結束の合宿!⑦
「大丈夫。ちょっと、話をするだけだよ」
重ねる掌は殆ど力が篭っていない。だが朱斗は、翔の放つ底知れなさに手を解いた。威圧感ともまた違う、山神たる『烏天狗』の威厳と余裕のような、不思議な気配だった。
当惑気味に、沙羅へと視線を流す。と、沙羅も複雑そうな表情で、小さく頷いた。同じ感覚を共有したのだろう。
次いで二人は、碧寿の元へ歩を進めていく翔の後ろ姿を見守りながら、自身の武器へと指先を滑らせる。碧寿と獏に妙な動きがあれば、直ぐに応戦する為だ。
近づくこのめの姿に気付いた獏は、きょとりと眼を丸くした後、にい、と楽しげに口角を釣り上げ、
「碧寿様、遊んでいいか?」
「まだ、駄目だ」
このめが側に両膝をついてしゃがみ込むと、やっとの事で青い双眸が向けられた。感情はよめない。くるりと煙管が回る。
翔にとって碧寿の存在は、『謎』に近いのではないかと思う。翔の祖父、そして父と親しかったという碧寿は、半妖である翔を父の『汚点』だと言い、翔を喰らう日を心待ちにしている。
覚醒が不完全な翔など簡単に狩れるだろうに、そうしないのは、『烏天狗』の翔を狩らなければ『復讐』にならないからだ。
けれども翔は、碧寿には微かな迷いがあるような気がしていた。『気がする』のレベルなのは、知らないからだ。
父と碧寿の物語を。
「……父さんの事、恨んでるのか」
訊いたこのめに、碧寿は薄く笑った。
「それを知って何になる?」
このめは考える素振りをして、
「オレがスッキリする」
杪谷は少しだけ驚いた。てっきり、『碧寿を理解したい』のような、翔の振りまく『優しさと弱さ』が先行してくると思ったのだ。
だがこのめは、あくまで翔自身の問題に留めた。
自身の胸中の靄を解消する為だけで他意はないというようなまっすぐな響きは、不思議と杪谷の『碧寿』に戸惑いを与えた。興味が湧いたのだ。話すも話さぬも碧寿次第。『アイツの息子』に、わざわざ語ってやる義理もない。
だが語ってやっても、支障はない。
「……お前の爺さんは、正に『烏天狗』そのものだった。妖かしを従え人を襲い、人を喰い、人に恐怖と畏怖を与える。お陰で山は住みやすかった。評判を聞きつけ、沢山の力あるものが集まった。人には恐れられていたが、妖かしには慕われていた。ただの荒くれ者ではなかったからだ。幼いオレは、その側で育った。……あの日々に、飽きはなかった」
手にした煙管がくるりと回った。獏は碧寿の語りにも興味なく、転がりながら暇を持て余している。
「娶ったのは孔雀の娘だった。綺麗な者だった。爺さんが夢中になるのも、無理はない。穏やかで優しくて、爺さんの正反対を行くような者だった。爺さんは幸せそうだった。益々『狩り』に精が出た。『山神』らしくあろうとしたのかもしれん。様子が変わったのは、息子が生まれてからだ。娘が突然、『務めを終えたので、里に帰る』と言い出した」
「え?」
「求婚を受け入れたのは、断れなかったからだ。当然だ。ただの妖かしに、『山神』の申し出を袖にするような勇気はない。娘は跡継ぎとなる男児を生むまでは、と我慢していたらしい。そうすれば、『嫁』としての『務め』は終える。それだけが拠り所だったのだろう」
庭を眺めながら、碧寿は語り続ける。
「すっかり娘に心酔していた爺さんは慌てた。どうしたら自分の元に留まってくれるのかと尋ねた。そうしたら娘は、『私は人が好きです』と言った。『人と共に生きたい。だから、無理です』と。それからだ、爺さんはピタッと人を襲わなくなった。喰うのもだ。山を荒らす者を懲らしめる事はあっても、命を取る事はなかった。実につまらん。オレは失望した。力ある者達も次々と去って行った。……それでも爺さんは、幸せそうだった。娘も、次第に爺さんに心を開くようになった。『山神』の名を持ちながら、実に腑抜けた事態だ。だからオレは、せめて息子が間違いを犯さないよう、幼いアイツに『烏天狗』としての本分を教えてやった」
翔の父の事だ。
いつか祖父が元の姿に戻る日を祈って、碧寿は山に留まっていた。一人で遊ぶ幼い父の前に時折現れては、以前の祖父の所業を『烏天狗』の鏡として語り聞かせていたという。
「幼い間は分からずとも、成長すればその実に気づくと思っていた。だが」
碧寿は腹立たし気に双眸を細めた。
「アイツはオレに向かって、『人を愛した』と言った。人の良さを知らないのは『残念だ』とも。オレは腹が立った。娘を喰ってやろうかとも思った。だが、しなかった。……アイツが、人の良さを分からせてやると誓ったからだ。なのに、アイツは……」
くるりと煙管が回る。
碧寿の過去は、既に原作に描かれている。杪谷が語ったのは、それを端的にしたものだ。だから部員は全員、この物語を知っているし、それは当然このめもだ。
なのに、このめは初めて『碧寿』の心を聞いたような気がした。胸中で、『翔』としての意思が熱を持つ。
碧寿の語らなかった先。翔の父は、山里を守って死ぬ。数十年に一度という大災害の中、妖かし達に襲われたのだ。
父を慕う妖かしも、山里の保護の為に大勢手を貸してくれた。その中には碧寿の姿もあった。山里ではなく、翔の父を守る為だ。
それでも戦況は最悪だった。荒れ狂う豪雨の中、一晩をかけて『烏天狗』としての妖力を出し切った父は、襲う妖かし達をなんとか撃退した後、深手の傷と体力の消耗で命を落とした
『碧寿、翔を頼まれてくれ』
そう、託して。
だが碧寿は、その部分を語らなかった。母と共に大勢の避難者と小屋に隠っていた翔は、父と碧寿が共に戦っていた事実を知らない。唯一覚えているのは、朝焼けを背に青い影が、父の亡骸を連れ帰って来てくれた光景だ。
けれども今の碧寿の語りを聞いて、あの時の影の正体は、彼だったんじゃないかと思った。
「……オレは、父さんが苦手だった」
突如発したこのめに、怪訝そうな瞳が向く。
「よく、難しい話しをしてきて、でも、ちゃんとは教えてくれない。皆が言うから、スゴい人なのは分かってたけど、家ではおっちょこちょいで頼りなかったし。よくわかんなくて……でも、苦手なだけで、好きだった」
このめはまっすぐに碧寿を捉える。
「碧寿も、オレと一緒だね」
「……なんだと?」
「父さんの事が、苦手なだけで、好きだったんだ。うん、それでいいや。恨んでても、恨んでなくても、碧寿が父さんを好きだったって事は変わらない」
立ち上がるこのめは、胸中の靄が晴れている事に気付いた。翔として、納得したのだ。
当惑に見上げる碧寿を見下ろして、へらりと笑う。
「オレは父さんじゃないし、殆ど『人』だから、碧寿を説得するつもりはないけど、こうして時々話しが出来たら嬉しいな。オレの知らない父さんの話しをもっと聞きたいし、碧寿はなんか、怖くない」
「ほう? それは随分と舐められたものだな。オレは『鬼』だ。お前を喰らおうとしても不思議ではないだろう」
「うん、そうなんだけどね。……『烏天狗』の子供だってだけで媚びて、持ち上げて、何かあれば真っ先に捧げればいいって思ってる『人』のほうが、よっぽど怖いよ」




