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先輩という存在②

***


 音響の話し合いは定霜と濃染達に任せ、睦子に着替えを手伝ってもらったこのめは美術棟へと向かった。

 繋がる廊下を進み、美術棟に一番近い階段を下りていく。

 ガラス窓から射し込むオレンジ色の陽射しが、静かな踊り場を一枚の絵画にしている。


「このめくん」


 柔らかく響いた声に振り返ると、雛嘉と読み合わせをしていた筈の杪谷が下りてきた。

 普段、ゆったりを好む杪谷にしては珍しく早足で来たらしい。微かに息が乱れている。


「何かありました?」

「ううん、そうじゃなくてね」


 杪谷は首を振りながら微苦笑する。


「琉斗くんも言ってたけど、本当、変に考えすぎなくていいから。壮って隠し事が下手だから、何かを誤魔化そうとすると、言葉が強くなっちゃうんだ」

「!」


 どうやら落ち込んでいるのではと気にかけ、追いかけてきてくれたらしい。

 心がほわりと浮つくのを感じながら、このめは「平気です」と笑んで見せた。


「ありがたかったです。結局、全部引き受けてもらっちゃいましたし」

「壮のあの顔は張り切ってる顔だね。久しぶりに見た。琉斗くんも琉生くんも楽しんでるみたいだったし。……入部届けは、僕も予想外だったけど、きっと仲間に入りたかったんだろうね」


 小さく笑う声が、まるで旋律を辿るように紡ぐ。


「……この部は、すごく居心地がいいから」


 流された視線の先を追うと、夕暮れに影をつくる屋根の下で、アクションの練習に励む吹夜と紅咲の姿があった。

 練習を初めた頃は中々息が合わず探り探りの練習だったが、時間を重ねた今ではなんとなく、感覚で互いの呼吸が読めるようになってきている。

 信頼、というのだろうか。離れた上部から望む今も、微かな仕草で次がわかる。

 何度も繰り返し脳に刻み付いた声が鼓膜の内側で響き、湧き出た熱に紡ぎそうになった台詞を、喉元で飲み込んだ。

 空から零れ落ちた朱に染まる髪が揺れ、薄い水色の瞳が静かに向けられる。


「誰かを頼るのは、悪い事じゃないよ」


 押し込めていた蟠りをそっと包むような声色に、虚をつかれる。

 このめは跳ねた心臓を抑えるように、両手を握り込めた。

 まっすぐに見つめる瞳はただ優しい。けれど、どこか確認めいた一言が、酷く心を揺さぶった。

 だからこそ、だろう。誰にも言えなかった『迷い』が、口をついて出た。


「……俺、ちゃんと深く考えないで成映先輩達にお願いしちゃって、濃染先輩達も、自分の部活があるのに巻き込んじゃって。啓は、昔っからですけど、凛詠達も俺の好きにさせてくれてて……。シゲちゃん先生も、沢山動いてくれてるし。時々、本当に、これでよかったのかなって……」


 他の部活のように、全国大会がある訳でもない。損得で言うのなら、『得』をするのはこのめだけだ。

 ましてや杪谷達は三年生だ。受験生。このめがこの部に誘わなければ、受験勉強に注ぐでも、友人との思い出作りに費やすでも、時間の使い道は他にもあっただろう。


「……ズルい言い方をするようだけど、入るって決めて署名したのは本人なんだから、このめくんが気に病む必要はないんじゃないかな。イヤになれば『退部』も出来る訳だし、そうしてないって事は、離れない理由があるんだろうし」


 杪谷がニコリと笑みを向ける。


「それと、僕も眞弥や壮に頼ってばかりだから、このめくんと一緒だね」

「っ、全然違います! 成映先輩と眞弥先輩がいなかったら、俺、今でも色々アタフタしてたと思うしっ」

「じゃあ僕は、珍しく『頼られた側』になったんだ。ふふっ……うん、悪くないね」


 感慨深そうにクスクスと笑った杪谷は、ひと呼吸置いてからこのめの頭を撫でた。

 幼子を宥めるような仕草に羞恥が登る。が、相手は先輩だと思うと、振り払う事もできない。

 それに、余程心が弱っていたのか、往復する掌には妙な安心感があった。


「大丈夫だよ。皆、それぞれの『意思』があってこの部に集っているんだ。だから、このめくんは演技に集中して。その為に、立ち上げたんでしょ?」


 情けない弱音に呆れるでもなく、柔らかく細められた双眸は温かい。

 今まで部活動に携わったことのないこのめは、『先輩』という存在に不慣れで、接するには無意識の緊張があった。

 だが、なんだろう。両親や同級生に頼るのとは、また違った大きさを感じる。


「僕と眞弥も、動けるようになったら直ぐに合流するね」


 最後にポンポンと指先で叩いた杪谷が去って行くのを、このめは不思議な心地で見送った。


 このめが美術棟下に辿り着くと、気づいた紅咲が「あ、もう終わったの?」と迎え入れてくれた。


「うん。こっちは任せて、ちゃんと演技の練習してこいって」

「それ、文寛先輩達の通訳でしょ」

「すごい! なんでわかったの?」

「そりゃあ、ね」

「このめ」


 歩を進めてきたのは吹夜だ。

 襟元にまかれたタオルに、汗が吸い込まれていく。


「杪谷センパイと、なに話してたんだ?」

「え?」

「さっき、あそこで何か話してただろ」


 指差された先は、美術棟に一番近い階段だ。杪谷と話していた踊り場。透明な窓にはオレンジ色の夕日が反射している。

 思えば今まで、このめのああいった弱音を受け止めてくれていたのは、吹夜だった。昔からそうだったから気に留めた事もなかったが、もしかしたら、それは吹夜にとって『負担』だったのかもしれない。

 吐き出した事で胸中に余裕が生まれたからか、そんな考えが過って、このめは無意識に薄く唇を引き結んだ。


「……濃染先輩達も張り切ってるから、頑張ろうって言ってくれただけだよ。それと、この部は居心地がいいって」

「……そうか」

「さ! 練習練習! アクションもだけど、演技の方も力入れないと!」


 意気込みながらストレッチを始めたこのめを、吹夜は複雑そうに眉根を寄せながら黙って見ていた。

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