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旧作・駄作・ほぼ没

新年号発表! 新年号は『令和(れいわ)』!! 

作者: 住友


本日2019年4月1日月曜日午前11時42分、

首相官邸での記者会見にて菅義偉官房長官から

新元号は『令和れいわ』に決定したとの発表がありました。


『令和』の出典は

『万葉集』巻第五の『梅花うめはなの歌三十二首』(作者不明)の

序文の一節


初春しょしゅん令月れいげつにして、

気淑風和やわらぎ、

梅は鏡前きょうぜんの粉をひらき、

蘭は珮後はいごこうかおらす」

(初春の好き月にして、空気はよく風は爽やかに、

梅は鏡の前の美女が装う白粉のように開き、

蘭は身を飾った香のように薫っている。)


から取られたとのこと。

「令」は「良い、素晴らしい」という意味で

「令嬢」や「令息」「令室」といった風に用いられている。



「令和」は今年2019年5月1日から始まります。

平成31年は4月の30日まで! 

平成31年って4月30日までしかないんですね。

令和元年まであとたったの一ヶ月、新しい元号の時代、

個人的には楽しみというよりは

「平成生まれとか古ーっ!」とかって言われるのが怖いです(汗)

そしてこれから先「令和生まれのアイドル」とかが出てくるということですね。

ネット上では「レイワ」ってカッコいい! という声も多いようです。

確かに「レイ」という響きは異質で個性的な雰囲気であるように思います。

そして「和」。

まさか「昭和」と被る言葉を採用するとは思いませんでした。

昭和生まれの方への配慮? なのでしょうか? 

馴染み深くて分かりやすくて、みたいな? 

元号離れを防ぐ効果を期待しているのかも? 





さて、読者諸賢の中には時期が時期だけに

政治的なことを考える方も多いことでしょう。

「出典を漢籍(中国の古典)ではなく国書から選んだのは快挙だ」

と喜ぶ方々がいる一方で

「いい言葉だとは思うが「令」には『命令』の意味合いが

含まれているところに何か不穏なものを感じる」

と思う方もいらっしゃるかもしれません。

「「『令和』は漢文調にすると「なごたらしむ」となる」

と紹介しているところもあるが、

これを安倍政権が言っていると思うと心穏やかではいられない」

とお思いになっている方も恐らくおいででしょう。

また「日本に自生する桜ではなく

あえて中国由来の植物である梅の歌を選んだのは

中国への配慮のあらわれである」

と解釈する方もいらっしゃる。

万葉集から更に出典元を遡ろうとする試みもあるようです。

今回の新元号を「日本独自の伝統を主張していく決意の表れ」と見る人は多い。

その一方で私は「漢籍から引用する伝統の放棄」と見るであろう人を

一人挙げることができます。

それは、当の出典元である『梅花の歌三十二首』序文の作者です。

この序文は以下の通りに締め括られている。


「詩に落梅の篇をしるす。

いにしへいまとそれ何そことならむ。

よろしく園の梅をしていささかに短詠を成すべし。」

(中国にも多くの落梅の詩がある。

いにしへと現在と何の違いがあろう。

よろしく園の梅を詠んでいささの(ほんの少しの)短詠を作ろうではないか。)


先人に敬意を払い、歴史との繋がりを意識しつつ

謙虚に創作意欲を燃やす教養精神の片鱗を見て取ることができる文です。

この文も新元号の名に反映されているのでしょうか。

だとすれば大変な皮肉です。

安倍首相は典拠の万葉集について

「我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書だ」

と語ったそうですが、

古典とは古典にならうもののことです。

文豪ゲーテの言葉が思い出されます。


「芸術には、すべてを通じて、血統というものがある。

巨匠をみれば、つねに、その巨匠が先人の長所を利用していて、

そのことが彼を偉大にしているのだ、ということがわかる。

ラファエロのような人たちが土台からすぐに生いそだつのじゃない。

ちゃんと、古代および、かれら以前につくられた最上のものの上に

立脚しているのだ。

その時代の長所を利用しなかったら、

かれらが大したものになるわけがない。」

(エッカーマン『ゲーテとの対話』1827年1月4日 木曜日)


