先輩という存在③
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杪谷と雛嘉が練習場所を美術棟下に移したのは、それから一週間程が経った頃だった。
ジャージ姿で現れたのには驚いたが、それは台詞の覚えこみと共に動作も叩き込んできたからだと言う。
躊躇なく地べたに腰を下ろした杪谷が、煙管代わりの棒を手にしながらのんびりと紡ぐ。
「『つまらん。実につまらん。そうは思わないか? 獏よ』」
獏、と呼ばれた雛嘉は架空の盆を手にしながら、怪訝そうな瞳を向けた。
「『それはただ怠惰に過ごす現状を言ってんのか? それとも、ご執心の『烏天狗』に動きがないことを言ってんのか?』」
「『あの者に変化があれば、この怠惰な現状は存在しない。二つは密に繋がっているのだ。故に――、うん?』」
「『どうした?』」
「『喜べ獏。どうやらあの者達が、動こうとしている』」
「『どうしてわかる』」
遠くを見遣りながら、杪谷の口角が上がる。
「『山神と鬼には、互いに切っても切れない縁がある。他方が在る為には、他方が在らねばならないのだ』」
「『それは共に人を支配する為か?』」
「『そうだったなら、こんなにも手を焼かずにすんだのだがな』」
雛嘉の置いた架空の湯飲みを手に取り、ゆるりと一口を含む。
「『だがまぁ、それは昔の話しだ。既にバランスの崩れた現世では、他方が他方を喰うても、さして問題あるまい』」
「『喰うのか?』」
「『……それは『彼』次第だ』」
暫くの間を置いて「どうかな」と笑んだ杪谷は、いつもの穏やかさを纏っている。「中々でしょ?」と雛嘉が得意げに前髪を掻き上げた。
「~~すっごいです!! あああ『碧寿』と『獏』がとうとう……っ! やっと揃った!」
「落ち着け」
「このめ、顔すんごいヤバイ」
「え? あ! ゴメン感動しすぎて!」
吹夜と紅咲に指摘され、このめは慌てて顔面を両手で覆う。
興奮に緩む頬がなかなか引き締まらない。仕方ないだろう。待ちに待った集結だ。
演技は久しいと言ってたが、迫力は十分にある。粗い部分は、練習で精度を高めていけばいい。
訊けば杪谷と雛嘉は、アクションの場面も一通り叩き込んできたと言う。
「いい加減、せっまいトコじゃ物足りないのよ」
雛嘉の手には、吹夜よりも短いプラスチック製の刀が二本握られている。獏は短刀二本を武器とするからだ。
黒刀を武器とする碧寿を演じる杪谷は、吹夜と同じ型の刀を手にしていた。睦子に訊き、吹夜と同じ学校近くの百円均一で購入してきたようだ。
練習を初めたばかりのこのめ達と同じく、早くアクションシーンに挑みたいのか、笑顔で刀を掲げる二人の目は楽しげながらも熱がある。
「やっとバトれますね」
自身が使用している刀を持ち上げた吹夜に、杪谷が「お手柔らかに」と笑む。朱斗と碧寿は敵対する立場にあるからだ。
雛嘉の相手になるのは紅咲である。
「例え『姫』候補だろうと、手加減はしないワよ?」
「先輩方の胸を借りるつもりで、思いっきりやらせてもらいます」
(なんか皆、バチバチしてるなぁ)
悪い空気ではない。運動会のかけっこ前みたいな、心の疼く緊張感だ。
結局男子たるもの、揃ってアクションには熱が入るという事だろう。
これだけ意気込みが揃えば演じる場面はひとつだ。このめはノートパソコンを操作し、流れる映像を五人でのアクションシーンに合わせ、再生した。この舞台の、一番の見せ場だ。
皆で覗き込み確認し、マスキングテープで縁取った仮想舞台で、ひとつずつそれぞれの動きを合わせていく。
誰がどこに立ち、どう身体を動かし武器を交え、どんな台詞を告げるのか。繰り返し重ね大方が決まれば口頭でテンポを取り、徐々に演じる動きを早めていく。
不都合があれば都度修正。一場面を流したら、また修正。
「このめくん、ここ、もっと踏み込んできていいよ。啓くんも、もっと被っていいから」
「はい!」
「あざす」
「眞弥先輩、この『衝突、パーン』の部分、弾いた扇の腕をこう右に振り抜きたいんで、肩左に寄ってもらってもいいですか」
「ソコね……こんな感じかしら?」
舞台での動きは派手だが、やはり地道の積み重ねだ。
梅雨に近づき、気温の上がってきた外気に汗を滲ませながら、このめ達はただひたすら演技とアクションを重ねた。
***
教室を根城にしていた睦子に集合を言い渡されたのは、音楽をつけての本格的な演技練習となってきた頃だった。
「すみませんが、暫く廊下で待っていて貰えますか?」
どこか興奮気味の睦子はいつもよりも圧がある。言われるまま素直に廊下で立っているのは、このめを初めとする演者陣だ。定霜は「絶対に覗くなよ」とドスを効かせ、睦子を手伝うべく教室の中である。
ドアからも距離を取り、手持ち無沙汰に待つ。壁の向こうからはガタゴトと無機質的な音が届いてくる。
「お待たせしました」
「いいぜ」
くっと顎をしゃくった定霜の前を通り、このめを先頭に足を踏み入れた。
「っ、コレ……!」
机を寄せてつくられた台座の上。白い詰め襟と袖の覗く紺の着物には、舞い散る桜模様が描かれている。腰元から合わせるように置かれた灰色の袴はストライプ柄。その足元には焦げ茶のショートブーツが鎮座していた。
このめの演じる、翔の衣装。隣には淡い水色のグラデーションで染められた、金糸柄の白い着物が並んでいる。吹夜の演じる、朱斗の衣装だ。
更に隣には、赤地に鮮やかな数色で花柄の描かれた着物と帯。次いで青地に黒文様の着物と、深緑の着物の裾をたくし上げ、下にズボンを重ねた衣装が並んでいる。それぞれの足元には、下駄を重ねたようにデザインされた足袋。沙羅、碧寿、獏。
「衣装、なんとか形になりました。皆さんからの要望も、出来る限り取り入れたつもりです。あとは、実際に着ていただいて、まだ改善出来る所を直していけたらと思っていま――」
「ありがとう瑞樹ーっ!」
「わっ!」
感動のまま抱きついたこのめの衝撃と重みに瑞樹がよろけ、
「ちょっとこのめ!」
「っぶねーだろ!」
紅咲と定霜がその身体を支えた。吹夜は呆れ顔でこのめを瑞樹から引き剥がす。
「お前のその後先考えず飛びつく癖、なんとかならねーのか?」
「ご、ごめん、ついテンション上がっちゃって。大丈夫、瑞樹?」
「はい。凛詠さん、迅くん、お手数おかけしました」
「ったく、いい加減このめの奇行も読めるようになってきたぜ」
「慣れってコワイねー」
「あ、あはは」
頬を掻いて誤魔化したこのめの背中側からは、「わあ、スゴいね」「随分しっかりしてるじゃない」と感嘆の声が聞こえる。




