結束の合宿!②
この厄介な友人は、相変わらず難事を運んでくる。
濃染は恨めしげに雛嘉をチラリと見遣り、「お前はコイツに甘すぎる」と苦言を呈した。猫の殴打以下なのは、重々承知だ。事実、雛嘉は苦笑しながら肩を竦めるだけだった。
紛れもなく本人の意思で、雛嘉は杪谷の意思を優先する。放っておけないのだと言う。掴みどころなく漂う杪谷が、心配だったのだろう。この部に入ったのも、そんな所だ。
だが近頃の杪谷は、随分と変わった。
「……何にも興味なくフラフラしてたお前が、こんなにも固執するようになるなんてな」
「うん、自分でもビックリ。でも、ここで諦めるのは、嫌だから。……協力してくれるよね?」
杪谷の厄介な所は、雛嘉の想いも、濃染の意思もわかっている所だ。
わかっているからこそ、許容されるだけの我儘を言うし、惜しみない親愛を向ける。勝てる気がしない。
「……まったく、愚問だな。俺がお前達の『お願い』を、一度でも断れた事があったか?」
疲れたように頭を振った濃染に、杪谷は双眸を嬉しげに、柔らかく緩める。
「可愛い後輩に、優しい友達。僕は贅沢者だね」
無条件の信頼とは、厄介ながらも、心地いいものだ。
***
家に着いたこのめは、鞄を置くなり、吹夜へランニングの誘いを送った。
足場の悪さを理由に断られるかと思ったが、間もなくして了承の返事がきた。
『俺が行かないって言っても、どうせお前は行くんだろ』
幼馴染の過保護っぷりは、こんな時でも変わらない。
夕食を済ませ、暫くの休息を置いてからがいつものランニングタイムだ。すっかり馴染んだランニングウェアに着替え、家の門の前で吹夜と落ち合う。
暗がりという点を差し引いても、その表情は沈んでいるように見えた。
水溜りを避けながら、道路を抜け、公園内を周回する。伸びた木々の葉先から垂れた雫が、時折頭上をついてきた。
薄めいた雲の隙間からは、星がチラチラと伺っている。
「……今日は行かねぇかと思った」
ポツリと零された声に、このめは視線だけを向けて、また前へと戻した。
親指を握りしめる。
「……『生きてない』って言われた時は、ガンってきた。わかってた筈だったのに、大事なとこを忘れてて、忘れてた事に驚いたっていうか。……でも一番ショックだったのは、迅が、黙ってたって事かな」
話し始めたこのめに、吹夜はちょっと驚いたような顔をした。このめは紡ぎ続ける。
「……俺は勝手に、同じように頑張ってる仲間だって思ってから……裏切られたような気がして」
少なくともこのめは、無条件に『何でも言い合える仲間』なのだと思っていた。勝手にそう、思い込んでいたせいか、裏切られたような心地がしたのだ。
そしてその事に、このめは更に衝撃を受けた。
――俺の勘違いなら、変にかき回したくねぇって思ったんだ。
その言葉の一体どこが、『裏切り』だというのだ。
あんなに熱意を持って、動き回ってくれていたのだ。『違和感』の正体を知った定霜も、愕然としたに違いない。
定霜はこのめ達を想って、必死に押し留めていたのだろう。それは定霜の優しさだ。けれどきっと、それだけじゃない。
言えなかったのだ。このめ達に遠慮して。その事に、気付いてやれなかった。
「酷いよね。迅が悩んでるの、気付いてあげられなかったのに、『裏切られた』なんて思っちゃって。友達だって、仲間だって言うんなら、もっと迅の事も見てあげないといけなかったんだ。特に俺はさ、『部長』だし。……迅は、俺達に遠慮してたのかな」
「……さあな。本人が何も言わねーで逃げたんだ。俺達には、わかりっこないだろ」
「啓は、怒ってるんだ?」
「……さっさと言えば良かったんだ。なのに馬鹿が、変に気を回しやがって」
苛立ちの気配が滲む。休み時間に様子を見に行った紅咲からも、似た印象を受けた。
硬い表情で座る彼の側に定霜の姿はなかったが、その『異変』を察してか、いつも声をかけたそうに取り巻いている他の生徒も、心配そうな表情で見守るに徹していた。
睦子は明らかに、気落ちしていた。
『あの時、僕が……』
そう呟いた先には、何を繋げたかったのだろう。
わからない。吹夜の言う通りだ。だって皆、胸の内に隠してしまうから。
そして自分も。
「……うん。だから、ごめん」
「……は?」
隣を走っていた吹夜の足が止まる。このめも立ち止まって、くるりと振り返った。
藍色に染まる景色の奥で、誰かの家からオレンジ色の光源が滲んでいる。頭上には、うっすらと姿を覗かせるクチナシ色の月。
「俺さ、昔、なんで啓が幼馴染なんだろって思った事があったんだ。ほら、啓って幼稚園の時から何でも出来て、人気者だったろ? だからそれが羨ましくて、悔しかったんだ。啓と仲良くなりたがってた子からも、色々言われたし。でもそれが全部当てはまってるから、余計にイヤになっちゃって」
幼い頃の記憶が蘇る。
『どうしてけいが幼なじみなの。おれ、ちがう幼なじみがよかった』
泣いて縋った幼いこのめに、母は『あらあら』と屈み頭を撫で、
『啓くんのこと、嫌い?』
『……きらいじゃない。でも、おれとなかよしなのは、おかしいって、みんなが』
『ママはそうは思わないわ。だってこのめは啓くんの事が大好きだし、啓くんもこのめを大好きだって、わかるもの。もしかしたら神様は、このめと啓くんが仲良しになれるって思ったから、幼馴染にしてくれたのかもしれないわね』
『……ほんと? けいは、ガマンしてるんじゃないの?』
『そうねえ。もしかしたら、ガマンしてくれているのかもしれないわね。でもそれは、このめと一緒にいたいから、ガマンしてくれてるんじゃないかしら。啓くんに訊いてみたら?』
確かその後、このめは悩んで、悩んで、結局吹夜に『おれとけいって、なかよしでいいの?』と訊ねたのだ。
幼い吹夜はキョトンとしてから、『いいだろ』と端的に答えた。その当然だとでもいうような素っ気なさも、嬉しかったのを覚えている。
このめが語ると、吹夜も思い出したように「……あの時か」と呟いた。
「……あの時から、啓と一緒なのが当たり前って思ってて、啓が俺を助けてくれるのも、自然な事になっちゃって。……けど、この部を始めて、皆に助けてもらってるんだって実感するようになってきたら、急に、啓には一番負担かけてるんだろうなって、思ったんだ」
見開かれた双眸の奥で、街頭の明かりを拾う瞳が揺らめいた。
「俺は啓が大事だから、まだ『仲良し』でいたいって思うし、皆も優しいから、もっと他の人を頼って、啓の負担を軽くしないといけないんじゃないかなって思って。けど俺は下手くそだから、もしかしたら、避けてるようになってたかも。俺がちゃんと言わなかったから、誤解させた。だから、ごめん」
下げた頭の向こう側で、「……そういう事かよ」と苦々しい声がした。顔を上げると、吹夜の顔は歪んでいた。当惑と、憤怒と、少しだけ泣きそうな。
影に黒めいたグレーアッシュの瞳が、このめを強く睨みつける。