「どんなにすぐれた天才であれ、

すべてを自分自身のおかげだと思うとしたら、

それ以上進歩はできないだろう。」

「(……)私は自分の作品を決して私自身の知恵ばかりに

負うているとは思ってない。

そのために材料を提供してくれた、

私を取りまく無数の事物や

人物にも負うていると思っているよ。

(……)そして私がなしたことといえば、それを捉え、

他人が私のために撒いてくれた種を

刈りとるというだけのことだったのさ。」

(1832年2月17日 金曜日)


古典とは古典に倣うもののことである。

日本の文化は日本人だけでは作れなかった。

「我が国の豊かな国民文化」のために

年号を漢籍にちなむ1400年の伝統を放棄したというのは合点のゆかぬ話です。

何故「我が国の豊かな国民文化」を取り上げるために

古代中国からの教養の血脈を示す伝統を断ち切らないといけないのでしょうか? 

古代中国からの教養の血脈を示す伝統を継続することが

「我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書」を

埋もれさせることになると言うのでしょうか? 

何故国書由来である必要があるのでしょう?

いにしへいまとそれ何そことならむ」と言っているのに? 

繋がっていたのに? 

合点のゆかぬ話です! 

話は完全にこじれた。

この新元号は伝統と文化の否定の象徴になってしまった。

中国の後を日本が追っていったように、

梅の後を桜が追っていくように、

現代に生きる私たちもまた先人の後を追っていく、

ここに個々の政党・政体の事情・思惑を超えた

大きな必然の力の存在を感じ取るのでなければなりません。

歴史や歴史的なものを特定個人・団体、特定の時代の人間の

要求の枠にはめることは歴史の軽視、伝統の軽視です。





と、私個人が嫌だ嫌だと駄々をこねても

心配ご無用と言わんばかりに

ちゃんと古典は古典の中に根付き息づいている。

万葉集からさらに時代を遡っていくと

中国の詩文集「文選」というものがあってそこに


「於是仲春令月 時和氣清」

(これにおいて、仲春の令月、時は和し気は清む)

張衡ちょうこう『帰田賦』)


という詩句が存在するらしい(万葉集は780年頃成立、文選は530年頃成立)。

結局独自の伝統とか、固有の文化とか、

オリジナルなんてものは幻想だということです。

全ての創作物は二次創作です。正確には三次、四次、五次……創作です。

違いは原作を明記してあるか、原作を特定できないか、

二次創作であることを隠しているかの違いに過ぎない。

法律や言語でさえそうです。

この『令和』にしたって

最初から素直に漢籍を典拠として挙げればいいものを

国書由来だ国民の文化だと触れ回っている政府の態度が

何だか軽々しく思えてきます。

文化や創作に疎いことを自分から言いふらしているようなものです。

こんなことを繰り返せば軽く見られるようになる……

と言ってももう手遅れか。







私は平成を名残惜しく思います。

しかし決定した年号が覆ることはありません。

平成は終わり令和の時代が始まります。

時間の流れというものは人間の法律や伝統よりも

もっと大きな力で決定されており、より覆し得ないものであります。

読者の皆様、心の準備はできていますか? 

私などは梅がもうみんな散ってしまっていて

今盛りの桜もすぐにこうなるのだと思うと、

時間が過ぎゆくという絶対的な宿命を感じてしまって全然落ち着きません。

自分は畏怖すべき世界の中に生きているのだと今更の如く考えさせられます。









万葉集の現代語訳は黒路よしひろ氏の

『万葉集入門』http://manyou.plabot.michikusa.jp/index.html

(リンクフリーだそうなんで張ります)から、

ゲーテは岩波文庫赤 409-1

からそれぞれ引用しました。


以下小説家になろうガイドラインの『引用に関して』より引用

「他者の著作物を自身の著作物内で使用する際、「引用」という手段が存在いたします。

「引用」は著作権者の許可を必要としない合法的な転載行為とされておりますが、

著作権法で規定されている「引用」を行なうには非常に多くの条件を満たす必要があります。

小説家になろうではエッセイなどの投稿も可能となっており、

引用行為自体を規制するものではございません。

ですが、引用元の権利者から申し立てが行なわれました場合は

作者の方の主張に関わらず対応を行ないますこと

あらかじめご了承ください。 」


黒路よしひろ氏やゲーテの亡霊や訳者の山下 肇氏や

なろうのガイドラインを制作した運営の方から抗議された場合、

本文を撤回いたします。





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