舞台「あやばみ」開幕③
翔の胸中に込み上げる衝動。
一番の『正論』を、一番否定してほしかった相手から告げれた哀しみ。結局腹の内ではそう思っていたのかと、底の見えない失望。
沸々と身体に侵食していく黒の憤怒。それは父へだったり、朱斗へだったり、何よりも、自分へだったり。
ガキッ!
鈍い音をたてて、翔の錫杖が組み合う朱斗の腕を薙ぎ払う。
「わかってる! 今のオレでは只の役立たずだ! けどお前は、お前だけは! 何があっても友達だって言ってたじゃないか!」
「……甘いな。昔っからそうだ。簡単な言葉で騙される。力を持つ者は常に利用するかされるだけだと」
向けられた切っ先が光る。
「何度も言い続けているだろう!」
踊るように舞う刃が、翔の身体に新たな傷を生む。
身を切られる度、受け止める度、黒雲のような禍々しい『モノ』が、翔の心を蝕んでいく。
「ぐっ……! っ、全部、嘘だったって、いうのかよ!? オレの知る朱斗は全部っ! オレを利用してただけの白蛇だっていうのか!」
擦れた金属音。翔が仕込み錫杖から、切っ先を引き抜いた。苦悶の表情。
だがしかし朱斗は、やっとかと言わんばかりに薄く笑い、
「言ったろう。オレはお前が『山神』の『烏天狗』だから保護していただけのこと。最初から、それだけだ」
「っ! くっそおおおおおお!」
「はああああああ!」
舞台を駆け回る激しい戦闘。走り、飛び、身を翻したかと思うと、白く反射する刃が舞う。光と音楽が観客の焦燥を更に煽る。
繰り返される衝突音よりも、次第に斬刀音が増えていった。またひとつ、またひとつと傷を増やしているのは、翔だ。
とうとう崩れるように膝をつくも、朱斗は容赦ない。力なく床を這う翔に、ゆっくりと歩を進めた朱斗は、静かな眼差しで刀を振り上げた。
止んだ音楽。朱に近いオレンジの光源が、刃に筋を生む。
これが最期と悟ったのか、翔は逃げる腕を止め、必死に顔を上げ朱斗を見上げた。まるで、自身の生を奪い取る相手を、魂に刻むように。
だがその顔を覆うのは、苦悩や恨みではなく、涙を流すも微笑んだ、酷く無防備なものだった。
「……もう、いいかな」
絶え絶えに絞り出された声。朱斗は静かに瞼を下ろし、再び開け、
「……さよならだ、『翔』」
ザシュッ!
突き立てられた刀。静寂の支配する空間。
動かなくなった翔の姿を見つめる朱斗の顔が、冷徹な能面からグッと歪む。それは苛立ちのような、後悔のような、苦悶のような。
「……すまない、翔」
ゆっくりと、酷く丁寧に刃を引き抜く。朱斗は切っ先を振るいもせずに傍らへ避けると、片膝をついて、翔の傷口に触れた。血の移った掌を自身の心臓前に引き寄せ、胸中に刻むようにキツく握り込める。
と、カーンと甲高い音がこだまし、紅の光が舞台端を照らした。番傘を背負う影が、ゆっくりと振り返る。
「わかってはいても、痛ましいのう」
倒れる翔を哀しげに見つめ、それから気の毒そうな眼で朱斗を見る。
「事が全て上手く終わっても、翔の胸を貫いた感触も、その血の温度も、死ぬまでその手に残るぞ」
「……終わってもじゃない、終わらせるんだ」
低く呟いた瞬間。
「う……ううっ……」
獣のような呻き。翔だ。
「来るぞ」
朱斗は刀を手に間合いをとり、
「わかっておる」
沙羅は番傘を閉じ、帯に挟んでた扇子をバッと広げた。
翔は呻く。呻いて、呻いて、錫杖の柄に被さるだけだった掌が、ギリリと力強く握られた。
這い上がるようにして、ふらりと立ち上がる。その顔は伏せたまま、「あ、ガア……」と異形のような声だけが響く。
「……出来ればもう二度と、『烏天狗』となど殺り合いたくはなかったのう」
バン! と弾ける音が観客の心臓を突き、映像の黒翼が舞台を覆うようにバサリと両羽を広げた。
それを合図のように、
「うがああああああああああっ!」
翔が仕込み錫杖を振るい朱斗へと斬りかかる。
荒々しく飛びかかる様は、受けている筈の傷の痛みなど全く感じさせない。秩序のない攻撃。繰り出される刃も、蹴りも、全てがただ反射のようで、しかし確実に急所を狙っている。
戦闘の本能だけに支配された『烏天狗』。その姿に、『翔』の面影はない。
「ほれ、獲物は朱斗だけではないぞ!」
組み合う背後から、沙羅が扇子を振るう。
光の刃が翔を襲い、ひとつを受けるも、もうひとつは弾いた。
「ガガッ! あがああああああああ!」
カキーン! 錫杖の切っ先を番傘で受け止め、
「まったく、ほんに全てを忘れるとは」
腕を振るい薙ぎ払った沙羅は、再び向かってくる翔に機敏に身体を回転させ、蹴り飛ばす。
「喰われるでないぞ、翔! 早う戻ってこんか!」
「あ、あ、あああああああああ!」
「翔……!」
沙羅に飛びかかる翔を止めようと、朱斗は背後から斬りかかる。狙うは足だ。が、翔はすかさず錫杖で受け止め、今度は朱斗へと標準を変えた。
その隙に沙羅が足元へと刃を飛ばし、翔の動きが鈍った瞬間をついて、二人がかりでその身体を押さえつける。
逃れようと暴れる翔の力に弾かれた沙羅は、同じく弾かれるも刀を構える朱斗へ叫んだ。
「『烏天狗』の気配が濃すぎる! このままでは、翔が『目覚める』よりも先に、その精神が喰われるぞ!」
「だがオレ達は信じる事しかできん」
「っ、翔……!」
繰り広げる戦闘の中で、沙羅の悲痛な声が響く。何度も、何度も、戻ってこいと呼びかけるも、翔は変化の兆しを見せない。
その時だった。
低く鳴り響く地の音。青いスポットライトの中で無数の桜が儚げに散る。現れた影は二つ。
「ほう? あやかしの血に支配され、人としての理性をなくしたか、翔」
「碧寿……!」
「やはり嗅ぎつけてきおったか……っ!」
忌々しげに嘲笑した沙羅に、碧寿は口角を上げながらくるりと煙管をまわした。
この場ににそぐわない飄々とした姿が、『鬼』としての余裕と貫禄を放つ。ピリッとした緊張感に沙羅が扇子を構えると、「ああ? なんだ狐風情が!」と獏が飛びかかってきた。
二本の短刀が風を斬る。
「っ!」
沙羅が番傘で受け止めると、
「おお? 案外やるな」
「ふん、礼儀も知らない無礼者じゃのお」
舞台袖から見守る定霜の耳に、イヤホンを通してすすり泣く声がした。
コントロールルームの三人はこちらの声を拾っているが、向こうから声が届くのは指示がある時だけだ。つまりこの声の主は、定霜と反対側の舞台袖でサポートにあたる、睦子のものだろう。
「うっ、ぐ、あああああー!」
ガキッ! ガキッ!
錫杖の刃は受け止めるも蹴りをくらった朱斗が「がっ!」と呻き、
「朱斗!」
「っ、平気だ!」
激しさを増す舞台の先を見遣りながら、定霜は胸元につけたマイクを口元に引き寄せ、「どうした?」と声をかけた。
数秒の間を置いて、『っ、すみません』と睦子の声。




