拗れた糸の不協和音③
この場面は『人』としての理性を失い、妖かしとしての本能のまま暴徒化する翔を止めようと、朱斗と沙羅が奮闘する。そこに碧寿と獏が現れ、五人での戦闘が始まる。
杪谷と雛嘉は舞台の上手側(客席から見て右側)の袖に向かい、紅咲は下手側に近い位置へと歩を進めた。
吹夜とこのめは舞台中央に移動し、オモチャの刀と仕込み錫杖代わりのつっかえ棒を突き合わせた。
「……緊張してんのか?」
不意に吹夜が話しかけてくる。このめは出来る限り、言葉を選んだ。
「……そりゃあ、ね。でも楽しみだよ。すんごい、ドキドキしてる」
「練習でんな気張ってたら、本番耐えきれないぞ」
「確かに」
定霜がコントロールルームから出て、座席中央を陣取った。
その片手にはビデオカメラ、もう片手にはマイクを握っている。
『いいぞ』
濃染の声に、舞台上のメンバーで軽く視線を交わす。
うん、大丈夫そうだ。
小さく頷き、このめは吹夜と互いの武器を交える体制をとった。
一度目を瞑り、呼吸を整えてから、口を開く。
「迅、お願い」
決意を含んだ声が、漂う緊張感に被さってホールに響く。
『オウ。……照明、ライト落としてください。……はい、問題ないっス。カウントとります。さん、に、いち』
***
ドーン、と腹に響く低音と共に、舞台袖から碧寿と獏が現れる。
スポットライトはやや薄く、映像の桜吹雪が周囲を舞った。
「『ほう? あやかしの血に支配され、人としての理性をなくしたか、翔』」
「『碧寿……!』」
落ち着いた声色の主を忌々しそうに眼だけで見遣ったのは、翔と刀を交える朱斗だ。
名を呼ばれた翔は碧寿と獏の存在になど気付いていないかのように、組み合った腕に力を込めるだけで、振り返りもしない。
「『やはり嗅ぎつけてきおったか……』」
直前の翔の攻撃で痛めた腕を庇うようにして、沙羅が予想通りだというように嘲笑する。
その笑みが癇に障ったのか、「『ああ?』」と碧寿の後方から歩を進めた獏が、「『なんだ狐風勢が!』」と突如沙羅に飛びかかった。
長い両腕で勢い付けて、振り下ろされた二つの短刀。シャッと風を斬る音がする。だが沙羅は手にしていた番傘で、その軌道を遮った。
「『おお? 案外やるな』」
「『礼儀も知らない無礼者じゃのお』」
途端、翔が一歩を引いた。が、
「『うっ、ぐあああああー!』」
頭を垂れたまま、自身の狙う先が何よりも信じていた友だとも理解していないように、身体の全てを使って再び朱斗に斬りかかる。
ガキッ! と鈍く響いた衝突音は二回。本来ならば刃の付く錫杖を刀で受け止めた朱斗の腹を、乱雑に足で蹴り上げたからだ。
「『っ!』」
「『朱斗!』」
「『平気だ』」
朱斗が距離をとる。片腕で痛む腹を庇うようにして。
だが視線は射抜くように翔を捉えたままだ。飢えた獣のように殺気だけを向ける翔が、次を狙っているからだ。
「『それで? 鬼が何の用だ? 生憎今、手が離せないんだが』」
離れた位置から傍観していた碧寿が、戯れる幼子を見るように笑う。
「『いやなに。持て余しているようなら、譲り受けようと思ってね』」
「『結構だ!』」
再び飛びかかってきた翔の錫杖を除け、刀で弾き、その衝動によろめいた翔の隙を狙い、朱斗はその身体に鞘を叩きつける。
骨を打つ音が響き、翔が膝をついた。だがほんの数秒で、再び雄叫びを上げて斬りかかってくる。
赤に照らされたライト中で、沙羅は苛々としていた。朱斗の援護に向かいたいのに、目の前の獏が遮ってくる。振るわれる腕に殺気はなく、ただ、遊んでいるようにも見えた。
それがまた、沙羅を苛立たせる。
気紛れのように向けられる短刀を扇子と番傘でいなし、身体を回転させて自慢の蹴りで獏を弾こうとする。だが、
「『おっと』」
やはり獏は碧寿の式神というだけあって、その戦闘力も高い。短刀で防がれてしまう。
再びスポットライトが向いた先。
獏と沙羅には興味がないのか、朱斗と翔の様子を伺っていた碧寿は、残念そうに首を振った。
「『交渉決裂か。残念だ』」
青を照らすライトの中で薄い金属音を響かせ、鞘から刀が抜かれる。
「『ならば……早い者勝ちだな』」
艶めく切っ先が振り下ろされ、翔と組み合っていた朱斗が飛び退く。
うめき声しか発さない翔は突如現れた『新しい獲物』に、「『があああああ』」と突っ込んだ。が、碧寿は涼しい顔で背を伸ばしたまま、刀だけで翔をいなす。
「『こい、翔。俺を狩ってみろ』」
「『う、あ、あああああああああああ!』」
カキン! カキン!
再び飛びかかるも簡単に弾かれた翔を挑発するように笑んだ碧寿は、誘うようにゆるりと首を動かし、舞台袖へと駆け出した。翔が追う。
「『待て! 翔!』」
焦燥の滲む声で叫んだ朱斗が、更にその背を追った。
「『翔! 朱斗! くっ……邪魔じゃ!』」
番傘と扇を振るい、避けるために仰け反った獏の隙をついて、沙羅も駆け出す。
「『鬼ごっこか?』」
短刀の柄で乱雑に首を掻いた獏は、楽しげな笑みでその後を追った。
と、ビデオカメラを繋いだパソコンの画面に、停止のマークが浮かびあがる。
「お、おおおおおおおおお!」
「なんか、なんかっ……!」
「スゲーな」
「ちゃんと舞台になってるね」
「予想以上だワ」
「僕が出てくる所の花吹雪、効果映像作ったの?」
「どうせなら」
「派手にやろうと思ってー」
『本家には及びませんがー』
「効果音のズレは本番までに何とかする。聞いてるか、如月」
「っ! あ、ハイ!」
感動に浸りすぎて意識がボンヤリしていたこのめは、濃染の怪訝な声に何とか思考を手繰り寄せた。
スゴい。本当に、舞台ができている。
本家と比べれば演技も技術もまだまだが、それでもこのめにとってこの映像は、夢にまでみた『自分達』の舞台だ。
処理できない程溢れ出てくる歓喜を滲ませたまま「すみませんっ! よろしくお願いします!」と振り返ったこのめに、濃染は微かに瞠目してから、仕方なそうな顔でメガネの淵を押し上げた。
「まだたったの一場面だぞ。喜ぶには早いだろう」
その時だった。
バンッ! とホールの扉が勢い良く開かれ、息を切らした睦子と武舘が飛び込んできた。
「お待たせしました! 武器、できました!」
「いやー、テープ貼るのって難しいな!」
順に配られていく武器は、ガッチリとした見た目に反して軽い。
「刀のベースはプラスチックのモノなんです。カラーテープを貼って、柄には紐を巻きました。仕込み錫杖は塗装です。ライオンボードっていうので切っ先を作ってるんですが、芯にはプラスチックの棒が入ってるので、気をつけてください。凛詠さんの扇は、近い柄の布で張替えてみました。最近はネットに色んな作り方が載っているんですね」
遅くなってすみません、と眉尻を下げる睦子に、「そんなコト無いよ! ホント! ありがとう瑞樹!」と抱きつこうとしたこのめは、一年総動員で阻まれた。




