どんな薬をもってしても、これは治らないし防げない」

故に私は、出て行くのです。

悲しげに告げるルコの言葉に、それでもやはり納得出来ない。ルコは優しく賢い。だから、そんな事をするはずなどないだろう。きっとそれは、勘違いか被害妄想だろう。そう思って、彼女が出て行くのを止めようと手を伸ばす。

「春は、冬の寒さから人々を癒すだけで良かったのです。人の優しさに縋り、長く居座ると、せっかくの薬も毒になりましょう」

ーーありがとう、優しい人よ。

ふわりと優しい風が吹いて、茂り始めた深緑を揺らす。僅かに残った桜の花びらが舞い、それは夢を見るような幻想的な光景だった。

ぺこりと一礼したルコは、そのまま春風に溶けてゆく。ありがとう、ごめんなさいと、幻聴のような木霊を残して。

「ーーーー」

忽然と姿を消した可憐な女に、声にならない叫びをあげて私は虚空を掻いた。腕にも指先にも、何も触れない。彼女はいってしまったのだと、静かに悟る。

人々を冬の寒さから立ち上がらせ、癒し、慈しむ。けれども、過ぎたる薬は、毒となって人の心を侵していく。

ああ、彼女はまるで、春のようだ。いいや、きっと、春そのものだったのだ。

寂しさが胸を突き、涙が溢れた。いつの間にか私は、彼女をこんなにも好いていたのかと。

春風がやみ、ねっとりと生暖かい空気が肌を湿らせるのを感じた。春が、今まさに終わろうとしているのだ。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 春風のようなものがたりですね。
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