52:身だしなみぐらい整えないと
王都に到着したのはドレスティンを出発した翌々日の昼過ぎだ。
この辺りを知る冒険者ゴーストによると、馬車での移動というのも考えると、昨日のうちに到着してもおかしくない距離だという。
実際、アリアン王女も馬車の中で愚痴をこぼしていた。
「もっと早く走れませんの?」
――と。
で、そのたびにジャスラン隊長が「移動を速めて馬が疲れたところを襲われれば、逃げ切ることも出来なくなりますよ」と諭しのろのろ走行に。
その辺り、俺たちにはよくわからないので従うしかない。
もちろん王女は不満タラタラだったけどな。
「まぁこうして無事到着したんだ。よしとしよう」
『うむ。あとは褒美とやらを貰って、さっさとリアラの住む町へ行くぞい』
「いや、リアラさんは……というか、褒美貰う気満々なんだな」
アブソディラスが活躍した訳ではない。なのに我がごとのように、何が貰えるかのぉとさっきから五月蠅い。
ドラゴンなんだから、そういうのに興味なさそうなんだけどなぁ。
アリアン王女と親衛隊隊長ジャスランは先に王へと謁見し、俺たちはその後ということに。
応接室というか客室というか豪華なホテルのスイートルーム?
そんな部屋で待つこと数十分。
「遅いなぁ」
「そ、そうね。で、でも王様と会うんですもの。一介の冒険者が、そうそう会えるような方じゃないんだから、仕方ないわよ」
と、一番そわそわしているソディアがそう話す。
「緊張してる?」
と尋ねると、真っ赤な顔で「してないもんっ」と。
してる。もの凄く緊張してるだろ。
唇を尖らせて「してないもん」と言い張るのも、なんとも可愛らしい。
普段はキリっとしているけど、たまにこういう表情をするからなぁ。
っと、緊張している訳じゃないけど、便所に行きたくなった。
謁見中に行きたくなるのはまずいよな。
「お、俺……ちょっとトイレに」
そう言って部屋を出ようとすると、ソディアが――。
「待って。私も行くっ」
――と。
『僕は……留守番してますね』
うん、まぁコラッダは便所なんて行く必要ないもんな。
しかし、まさか女の子と一緒にトイレとは。もちろん日本のトイレみたく、男女別々の造りではあるけれど。
客間の外にいた兵士にトイレの場所を聞き、二人でお城観光をしつつ目的のトイレへと向かう。
「俺、本物のお城に入ったのは初めてだ」
「偽物ならあるの?」
というソディアの質問に、そもそも偽物が何なのか悩んだ。
某テーマパークのあれは、偽物に入るのだろうか?
いや、行ったことないんだけどさ。
トイレに到着して別れた後、案の定先に出てきて彼女を待つことに。
それにしても……長い。
女のトイレは長いって聞くけど、本当に長い。
十分以上経ったんじゃないか?
あ、もしかして。
王様に会う前に、気合入れてめかしこんでいる、とか?
じゃ、じゃあ、俺もちょっと……寝ぐせでもないか確認しておこう。
そう思って再びトイレへと入ろうとしたとき――。
『――誰か……私の声が……聞こえぬか』
どこからか風に乗ってそんな声が聞こえてきた。
その声がこの世ならざる者の声であることは、直ぐにわかった。
それほど近くではないが、遠くでもない。
若い男の声だ。
『どうした、主よ』
「幽霊だ」
『ぬ? どこにも見当たらぬようじゃが』
「近くではない。でも遠くって訳でもない。誰かに話を聞いて欲しそうな、そんな感じだ」
聞きに行くのかと尋ねられたが、憑りつかれても困る。
それに――。
「お、お待たせ。ごめんなさい、待たせちゃって」
と、ほのかな石鹸の香りを漂わせたソディアが戻って来た。
うん。やっぱりおめかししていたようだ。
案外女の子らしいよな――と、思わず笑みが零れる。
「な、なによ。どうして笑うの? な、なにか変?」
「いや。あぁ、髪も整えていたんだな」
「そ、そりゃあ王様に会うのよ? 失礼のないように、身だしなみぐらい整えないと」
そう言って彼女が俺の髪を弄る。
「寝ぐせ?」
「う、うん。ここ、ね。ちょっと……うん、よし」
「ありがとう」
「ふふ。じゃあ行きましょ」
『――誰か……私の声を……どうか、誰か聞いて欲しい』
悲痛な声が風に運ばれてくる。
その声に耳を貸さないよう心掛けながら、元いた客間へと向かって歩き出す。
通路の先、前方からジャスラン隊長と部下がやってくる。
俺たちの姿を見て、部下の方が踵を返し、ジャスラン隊長だけがやって来た。
「どうかしたかい、お客人」
「あぁー、謁見する前にその……」
俺は後ろの通路を指さすと、その先に見えるトイレで察したようだ。
ジャスラン隊長は笑顔で頷くと、謁見はもうすぐだからと客間に急いで戻るよう促された。
もうすぐ……一国の王様と対面する。
うん。そう思ったらちょっと緊張してきたぞ。
部屋に戻ってすぐ、遂にその時は来た。
「お待たせしましたみなさま。謁見の準備が出来ましたので、ご案内します」